日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本ユーラシア協会広島支部ニュース 2020年10月29日

2020-10-29 14:20:33 | 日記
日本ユーラシア協会広島支部ニュース2020年10月29日
【核兵器禁止条約2021年1月22日発効へ】
10月25日核兵器禁止条約批准国が50か国になったとの報を受けて15時30分より原爆ドーム前で祝意の集会が開かれました。


【2020国際フェスタ】
今年度の国際フェスタは例年とは変わった形で開催されます。主な内容を紹介します。
●11月15日(日)
11時30分「今、世界とつながる~中村哲さんの遺したもの~」11時30分~DVD上映 12時~村上優さん講演
●15日15時~ ヒロシマ・メッセンジャーによる姉妹・友好都市の紹介 ロシア・ボルゴグラード市の紹介があります。
●11月14日(土)はオンラインでの催し物があります。
詳細は「日本ユーラシア協会広島支部のブログ」https://blog.goo.ne.jp/japaneurasiahiroshima/e/0edc10099a779f64dd626fb0d51131bcまたはhttps://h-ircd.jp」でご覧下さい。
16時30分~英語で語る頼山陽と日本外交

【第76回ロシア語能力検定試験】
次のとおり実施されます。
日時:2020年10月31日(土)2、4級 11月1日(日)1、3級 申し込み終了。
会場:広島市東区民文化センター https://www.tokyorus.ac.jp/kentei/index.html 
当日運営に参加可能な方は当日9~9:30に3階工芸実習室前にお集まりください。(080-5505-4872)

【書籍、映画会の紹介】
①書名 「SURVIVING HIROSHIMA」
著者  ANTHONY DRAGO、 DOUGLAS WELLMAN 
発行2020年1月 価格$16.95 
内容 1945年8月6日広島原爆にあったロシア人カレリア パンチコフ ドラゴの家族の回想

②書名 「パンフルートになった木」 
著者 巣山ひろみ 文 こがしわかおり 絵 
発行2020年8月1日 価格 ¥1400 
内容 広島市立千田小学校で被爆し生きのびた被爆樹木カイヅカイブキが笛のパンフルートとして生まれ変わり、子どもたちによって演奏された。
③セルゲイ ボンダルチュク生誕100周年記念特集 
2020年11月1日~13日 
広島市映像文化ライブラリー

