IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

改善の余地あり?

2022-09-27 16:45:36 | この頃思う事

玄関先花壇には、昨年の種が落ちて自然発芽した濃淡の「おしろい花」が一本づつ(勿論、間引きをした)、30センチほどの間隔で大きく育った。
この2本が、初めから「濃淡」である確証は何もなかったけれど、ま、一回くらいはと、神様の思し召しだったのだろう、茎丈も2メートルほど、大きさも同じくらいで、花の咲き始めは時間差があったものの、ようやく、両者の花が入り乱れて、最高の見栄えとなっている・・・でも、残念ながら開花するのが夕方であることで見逃してしまう事しばし。

 

 


 

 

日曜日だったか、月曜日だったか・・・我が家ではたいした被害もなかった台風が通過した後の事である。


携帯電話に「0120」で始まる番号から電話があったが、私としては、当然、無視!
その後に、今度は「090」だったか、登録してない番号からの電話が入ったが、身に覚えがないなぁ・・・と思ったものの、またしても、無視!しかし、何か心に引っかかるものがあったので番号をメモした。

しばらくすると、携帯にメール(SMS)が3通も着信したので、開いてみると、先ほど気になってメモした番号だった・・・あれ!何事?と、恐る恐るメールを開くと「携帯を盗まれてしまい番号が変わりました。台風の被害はどうでしたか?心配しています」とあるではないか・・・でも、名前が書いてないので、これって新手の詐欺?と判断し3通のメールも削除した。
そのあとに、今度は同じ番号から電話が入ったのだ・・・う~ん、これは詐欺電話とは違うかもしれないと思い、電話に出ると、何と関西に住む友人からだった。
友人曰く、TVでそちらが台風の被害が出ているようなので心配で電話を入れたのだが繋がらないという事は・・・もう、心配で」だったそうだ。
いやいや、申し訳ない(まさか詐欺と疑っていたとは言えないし)、我が家では何の被害もなかったし、当県内でニュースになるほど被害が出ていたとは知らなかった(TVを見ていない)、ともかく、お見舞いありがとう・・・と、しばしの交流(もう10年以上会っていない)を懐かしく味わった。
そのあとに、今度は東京の友人から、またまた台風お見舞い電話が来たが、この友人は登録済みだったので問題は無し。

関西の友人も名前を名乗らない(忘れていたらしい)のが問題なのだけれど、私にしたって、もう端から登録してない番号は信用できない扱いにも、問題がありそうだ。
友人に、いらぬ心配をさせてしまったことに恐縮するのみ・・・だ。
「信用できない」というより、「まず疑ってしまう」という、この我が性根に、少し、改善の余地あり・・・なのかも知れないなぁ。

 

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「備える」事とは・・・

2022-09-20 12:35:32 | この頃思う事

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我が家に至る道の脇にある竹藪に、数年前から気になっている山野草がある。
最初に、この花を見つけた時には、何かとtも良い香りが漂っていたように感じて、花に近づいて匂いを確かめたりして、若しかすると、「ジャスミン」の原種ではないか・・・なんて勝手に想像していたが、どうやら、日本中に自生しているという「センニンソウ」のようだ。
驚くことに、花や茎の汁に毒があるのだという・・・やあらあちこちで見られるのに、何に対してそんなにも防衛しているのだろうか・・・と、ぼんやり考えた。

 


 

 

9月に入ってすぐに、我が地区でも「地震発生に伴う訓練」を行ったが、私は参加しなかった。

「新型コロナ」に関しても、すでに発生から3年も経っているというのに、やけに、危機感だけが脳細胞にインプットされてしまい、未だに、身動きが取れないという人もいる中、私は、出かける機会を作り始めている。

先週から今週にかけて、類まれな(と言われている)大型台風の接近が、日本列島定番コース的に移動しでおり、当然、我が地域もその真っ只中に位置しているが、我が家(私の家)では、とりわけ対策もしていない。
普通の人間であれば、その備えをするのが当然で、その行為を笑うことも非難することも不当である。

