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┃ 『MEET THE BAD BOYS!』 ┃
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1973(昭和48)年09月20日(木) 東芝EMIレコード
‡2012(平成24)年01月25日(水) UNIVERSAL MUSIC
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┃ 『MEET THE BAD BOYS!』+4 ┃
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1993(平成五)年03月03日(水) UNIVERSAL MUSIC
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https://www.amazon.co.jp/dp/B0047HPFB6
https://tower.jp/item/3017071/MEET-THE-BAD-BOYS!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%82%BA
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THE BAD BOYS のデビューアルバム『MEET THE BAD BOYS』制作、及びデビュー前後のこと
2017(平成29)年09月20日(水) 執筆者:廣田龍人/リッキー廣田
1972(昭和47)年05月14日(日)だったかな? 第4回「日本語のふぉーくとろっくのコンサート」というタイトル! これも定かではありませんが、とにかくデビュー1年前に東京に武者修行に来たのです。場所はハッキリ覚えています。日比谷野外音楽堂で僕等の出演のひとつ前が人気上昇中の「猫」というフォークグループでした。当時、関西では人気のあったTHE BAD BOYSのメンバーを大阪からスカウトして4人を東京に連れて来た上野氏は、関東のステージでどこまで通用するかを試したかったと言ってました。すでにザ・フォーク・クルセーダーズや、はしだのりひことシューベルツのマネージャーをやっていた彼の本心はブライアン・エプスタインになりたかった様です。ところが、その日、彼の心配とは裏腹にステージは大ウケのライブとなり、翌年のデビューへの足掛かりになったのです。
1973(昭和48)年05月01日(火)、遂に上京。実は、私以外の3人は東京進出を強く拒んでいました。ビートルズがリバプールからロンドンに行って成功した様に、首都東京に行かなければ何も出来ないよ! と何度も説得してやっと連れて来たメンバーは不安がいっぱいだったのかも知れません。私は自信に溢れていました。先ずはレコード会社のオーディションを受ける事になってワーナーパイオニアのスタジオでオリジナルナンバーやビートルズナンバーを何曲か演奏しました。結果は不合格でした。ビートルズがデッカのオーディションに落ちた状況と似てます。そして2社目、運命の東芝EMIレコードのオーディションに 受かったのです。ディレクターはザ・リガニーズにいた新田さんです。ひと通りオリジナル曲を演奏し、最後に、「君達の得意な曲を聴かせて欲しい」と言われ、迷わずビートルズナンバーを歌いました。ところが皮肉なことにそれが大いに喜ばれ、結果的にはこれが『MEET THE BAD BOYS』を作ろうというキッカケになったのです。僕等は1年先輩のキャロルやチューリップの様に、オリジナル曲でデビュー出来ると思っていました。キャロルはビートルズのデビュー前のイメージ、チューリップはビートルズの後期のイメージでやっていたので、僕等は一番カッコいい初期のビートルズの様なオリジナル曲を目指そうと考えていたのです。ところが、デビューシングルは吉田拓郎の「ビートルズが教えてくれた」で、デビューアルバムは『MEET THE BEATLES』のパロディにしようとスタッフ内で決められてしまいました。今更大阪に帰れない僕等は従うしかなかったのです。当時は大胆で斬新なアイディアだったかも知れないけれど、僕等には迷惑な話でした。赤坂溜池にあった東芝レコードの第7スタジオでレコーディングは行われました。アルバムは徹底的にビートルズと同じにしようという事でジャケットまでこだわりました。スタジオには最新の8チャンネルのレコーダーがすでにありましたが、基本的には2ャンネルしか使わないという事になりました。でも、どうしてもあの雰囲気が出せません。機械も状況も違う訳ですから。ポールの清水君はヘフナーとリッケンバッカー、フェンダープレシジョンを使い、ベースアンプはVOX。