【「映画『氷雪の門』への考察(9回目)】
(1)1945年8月前後の動き(承前)
(2)日露・日ソ間の条約(その8)
1941年12月8日日米開戦前後のソ連と英米との関係
①大西洋憲章、1941年8月14日。米英2か国。1941年9月24日ソビエト連邦など15か国が参加を表明。②連合国共同宣言、1942年1月1日。米英ソ中など26か国。③ダンバートン・オークス提案、1944年10月8日公表。米英中ソ4か国。④国連憲章、1945年6月26日。50か国。
①の全文は次の通り。
大西洋憲章(一九四一年八月十四日大西洋上ニテ署名)
アメリカ合衆国大統領及ヒ連合王国ニ於ケル皇帝陛下ノ政府ヲ代表スル「チャーチル」総理大臣ハ会合ヲ為シタル後両国カ世界ノ為一層良キ将来ヲ求メントスル其ノ希望ノ基礎ヲ成ス両国国策ノ共通原則ヲ公ニスルヲ以テ正シト思考スルモノナリ 
一、両国ハ領土的其ノ他ノ増大ヲ求メス。
二、両国ハ関係国民ノ自由ニ表明セル希望ト一致セサル領土的変更ノ行ハルルコトヲ欲セス。
三、両国ハ一切ノ国民カ其ノ下ニ生活セントスル政体ヲ選択スルノ権利ヲ尊重ス。両国ハ主権及自治ヲ強奪セラレタル者ニ主権及自治カ返還セラルルコトヲ希望ス。
四、両国ハ其ノ現存義務ヲ適法ニ尊重シ大国タルト小国タルト又戦勝国タルト敗戦国タルトヲ問ハス一切ノ国カ其ノ経済的繁栄ニ必要ナル世界ノ通商及原料ノ均等条件ニ於ケル利用ヲ享有スルコトヲ促進スルニ努ムヘシ。
五、両国ハ改善セラレタル労働基準、経済的向上及ヒ社会的安全ヲ一切ノ国ノ為ニ確保スル為、右一切ノ国ノ間ニ経済的分野ニ於テ完全ナル協力ヲ生セシメンコトヲ欲ス。
六、「ナチ」ノ暴虐ノ最終的破壊ノ後両国ハ一切ノ国民ニ対シ其ノ国境内ニ於テ安全ニ居住スルノ手段ヲ供与シ、且ツ一切ノ国ノ一切ノ人類カ恐怖及欠乏ヨリ解放セラレ其ノ生ヲ全ウスルヲ得ルコトヲ確実ナラシムヘキ平和カ確立セラルルコトヲ希望ス。
七、右平和ハ一切ノ人類ヲシテ妨害ヲ受クルコトナク公ノ海洋ヲ航行スルコトヲ得シムヘシ。
八、両国ハ世界ノ一切ノ国民ハ実在論的理由ニ依ルト精神的理由ニ依ルトヲ問ハス強力ノ使用ヲ抛棄スルニ至ルコトヲ要スト信ス。陸、海又ハ空ノ軍備カ自国国境外ヘノ侵略ノ脅威ヲ与エ又ハ与ウルコトアルヘキ国ニ依リ引続キ使用セラルルトキハ将来ノ平和ハ維持セラルルコトヲ得サルカ故ニ、両国ハ一層広汎ニシテ永久的ナル一般的安全保障制度ノ確立ニ至ル迄ハ斯ル国ノ武装解除ハ不可欠ノモノナリト信ス。両国ハ又平和ヲ愛好スル国民ノ為ニ圧倒的軍備負担ヲ軽減スヘキ他ノ一切ノ実行可能ノ措置ヲ援助シ及助長スヘシ。
フランクリン・ディー・ローズヴェルト  ウィンストン・チャーチル

【炭本さんのボルゴグラード紀行(7回目)1978年訪問1998-06-09記述】
国際局のスラーバさん(英語、独語の教師で最近市役所に入所)から都市ボルゴの歴史説明を受ける。1920代ツアリーツィン、革命成 功後1925年スタ-リングラード、1961年スターリン批判後ボルゴグラードと都市名変わる。無血革命後コサック軍一時占領スターリン・ウロシーロフ等赤軍は戦いの末に町を防衛した。 1930年代トラクター工場等工業都市に発展、1942年のドイツ軍は駅や百貨店を占領、ソビエト軍は北側の製粉工場やパブロフの家により防衛43年1月200日戦争に勝利し、スターリングラ-ド、 攻防戦1942-08~1943-01『栄光あれ』あなたたちの世紀の体験を記念することについて、祖国に永久に保存することについての、石碑あり。英雄都市の称号を受ける。百貨店の入り口鉄板(別紙写真の通り)にドイツ・パウルス将軍に対するソ連邦最高会議の無条件降伏勧告がある、将軍以下捕虜となる。防衛博物館、ボルゴグラード駅の見学。13:00から14:00時まで続いた。ガスティニツア(ホテル)ボルゴにおいてアトーポフ市長晩餐会に4人が招待された。副議長( 女性)とパラヤコフ国際局長も同席された。チョウザメ燻製、スタカン(コップ)4つ、アルブ-ス (スイカ)、ウオッカ、ブドウ酒、紅茶、コニャク等、食べ物ムノーガ(沢山)であった。15:00 目が覚め、ホテルを1人で抜け出てЖатовое 78 (1978年収穫祭)博覧会場とボルゴ駅見学ヘクワスが飲んでみたかったがお金なく残念ながら飲むことは出来なかった。街頭ではアイスクリーム(9カペイカ)売りに行列が出来ていたので並んで求めた。ロシア人は好きな人が多く、よく食べながら歩いていた。夕食はインツーリストホテルで国際局のスラーバが参加してくれた。テーブルには世界の国々の小さな旗が置かれ ている。勿論我々のテーブルには日本とソビエトの国旗があった。(続く)
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