が、私だけの存在に限って思うには、我が命をおろそかにするわけでもないが、どう考えても、この先十年がいいところだろうと推測して、では、その十年は何のために生きるのだろうか・・・という考えにも至る。
では、生きる理由が見つからないからおさらばするかとは思わないものの、ここで我が命が途絶えたとしても、何の不都合も生じはしない・・・という思いもある。
数年前に母を見送ってからは、ある程度(どこまでをある程度と定義するかはそれぞれだとして)の危機も想定内(有っても仕方ない)という考えになっている私である。

ま、何を言いたいかと言えば、「備えあれば憂いなし」に違いないが、余りにも「備え」に執心し危機排除に努めても(コロナも含めての災害時に、自分が出来る範囲で備えをしていても)危機感は拭え切れず、外出もできずに不安な状態にいることが切ないと思うのである。
それぞれにその理由を問えば、もっともな事と理解はできるが、何につけても、常に危機感に囚われている状況は苦しいと思うし、我が年齢ともなれば、何か少し限度を受け入れてもイイのでは?とね・・・すごく楽に生きられるような気がするのだ。

まぁ、危機感を持っているからこそ、「人間と言う種」が地球上に存続しているのかも知れないが・・・だからと言って、この上ない素晴らしい環境でもないし・・・なぁ。


 

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夏の名残を慈しみながら・・・

2022-09-13 10:40:48 | この頃思う事

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地植えにしてある「つるバラ」の根元に、鉢植えに使った「朝顔(多分、西洋朝顔)」の苗の、残り一本だけを植えた(捨てるのはかわいそうで)。
「鉢植えの朝顔」も、それなりに花をつけて、既に、8月中に咲き終わってしまったのに、「地植えした朝顔」は、遅れて咲き始めたものの、つるバラの支柱を占領したかのようにズンズンとつるを伸ばし、9月13日現在、たくさんの花を咲かせてくれている・・・やっぱり、大自然には叶わないなぁ・・・と実感する。

 


 

 

東京行が酷く堪えて、この一週間、疲労感に包まれたままだ。
何故だろうか?・・・勝手に思うに、この会の先行きについて結論が出ていないから、宙ぶらりん状態が切なくてという事・・・だと。
メールで通知するより、フェイスtoフェイスで話した方が誤解を招かない・・・と思って実施したものの、結局は、私自身がはっきりとした意志を示せなかったことが原因だろう、そう、止めるにするか続けるか・・・のね。
もうしばらく時間をおいて、今度は、お礼を兼ねた手紙を書こうかと考えているが、ま、それまで、悩み続けていくしかない、自業自得ってこと。

それでも、疲労感に押しつぶされるの嫌だから、一日、一時間から二時間ほど、家屋敷を何等分かに分けて草取り兼掃除をする。
一応、一通り終わると、もう最初の場所に草が出ているという事実には、「そうよ、老人の私にも、仕事を与えてくださる神様に感謝!」の精神でやり過ごすしかないという境地かな?

全く、夜、眠れない(当然だよね、夜中でも、PCで映画鑑賞三昧なのだから)、常に、ぼーっとした脳細胞状態を、この短時間の作業でもって「活」を入れているのだとも言える。
ともかく9月はこんな状況であることを公言しておこうと思う、これでも、一応、反省の態度表明のつもり。


10月は気合を入れて!・・・と、9月生まれと10月生まれの友人に10月生まれの私との三人で、「誕生祝賀会」を開催しようという事になった(ちょい趣向も凝らして)。
つまり、誰も祝ってくれないから(これは私の事であって、他は子供さんが祝ってくれる)自分でやろうという事であるが、それでも、気分切り替え(あるいは現状認識)するには、ちょうどいい材料となってくれるはずだ。