ジョージの川端君はフェンダーテレキャスターで、私は当時日本に一本しかなかったリッケンバッカー、アンプはフェンダーツインリバーブ。リンゴの城間君はラディックで彼が一番ビートルズサウンドに近かったですね。面白かったのは「Please Please Me」でジョンが2番の歌詞を間違って歌ってるので同じ様に歌おうと、その後の“Come On!”でジョンが笑って歌う箇所までコピーしましたが…この部分は笑えましたね。シングル曲の「ビートルズが教えてくれた」に関しては、スタジオに行ったらすでにオケ(カラオケ)が用意されていて、僕等はボーカルだけ入れれば良いという事で、この一件はかなりショックでした。オケは六文銭のメンバーで録音されていた。何故? っていう感じでメンバーも凄く憤慨しました。モンキーズじゃないんだから!結局、ブツブツ言いながら歌いましたけどね。スタジオ内の不満は全てミキサー室に筒抜けで、ディレクターの新田さんから「君達!嫌なら帰っていいよ!」と言われてスタジオを飛び出す一幕もありました。慌ててマネージャーの上野氏が止めましたけどね。デビュー後は、ビートルズが大好きなファンからは大いに支持されました。ビートルズのステージを再現する訳ですから。僕等も、ステージを見に来てる人達から「ジョン!」「ポール!」とか叫ばれて、気持ち悪かったです。全く自分達が描いていたデビューとは違う方向に進んで行ってしまい、毎回、何でビートルズばかりを歌ってるのだろう? と自問しました。それでもデビュー2年目の頃にはオリジナルもちょこちょこ入れましたが、やっぱり来てる人達はビートルズナンバーを期待している人達が圧倒的でした。スタジオワークで驚いたのは、録音スタッフにほとんどビートルズの知識がなかったことです。録音技術は認めますが、ビートルズの曲に関しての知識は僕らの方が詳しかったのです。でも、当時はまだ曲の細かいニュアンスをうまく伝えることができませんでした。だからもう言う通りにするしかなかった。違うと思ってもう1テークやりたいと言っても理解されず、拒否されてしまい、くやしい思いをしました。それも今となっては良い思い出です。(c)2016Yellow Doragon
◆リッキー&ミッシェル、リボルバー他スケジュール>
≪著者略歴≫廣田龍人/リッキー廣田(ひろた・りゅうじん):THE BAD BOYS として、
1973(昭和48)年09月20日(木)、東芝EMIレコードよりアルバム『MEET THE BAD BOYS』でデビュー。ビートルズの完全コピーバンドとして全国のビートルズファンに認知される。現在はリボルバーのリーダーの他、ソロ活動を中心に「リッキー&ミッシェル」「ホットレッグス」「ビーブラッズ」など幅広く活躍。
http://music-calendar.jp/2017092001
音源◆The Beatles - (Here We Go January 26 1963) #4 https://youtu.be/STyC0w2LNYs
***Original BBC Broadcast***
- Chains [0:00] (INCOMPLETE)
- Please Please Me [1:38]
- Ask Me Why [3:14]
- Three Cool Cats [NOT BROADCASTED]
RECORDED: 16 January, 1963 8:00 - 8:45
‡TRANSMITTED: 25 January, 1963, 5:00 - 5:29 p.m.
ANNOUNCER: Ray Peters
PRODUCER: Peter Pilbeam
The Beatles #4 BBC Appearance.
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┃ 『CHAPTER 27 チャプター27』 ┃
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何故ジョン・レノンは殺されたのか
‡2007(平成19)年01月25日(木) Sundance Film Festival
2007(平成19)年12月15日(土) US released
2008(平成20)年03月28日(金) US released
1976(昭和51)年07月27日(火) 長い法廷闘争後、USAグリーンカード取得
1980(昭和55)年12月08日(月) 23:00頃、ダコタ・ハウス前で暗殺
1980(昭和55)年12月06日(土) 元ビートルズのジョン・レノンに心酔する熱狂的なファンの青年マーク・デイヴィッド・チャップマンが、NYの空港に降り立った。彼の目的はただひとつ、ジョンを殺害することだった。世界中を震撼させたジョン・レノン殺害事件。その犯人の生々しい狂気に迫る衝撃サスペンス!
