「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

微妙な差に拘ることで人生の「質」を高めよう

2025年02月28日 | 音楽談義

それほど好きな作家というわけでもないが、いつも気になるのが「村上春樹」さん。

なぜかと言えば、作家にも拘らずたいへんな「音楽通」だから。

ちなみに、村上さんのほかに作家と音楽通の二束の草鞋(わらじ)を履いた方といえば・・、筆者が知っている範囲で「五味康佑」氏、「小林秀雄」氏、「百田尚樹」氏、「大岡昇平」氏、「石田 依良」氏、「新井 満」氏。

何しろプロなので表現力が半端じゃないです。



本書の中に次のような一節があります。(72頁)

「文章の書き方みたいなものは誰にも教わらなかったし、特に勉強もしていない。で、何から書き方を学んだかというと音楽から学んだんです。それで、いちばん何が大事かっていうとリズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです」

村上さんの本がなぜ読者を惹きつけるのか、その秘密の一端に触れる思いがしました。

けっして表面に出てくることがない「リズム感」は人間同士の「以心伝心」を始めとして社会のあらゆる場面に潜在しており、理屈では説明できない「サムシング」(雰囲気など)の要となっているのではなかろうか、なんて思ってしまいます。

その村上さんの本に、「雑文集」というのがあります。


            

膨大な作品群があって、とても”ひと括り”には出来ない作家ですが、タイトルに「雑文集」とストレートに銘打つところがいかにも”偉ぶらない、もったいぶらない”村上さんらしい気がします。

周知のとおり、村上さんは作家デビュー前にジャズ喫茶を経営していたほどの音楽好きでその「音楽論」には心惹かれるものがあります。

たとえば、いつぞやのブログで「指揮者小澤征爾との対談集」を題材にしたことがありますが、ジャズのみならずクラシックにも造詣が深いことが伺えます。


ただし、オーディオマニアではないのが残念(笑)。

日常聴かれているのは「レコード」が主体で、それはそれで十分頷けるのだがシステムのほうがアキュフェーズのアンプとJBLの古い3ウェイのSPというずっと不動のラインアップ。

「この音が善くも悪くも自分のメルクマールになっている。そりゃあ、いい音で聴くのに越したことはないがオーディオに手間と時間をかける気にはなれない」とのことで、いっさいシステムを変えようとされない。

たしかに一理あるが、
第三者からすると実に惜しい!

作家だけあってものすごく筆は立つし、前述のように音楽への造詣は深いし、カリスマ性もあるし、もし村上さんがオーディオマニアだったら、前述の「五味康祐」(故人、作家)さんの後継になれたのにと思います。

もしそうなると読者の一部がオーディオに興味を持ったりして日本のオーディオ界も少しは潤い、元気が出たかもしれないですね。

往時の盛況と比べると転落の一途を辿る「オーディオ界」ですが、近年では「You Tube」の可能性に微かな光明を見る思いがしています。


さて、話は戻ってこの「雑文集」の中に「余白のある音楽は聴き飽きない」の標題のもと、以下のような文章がありました。

「僕にとって音楽というものの最大の素晴らしさは何か?

それは、いいものと悪いものの差がはっきり分かる、というところじゃないかな。大きな差もわかるし、中くらいの差もわかるし、場合によってはものすごく微妙な小さな差も識別できる。

もちろんそれは自分にとってのいいもの、悪いもの、ということであって、ただの個人的な基準に過ぎないわけだけど、その差がわかるのとわからないのとでは、人生の質みたいなのは大きく違ってきますよね。

価値判断の絶え間ない堆積が僕らの人生をつくっていく。

それは人によって絵画であったり、ワインであったり、料理であったりするわけだけど、僕の場合は音楽です。

それだけに本当にいい音楽に巡り合ったときの喜びというのは、文句なく素晴らしいです。極端な話、生きてて良かったなあと思います。」

以上のとおりですが、以下、文中の音楽という言葉を勝手に「再生音」に変換させてもらうことにしましょう。

長いことオーディオに熱中し、常にいいの悪いのと価値判断を続けていると、時折り自虐的になることがあります。

いったい何をやってんだろう、こんなに手間と時間を費やしている割りには目立った効果がいきなり上がるわけでもないし、むしろ、一歩前進、二歩後退のときだってあります。

このブログの読者だって「少しばかりの音の差にこだわっていつも騒々しいが、どうもこの人の心理状態がよく分からん。」と、きっと眉を顰める向きがあることでしょう(笑)。

そういう多勢に無勢のときに、村上さんから「微妙な小さな差を識別できることで”人生の質”が違ってくるし、価値判断の絶え間ない堆積が人生を作っていく」なんて言葉を聞かされると、まるで「百万の味方」を得たようにうれしくなります。

ここで村上さんが言う「人生の質」とは人それぞれの受け止め方になるのでしょうが、少なくとも「お金持ち」になることや社会的に「成功する」ことで得られるものでないことはおよそ想像がつきますよね。

で、具体的にどう形容すればいいんでしょう・・、あえて言えば各自が持っている「アンテナ」(社会的受容体)の感度の違いに喩えるのはいかがでしょうか。

たとえば、アンテナの感度の違いによって、「気が付かない」まま過ぎる、あるいは「気が付いているけど知らないふり」をする、この違いは人生の質に大きく関わってくると思いませんか。


ほんのささやかな「音楽&オーディオ」というフィールドですが
、これからも「微妙な差」にこだわりながら「ボケ防止」も兼ねて「アンテナの感度」を高めていくとしましょうかね、ただし・・、ずっとビンボーだったし、偉くもなれなかったので、「はらいせ」や「負け惜しみ」と受けとられると心外です~(笑)。



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