つい先日、図書館から借りてきたのが新刊「文藝春秋2019年の論点」。
内容は政治から国際情勢、はてには芸術、娯楽までいろんな分野にわたって各界の著名な評論家が2019年の展望に向けて2~3頁づつ寄稿したものだった。
例によってタイトルは華々しくて目を引くものの、中身の方は掘り下げ不足でサッパリというのがいかにも「文藝春秋」らしかったが、このブログだって似たようなものであまり偉そうなことは言えない(笑)。
本書のなかにスポーツの分野で「甲子園で881球、金足農業・吉田輝星投手は”投げすぎ”なのか」(94~95頁)というタイトルの評論があった。
著者は野球評論家の「江本孟紀」氏。
江本氏といえばかって阪神タイガースのエースとして活躍していた。「エモヤン」としての呼称もあり、長身で独特のスリークォーターからのストレートにはみるべきものがあったが、ある試合で途中交代を余儀なくされ「ベンチがアホやから」と有名な捨てゼリフを吐いた投手だった。
周知のとおり野球選手にとってベンチの采配への批判は罰金ものだが、いわば「直言居士」の持ち主だといえよう。
その江本氏の評論だが結局、論点整理としてはご自身の投手経験から「881球はけっして投げすぎではない。投手は投げ込めば投げ込むほど自然と力が抜け故障しにくいフォームになる。つまり上半身に頼らない、下半身主導のフォームが身に着く。アメリカのメジャーリーグを基準にするのは愚かだ。」といった趣旨だった。
まあ、いろんな見方があるのだろうが、その中でオヤッと思った表現があった。抜き書きしてみよう。
「ウェートトレーニングなどリハビリ以外では無用。余計な筋肉がつけば体とフォームのバランスが崩れ、それこそ故障につながる。野球は「捻りのスポーツ」であり、柔軟性が肝心だ。無駄な肉があったら、捻りの動きがむしろ阻害されてしまう。」
野球が「捻りのスポーツ」とは初めて耳にした言葉だが、とても新鮮な印象を受けた。
いわゆる「野球頭脳」における「読み」の部分は別にして、野球に必要な身体的な能力を分解してみると「投げる、打つ、捕る、走る」に分類され、この中でも選手の年俸に直結する重要な要素となると「投げる、打つ」に集約されるが、たしかにどちらも「捻る動作」が基本である。
早い球や鋭い変化球を投げる、そして打球を遠くに飛ばす能力は筋肉の鍛え方次第だと思っていたが、柔軟性の方がより重要だとはまさに「目からうろこ」だった。
練習さえすればいいというわけでもなさそうで、天賦の才も必要な野球というスポーツの奥の深さを改めて思い知らされたことだった。
最後に、「スポーツ界の頂点に位置する野球」と題した日経新聞の記事(2018.4.6)を引用しておこう。
「アスリートの中にはどんな競技をしても成功しただろうと感得させてくれるユニバーサルな選手がいる。米大リーグに投打の二刀流で挑戦中の大谷翔平選手はその象徴だろう。
大谷選手の活躍に拍手を送りながら「この子がうちの競技を選んでくれていたら」と歯ぎしりするスポーツ関係者は山ほどいるに違いない。
たとえば相撲なら白鳳を超える大横綱に、ボクシングなら世界ヘビー級チャンピオンに、サッカーならFWやGPの名選手になっていたかもしれない。
すべては妄想に過ぎない。が、次々に浮かぶそんな「もう一つの世界」で遊ばせてくれるところにも大谷選手の希少性がある。(だからこそこの逸材には投打ではなく他の競技との二刀流を見てみたかった気もするのだが)。
大谷選手には今、いろいろな賛辞が贈られている、その中で驚きだったのはアスレチックスの監督の「なんて足が速いんだ」というコメントだった。
スピードとパワーを兼備した大型選手の躍動は米プロスポーツの真骨頂であり、見慣れた光景かと思っていたからだ。それでも大谷選手の速さに言及したのは従来の日本選手像が覆されるような衝撃を感じたということなのだろう。
大谷選手の特大級の活躍を見るにつけ、日本スポーツ界の良質なタレントが野球にはかなり集まっていると改めて感じる。某大学サーッカー部の監督に聞いた話だが、体育の授業でサッカーをさせると、野球部の学生の運動能力とセンスに唸ること再々だとか。
もう一つ感じるのは野球という競技が開発する運動能力の部分。外周23センチほどのボールが時速160kmという単位で飛び交う中、投げて打って走って捕まえてを繰り返し、鍛えられる特別な能力があるのだろう。
大谷選手は何をしても大成したと思いつつ、野球によってここまで大きくなったとも思うのだ。」
以上のとおりだが、大谷選手の筋肉の柔軟性は有名で胸を張ると左右の肩甲骨がくっつくというほどの凄さだそうで、だからこそ「投げる、打つ」の二刀流が可能なのだろう。持って生まれた資質によってきっと来シーズンも活躍してくれるに違いない。
「春=大リーグの開幕」がとても待ち遠しいなあ(笑)。