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https://www.amazon.co.jp/dp/B087YZCPNY
https://en.wikipedia.org/wiki/Chapter_27
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映像◆チャプター27 予告編 -Chapter 27- https://youtu.be/TxI_DCOTrW8
†1980(昭和55)年01月25日(金) 成田国際空港 ポール・マッカートニー起訴猶予処分で国外退去
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┃ 『'LET IT BE' DAY BY DAY in color expanded』 ┃THE BEATLES
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【'LET IT BE’ DAY BY DAY in color expanded】マニア必携Mクローデル・レーベルより、初登場映像を数多く含んだ、1969年1月のゲット・バック・セッションの貴重な映像集である。しかも日付順に収録されているため資料的な価値も高い作りとなっている。今まで音源は数多く、ほとんど全てが流出しているが、こと映像となると淋しい限りの状況であった。本作ではそのような現状を解消する必見映像である。なかなか初登場音源ないし映像が出にくくなっていたビートルズのマテリアルを取り巻く状況において、この作品は驚きをもってマニアに受け入れられるであろうと自信を持っている。美しいピクチャー・ディスク仕様の永久保存がっちりプレス盤。スリップケース付。
DVD DISC ONE
Twickenham Film Studios 1969
‡1969(昭和44)年01月25日(sat) January 25, 1969
Dialogue
For You Blue #1
For You Blue #2
Control Room
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http://www.teenagedream-record-3rd.net/?pid=120647554
https://ja.wikipedia.org/wiki/ゲット・バック・セッション
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┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 3』 ┃
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1996(平成八)年10月28日(mon) JP Released
1996(平成八)年10月28日(mon) UK Released
1996(平成八)年10月29日(tue) US Released
◇Disc two (CD2)
◎LP D面 (Record Disc 2)
05."For You Blue" (Savile Row sessions) Harrison
‡1969(昭和44)年01月25日(sat) Apple Studio 2:23
◇Disc two (CD2)
◎LP F面 (Record Disc 3)
21."Let It Be" (Take 1)
‡1969(昭和44)年01月25日(sat) Apple Studio 4:05
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https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHDWNM
https://music.amazon.co.jp/albums/B07FT36GH9
https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_3
https://music.amazon.co.jp/albums/B00H77Z0I6
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┃ Wings Japan Tour 1980 ┃■中止★\(>▽<)/★
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1980(昭和55)年1月16日(水) ポールが大麻取締法違反と関税法違反で東京税関成田支署に現行犯逮捕
1980(昭和55)年1月21日(月) ■中止■日本武道館
1980(昭和55)年1月22日(火) ■中止■日本武道館
1980(昭和55)年1月23日(水) ■中止■日本武道館
1980(昭和55)年1月24日(木) ■中止■日本武道館
‡1980(昭和55)年1月25日(金) ポールは強制送還され成田空港を飛び立つ★\(>▽<)/★
†1980(昭和55)年1月25日(金) ■中止■愛知県体育館
1980(昭和55)年1月26日(土) ■中止■愛知県体育館
1980(昭和55)年1月28日(月) ■中止■フェスティバルホール
1980(昭和55)年1月29日(火) ■中止■大阪府立体育館
1980(昭和55)年1月31日(木) ■中止■日本武道館
1980(昭和55)年2月01日(金) ■中止■日本武道館
1980(昭和55)年2月02日(土) ■中止■日本武道館
【まぼろしの1980年公演】
ビートルズとドラッグの関係は彼らが現役時代から、何かと世間を騒がせてきた。ビートルズ解散後も特にポールは日本公演が2度までも幻となっており、われら日本のファンにとってドラッグといえばポールの名を思い出すことが多い。ここでは'80の1月に予定されていたウイングス来日公演について書いてみた。その直前の日本の盛り上がりにちょっと触れてみたい。'75年秋に予定されていた待望のポール・マッカートニー&ウィングスの来日コンサートが直前になって流れた。理由は「ポールにケシ栽培と麻薬所持の前歴ある」ということで、法務省入国管理局が来日に対してNO!を突きつけた。あの名盤「Wings Over America」のツアーの一環として、オーストラリア公演の次に日本へやって来る予定であった。ビートルズ武道館公演以来9年ぶりのポールのコンサートは、お堅い法務省の役人のつまらん判断により潰されてしまった。
【日本公演スケジュール】
1月21~24日、31日~2月2日 武道館大ホール S席¥4500 A席¥3800 B席¥3000
1月25、26日 愛知県体育館(武道館と料金は同じ)
1月28日 フェスティバルホール S席¥10000、A席¥8000、B席¥6000
1月29日 大阪府立体育館(武道館と同料金)
フェスティバルホールでのチケット料金が異常に高いが、なんと東京だけで7回コンサートがあり、