まだまだ日差しに夏の名残を感じるが、今朝、秋の気配がする風を身に纏いながら庭の落ち葉掃きをしていたけれど、「そうだよな、10月に入ったら落ち葉だってしこたま増えるし、またまた手に豆が出来そうだよね」なんてことが頭をよぎる・・・最近の秋はつかの間のような気がする・・・大事に過ごしたい。

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9月初めの東京で・・・

2022-09-04 08:08:31 | この頃思う事

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極々普通で何の変哲もない「おしろい花」だが、僅かに濃淡の違うピンク色に魅せられている。
濃いピンクの花は、8月初めには咲いていたように思うが、薄いピンクの花は、8月も後半、月末スレスレ頃に、漸くつぼみが膨らんで来て、ポツリポツリと咲き始めた・・・2色競演とならないのが残念!
因みに、薄い色のおしろい花は、開花後の種の数が少ないのは何故だろう・・・という不思議感も面白い。

 

 


上野公園内で見つけたカフェで(喫茶店でないのが悲しい!)

確か7月中にと計画した東京での食事会は、2回もの変更を経て、漸く、9月3日土曜日に実施と相成った。
私にとって、土・日・祭日に東京に出かけるなんて、以前ならありえないことで、今回の沙汰は狂気では?・・・とさえ思ってしまうくらいの出来事なのである。

午前9時少し前の新幹線に乗車、案外空いていて、あれ?、今日は何曜日だっけ?と思うほどなのだが、ま、遊びに出かける時間帯では無いのかも知れないな。
車窓を流れる見慣れた風景を、ぼんやり流しながら、さて、どういう風に話を切り出そうか・・・と、考えていた。
この食事会は、同じ会社に勤めていて気の合った上司と同僚と私の3人が、一年に一度だけでも、集まって話がしたいよね・・・という提言から始まったもので、ともかく、皆、この日を楽しんでいたが、一番、楽しんでいたのは、東京を離れ、変化を好まない田舎暮らしでストレスを溜めていた私自身だったと思う。
そんな訳もあって、東京から一番離れた私が、この会の幹事めいた役割を、ま、自ら、進んでやっていたが、このコロナ渦自粛の中で、随分と出不精気味に陥り、まして幹事など遂行するのは、かなり、切なくなってきていた。
2年間中止、3年目でも、変更、また変更と繰り返すうち、もう、このあたりで終焉としてもイイのでは・・・考えるようになっていたのだった。


この3人組は、今年、80代、70代後半、60代と大台を順調に経過しており、久しぶりの姿をみれば、お互い歳を取ったなぁ・・・が、偽りのない感想だ。
で、食事が済んだ後、思い切って「これから決まった日時ではなく、会って話がしたくなったら、何時でも連絡を取って会えたら会うという方向に変えたいと思うのだけれど・・・どう思う?」と切り出したところ、80代である上司が、「日中、家では、殆ど一人でいるから話をする人がいない、だからこの会を楽しみにしていた。次回は何時頃やれるの?」と聞いて来る。
私の本音では「もう止めにしよう」と言いたかったのに、次の言葉が出て来なかった・・・と言うか、最後通牒の言葉を飲み込んだというべきかも。

上司も、決して、「引きこもりタイプ」では無いけれど、それでも、体力的限界とか新たな挑戦の意欲とかは、まぁ、普通の高齢者であり、そこそこ、限界は来ているなと感じたから、「もう少し、コロナの様子を判断して、また連絡しますから、私も同じで、まずは健康第一、体力維持に努めましょうよ」と、お互いが反対方向の電車に乗る上野駅で別れたけれど、うつむき加減にホームに向かう上司の後ろ姿に、手前勝手の事情しか考えない自分を感じて胸が苦しくなった・・・言わないで置くべきだったのか・・・ってね。

まだ、残暑が厳しい上に、土曜日で人出も多くなって来ており(コロナは何処へ・・・って感じ)、どこを歩いても人・人・人の東京で、短い滞在時間(4時間ほど)にも関わらず、肉体的にも精神的にも疲労感をズシ~ンと感じてしまっていた。

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