名古屋、大阪でもステージがあり、合計11回という大盤振る舞いだ。 今ではドーム公演で一回に数万人の観客動員があるが、当時はせいぜい一回で一万人が精一杯、しかし、やろうと思えば11回もポールを見ることも可能だ。またドームに比べて比較的近い場所でポールを見られる素晴らしい環境だったに違いない。ポールより日本のファンにメッセージが届いた。「念願の日本公演実現できることになって嬉しい。親子ともども日本でのコンサートを楽しみにしています。日本公演では特別のプログラムを用意して、必ず日本のファンの期待に応えたい」。今まで以上にビートルズ・ナンバーを取り入れ、日本の曲を1曲演奏することが確認された。「麻薬の前歴のある外国人は原則として入国させない方針でのぞんでいるが、何が何でも入国拒否というのではなく、前歴が軽いものであって、罪を犯してから8,9年たっていれば入国を認める」となんともあやふやな見解を法務省は発表した。 '75にポールの入国拒否事件から5年。この間本人はもとより、様々な関係者による入国許可のための努力があった。招聘元のウドー音楽事務所の根気強い交渉というか、各方面への根回しは相当のものだったという。またポールの要請によりヨーコ・オノが日本での人脈を活用して、なんと政財界を動かして働きかけを行ったという。しかし、一番忘れてならないのはファンの努力である。法務省への嘆願書提出、入国許可を求める数万人規模の署名活動、キャンドル行進などの涙ぐましい地道な、そして世論をも動かす素晴らしい活動があったのだ。こうした日本のファンの活動をポールは知っていたのだろうか?もし、知っていたのだとしたら、何故?こうしてポール、ファン、関係者にとって最悪の運命の日を迎える事となった、、、。
*********************** http://www.asahi-net.or.jp/~wa5y-knn/
http://music.geocities.jp/yjunchan_999/wings-maborosi-japan.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・マッカートニー#日本公演日程
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①┃ THE BEATLES of 1963 ┃(fri)25 January 1963
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Radio broadcast:『Here We Go』
BBC Light Programme, 5.00 - 5.29 pm
Recorded 16 January
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Radio broadcast: The Friday Spectacular
Radio Luxembourg, 10.00 - 11.00 pm
Recorded 21 January
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Concert: Co-operative Hall, Market Street, Darwen, Lancashire
"A retired night club bouncer recalled how he got a lift home from Paul McCartney and George Harrison.
David Yates was on duty ●on January 25th, 1963 when The Beatles played at Darwen Co-operative Hall, a week before they had their first UK number one 'Please, Please Me' . Within a few months the group went on to achieve world wide.
Mr Yates, who ran a fish stall on Darwen market for many years, said that he met the group at the front door of the hall and took them up in a lift to their dressing room.
He said: "They arrived separately. John Lennon and Ringo Starr had driven to Darwen in a van with their roadies, and Paul and George had made their way here in a green Ford Corsair. I couldn't help thinking they were a scruffy bunch. In the dressing room George was even laughing at a tatty string vest he was wearing. What a transformation though when they went out onto the stage, smart grey high collared suits and shiny black Chelsea boots.
"A few girls were hanging around in the corridors as they went to the stage and the group had a bit of a chat with them. The girls were well behaved and there wasn't any hysterical screaming or grabbing at them - like you see in TV clips of their concerts. The girls straight away made a bee line for Paul. He was definitely the favourite.
"After their stage act, which I thought very polished and very professional they signed autographs for another bunch of girls. Their dressing room was filled with loads of women! I managed to get an autograph from all four myself. I still have it today and treasure it."
Mr Yates added: "When they were ready to go Paul asked me which was the best way to get to Southport. I said: 'down the main road and I asked if they'd give me a lift, as I was going that way'. They were happy to oblige and they chatted away as we drove towards Blackburn. Paul dropped off me at the corner of Birch Hall Estate and they disappeared down the road."
Another local had been stopped earlier in the evening by two of the group when they asked him for directions.
Douglas Hargreaves was near The British Queen pub making his way home with his then fiancee, Eileen.
He said: "A rusty white van pulled up beside us and a friendly Scouser with long hair poked his head out of the vehicle and asked me directions to the Co-operative Hall. I knew immediately who they were. I'd heard they were coming and had seen them on TV. I pointed out which way they had to go and they thanked me and drove off. There were two blokes in the front and two in the back all wearing jeans and leather jackets."
Mr Hargreaves added: "Lots of people find it amazing I actually spoke to them but at the time I wasn't really impressed. I wasn't into their music and I was totally focused on getting married at the time - The Beatles were the last thing on my mind!"
Meanwhile, Valerie Baron, 63, of Philip Street was an excited 16-year-old waiting at the Co-operative Hall for the Beatles to arrive that evening
She recalled that things were very different then. Alcohol wasn't allowed and only crisps and soft drinks were for sale. The hall was also very brightly lit and the lights weren't even dimmed when the acts came on.
She said: "I went to the concert with two friends and we'd bought the tickets weeks in advance. I didn't earn very much and I had to borrow money off my dear old mum so I could go.
"I can remember exactly what I was wearing that night, a green fitted dress with lace sleeves and white shoes. It was just before the mini skirt became fashionable so it was just above my knees. I thought I looked great at the time but I laugh about it now. The place was packed with mainly girls. The group had been on a local TV station a few weeks before and everyone knew who they were. We were impatient for the support acts to be finished. They were good but we just wanted The Beatles on stage.
"When they finally came on the whole place erupted into shouts and screams. We pushed to the front and got a good view of the lads. Paul was the one I wanted to get close to. He was so good looking. Some of the girls were really lucky - as the lads bent over singing to them. They sang their new song Please, Please Me which I went out and bought the next week."
Mrs Baron went on: "After they'd finished and left the stage I tried to get their autograph but I was disappointed as I couldn't get in their room. It was too full. I was really excited when they hit the big time knowing that I'd been within a few inches of them. I also thought 'good for them' they seemed decent guys.""
Source: Darwen News
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②┃ THE BEATLES of 1963 ┃(wed)16 January 1963
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Radio recording:『Here We Go』
Playhouse Theatre, Manchester
rehearsal: 4.30 - 5.30 pm;
recording: 8.45 - 9.30 pm;
broadcast: 5.00 - 5.29 pm, (fri)25 January BBC Light Programme
Chains
Please Please Me
Three Cool Cats (not broadcast)
Ask Me Why
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③┃ THE BEATLES of 1963 ┃(mon)21 January 1963
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Photo◆Publicity photos taken by Angus McBean at EMI House in London.
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Radio recording:『The Friday Spectacular』
EMI House, Manchester Square, London
broadcast: Radio Luxembourg, 10.00 - 11.00 pm, (fri)25 January 1963
interview
Please Please Me (from disc)
Ask Me Why (from disc)
The Beatles were interviewed by hosts Shaw Taylor and Muriel Young in front of an audience of 100.
"It was during the recording of a Radio Luxembourg programme in the EMI Friday Spectacular series that I was finally convinced that The Beatles were about to enjoy the type of top-flight national fame which I had always believed that they deserved. The teen-audience didn't know the evening's line-up of artists and groups in advance, and before Muriel Young brought on The Beatles she began to read out their Christian names. She got as far as John ... Paul ... and the rest of her introduction was buried in a mighty barrage of very genuine applause. I cannot think of more than one other group - British or American - which would be so readily identified and welcomed by the announcement of two Christian names. To me, this was the ultimate proof that The Beatles (and not just one or two of their hit records) had arrived at the uncommon peak-popularity point reserved for discdom's privileged few. Shortly afterwards The Beatles proved their pop power when the by-passed the lower segments of the hit parade to scuttle straight into the nation's Top Ten with their second single, PLEASE PLEASE ME."
Source: Tony Barrow's sleeve notes for『PLEASE PLEASE ME』
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①http://www.multiplusbooks.com/630125.html
②http://www.multiplusbooks.com/630116.html
③http://www.multiplusbooks.com/630121.html
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┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年01月25日(水) ライヴ演奏:ハンブルトン・ホール/リヴァプール
②1963(昭和38)年01月25日(金) ライヴ演奏:Co-op ホール/ダーウェン
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①1961(昭和36)年01月25日(水) ライヴ演奏:ハンブルトン・ホール/リヴァプール
これはリヴァプール・ハイトン (Huyton, Liverpool) にあるハンブルトン・ホール (Hambleton Hall) へのビートルズの初めての出演であった。入場料は8:00pmまでは2シリング6ペンス、それ以降は3シリングだった。ビートルズは広告チラシのトップに掲載され、デリー&ザ・シニアズ (Derry & The Seniors)、ファロン&ザ・テンペスト・トルーネードス (Faron & The Tempest Tornadoes) も出演した。このショーは、リヴァプールの東部にあるこのホールのプロモーター、ウォーリー・ヒル (Wally Hill) とヴィク・アントン (Vic Anton) が主催した。ハンブルトン・ホールは自治体が経営する薄汚れた建物で、後には保護観察所になっている。場所はハイトン地区 (Huyton) ページ・モス (Page Moss) のセント・デヴィッド通り (St. David's Road) にあった。
ビートルズはハンブルトン・ホールに、16回出演しているヨ(=^◇^=)
‡1961(昭和36)年01月25日
1961(昭和36)年02月01日 08日 15日 22日
1961(昭和36)年03月08日 20日
1961(昭和36)年08月20日
1961(昭和36)年09月03日 17日
1961(昭和36)年10月15日 29日
1961(昭和36)年11月12日 26日
1961(昭和36)年12月10日
1962(昭和37)年01月13日
②1963(昭和38)年01月25日(金) ライヴ演奏:Co-op ホール/ダーウェン
ビートルズはこの夜、ランカシャー (Lancashire) のダーウェン (Darwen) にあるダンスホールで演奏した。このショーは地元のバプティスト教会のユース・クラブが主催した。彼らは広告のトップに掲載され、他にザ・エレクトーンズ (The Electones)、ザ・マイク・テイラー・コンボ (The Mike Taylor Combo)、ザ・マスタングズ・ウィズ・リッキー・デイ (The Mustangs with Ricky Day) が出演した。この日の5:00pm~5:30pmに、ビートルズが
1963(昭和38)年01月16日(水)に収録したBBCラジオの『Here We Go』がオンエアされ、10:00pm~11:00pmには、
1963(昭和38)年01月21日(月)に収録したラジオ・ルクセンブルグの『Friday Spectacular』がオンエアされている。
③1963(昭和38)年01月16日(水) ラジオ出演:『Here We Go』/マンチェスター (4)
この日マンチェスターでの2つ目の出演は、BBCのラジオショー『ヒア・ウィ・ゴー (Here We Go)』への4回目の出演だった。ビートルズの過去の同番組への出演は、1回目は1962年3月7日、2回めが同年6月11日、3回めが同年10月25日であった。この日はもう一つの出演番組『People And Places』と同時進行でスケジュールが組まれていた。彼らは『People And Places』のリハーサルを4:00pmに終え、ハルム (Hulme) にあるプレイハウス・シアター (Playhouse Theatre) に4:30pmに到着してリハーサルに入る。5:30pmにリハーサルを終えてグラナダTVセンターに戻り、『People And Places』の生本番に臨む。8:45pmに再びプレイハウス・シアターに戻り、『Here We Go』の本番収録で『Chains』『Please please me』『Three Cool Cats』『Ask Me why』の4曲を演奏。収録は9:30pmに終わった。この日はビートルズの5回目のBBCへの出演となった (『Here We Go』に過去3回と1962年11月27日に出演した『The Talent Sopt』)。この日の収録は
‡1963(昭和38)年01月25日(金)の5:00pm~5:30pmにBBCのライト・プログラムでオンエアされるが、『Three Cool Cats』だけはカットされ、その録音テープも廃棄されたようである。
写真◆1963(昭和38)年01月17日(木)『マージービート』誌1963年1月17号に掲載されたNEMSの広告。この日のラジオ出演が放送された頃、街頭に出回っていた
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①https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610125_live_hambleton.html
②https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630125_live_Coop_Darwen.html
③https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630116-2_radio_HereWeGo.html
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┃ THE BEATLES HISTORY ┃| January 25|025
┃ ザ・ビートルズの今日の出来事 ┃| 1月25日 |
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1961(昭和36)年01月25日(水) ビートルズはプロモーターのウォリー・ヒルとビック・アントンと計16回の出演契約を結んだ。その最初のステージ。リヴァプールの東端にあるハンブルトン・ホールというかなりみすぼらしい市営のホールが会場。
1962(昭和37)年01月25日(木) デッカ・レコードのオーディションの結果を待つビートルズ。就任したばかりのマネージャーのブライアン・エプスタインにより、みすぼらしいホールでの演奏は少なくなってきていた。この日はオフ。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=16892
http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/001/0125.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15625015.html
http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
楽曲資料https://beatlesdata.info/
歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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|1963(昭和38)年 1月25日(金)|「弱小レーベルに吹いた風」
|2011(平成23)年 1月25日(火)|甲虫日記更新日 No.087
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●㊦↓は幻の写真◆
英国でリリースされた④曲入りEP盤『THE BEATLES HITS'』
㊤↑、1963(昭和38)年9月 6日(金)発売)と、
米ヴィー・ジェイが発売した米国初のアルバム『Introducing... THE BEATLES』
㊦↓、1964(昭和39)年1月10日(金)発売)=いずれも筆者写す
歴史的なビートルズの「米国上陸」に便乗し、商魂たくましくレコードを売りまくった会社がある。その名は「ヴィー・ジェイ(Vee Jay)」。米国で最初にビートルズのレコードを販売した弱小レーベルだ。その手法は粗製乱造そのもの。ビートルズの楽曲わずか16曲を何度も使い回し、1年9カ月の短期間にアルバム5枚、4曲入りEP盤1枚を含むシングル11枚を売った。4枚のシングルを同時に再発売したり、他のアーティストの曲と抱き合わせた2枚組アルバムを仕立てたりして、販売する権利があった楽曲を最大限に利用した。ヴィー・ジェイは1963年1月25日、ビートルズの英国盤を販売するEMI傘下のレーベル「パーロフォン」と米国販売の契約を交わした。EMIは米国の大手レコード会社キャピトルと提携していたが、キャピトルはビートルズのシングルを米国で発売することを拒否していた。ビートルズのマネジャー、ブライアン・エプスタインは、この資金力のある大手レコード会社に熱心に売り込みをかけるが、担当者は頑として受け付けなかった。というのは、「英国人が歌うロックンロールは米国では売れない」というジンクスが、米国の音楽業界で信じられていたからだ。エルヴィス・プレスリーの登場によって、ロックンロールは人種を超えたエンターテインメントになった。英国製プレスリーが続々と現れた。しかし、海を越える壁は高かった。人気絶頂だったクリフ・リチャードでさえ、60年に「米国上陸」を果たそうとしたが散々な結果に終わる。これに懲りたキャピトルは、英国アーティストのリリースに消極的になった。売り込む側のEMIも、ビートルズにそれほど期待をかけてはいなかった。閉ざされた米国進出の道を切り開こうと、パーロフォンのプロデューサーだったジョージ・マーティンは、「ヴィー・ジェイ」を推挙した。地方都市シカゴに設立された弱小レーベルながら、ブルースやジャズの分野では実績があったからだという。契約から1カ月後の
63年2月25日、ビートルズの米国でのデビュー・シングル「Please Please Me/Ask Me Why」が発売された。5月には2作目のシングル「From Me To You/Thank You Girl」を出した。しかし、2枚ともまったく売れなかった。資金力に乏しい弱小レーベルには、英国の無名のバンドを売り込む戦略も販売網もなかった。弱小レーベルとはいえ、アルバム制作も手がけた。これが米国初のビートルズのアルバム「INTRODUCING THE BEATLES」だ。ところが、トラブルが起きてアルバム発売は一時凍結される。経営者のギャンブル好きが会社の財政を圧迫していた。ビートルズの最初のシングル2枚分の印税をEMI側に支払っていなかったほどだ。このため、米国内でEMIの楽曲販売権を管理するトランス・グローバル社は、ヴィー・ジェイに対し
63年8月8日付で、ビートルズの楽曲販売権の取り消しを通告した。EMIとヴィー・ジェイがもめていると、別の弱小レーベル「スワン」が3枚目のシングル「She Loves You/I'll Get You」を9月に発売した。
◎ヴィー・ジェイのトラブルはまだまだ続いて… 次のページへ
状況が一変するのは、63年12月になってからだ。ビートルズが欧州で爆発的に売れているという情報が米国にも届くようになり、ようやくキャピトルが重い腰を上げた。ヴィー・ジェイとの契約が続行する条件の下、米国でビートルズのレコードを販売する契約を結び、大々的なキャンペーンを始めたのだ。この機に乗じてヴィー・ジェイは、棚上げしていたアルバム「INTRODUCING THE BEATLES」の発売を決断する。最近の研究によると、発売日はキャピトルのファースト・アルバム「MEET THE BEATLES」より10日早い
64年1月10日だという。「INTRODUCING THE BEATLES」は、英国発売のオリジナル・ファースト・アルバム「PLEASE PLEASE ME」に収録された14曲を、印税の支払いを少なくする目的から2曲少ない12曲にして再構成した内容だ。冒頭の「I Saw Her Standing There」は、イントロのポールのかけ声が「1、2、3」までカットされ、いきなり「4」の叫び声から始まる。もっとレアなのはアルバム・ジャケット。英国で発売された4曲入りEP盤「The Beatles's Hits」と見比べてみるといい。すぐに、フィルムのネガを表裏反対に間違えた裏焼き状態になっていることに気づくだろう。急な決定で、慌てていたのかも知れない。販売権をめぐるゴタゴタは、アルバム発売後も続いた。解決策として、キャピトルから販売する権利がないと通告されていた「Love Me Do」と「P.S. I Love You」の2曲を、「Please Please Me」と「Ask Me Why」に差し替えて再発盤を出した。
63年12月26日にキャピトルから発売されたシングル「I Want To Hold Your Hand(抱きしめたい)」は、たった1週間で75万枚を売った。
64年1月16日夜、ビートルズはこの曲が米国の音楽業界誌キャッシュ・ボックスのヒット・チャートで1位になったことを知らされる。
2月7日、ついにビートルズの渡米が実現する。いわくつきのアルバムとなった「INTRODUCING THE BEATLES」だが、歴史的な「米国上陸」効果の恩恵を受け、
2月29日から9週連続でチャート2位を記録した。その間、1位はキャピトル発売の「MEET THE BEATLES!」だった。5月にはヴィー・ジェイが発売したシングル「Love Me Do」がビルボード誌のチャート1位に輝いた。「Twist And Shout」と「Do You Want To Know A Secret」は2位を記録。「Please Please Me」は再発盤が3位まで上がった。時流に乗ったかに見えたが、契約上、ビートルズの楽曲を販売できたのは
64年10月15日まで。ビートルズのおかげで相当な収益を得たはずの弱小レーベルも、元からの放漫経営がたたり、65年に倒産している。
◎『この日のビートルズ』の次回は2月18日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/110125.html
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┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
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‡(wed)25 January 1961 Huyton, England, Hambleton Hall
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┃ Winter 1963 UK Tour, Part 1 ┃THE BEATLES SHOW
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‡No.13 (fri)25 January 1963 Darwen, England, Co-Operative Hall
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┃ Winter 1964 France show ┃THE BEATLES SHOW
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‡No.11 (sat)25 January 1964 Paris, Olympia Theatre (10)
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https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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┃ The Savage Young Beatles 1950s 1963 ┃
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(wed)16 January 1963 BBC Playhouse Theatre St. John's Road Hulme, Manchester
This is The Beatles' fifth appearance on the BBC. These recordings were broadcast
●25 January on the program,『Here We Go』. These recording were only recently discovered.
Hear the performance
♪Chains♪
♪Please Please Me♪
♪Ask Me Why♪
Also performed and recorded was the song "Three Cool Cats". The song was not featured on the broadcast and the master tape was likely destroyed.
This ad was featured in the
January 17-31, 1963 issue of Mersey Beat which was on the streets at the time of this performance.
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http://www.beatlesource.com/savage/1963/63.01.16%20bbc/63.01.16bbc.html
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