2月26日の花言葉
ミズバショウ
変わらぬ美しさ・美しい思い出
あなたや、わたしは、
もっとすばらしことのために創られているのです。
この人生を何の目的もなく通り過ぎるために、
創られたのではありません。
そのもっともすばらしい目的とは、
人間は、生き、そして愛されるということなのです。
対象が何であれ、知らなければ愛することはできません。
知ることが愛へ導き、愛は奉仕に導きます。
(マザー・テレサ)
ここでいう主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。
(第2コリント3:17)
主という時、神、御子イエス・キリスト、聖霊の三位一体を指しますが、
人格を持たれる聖霊さまを呼ぶ時の主は、キリストの霊です。
義に導き、キリストと一致する霊なので、真理からそれることはありません。
生きている実感がない時、人は聖霊さまが離れてしまわれていることを知らずに、違うものを受け入れている状態だそうです。
聖霊は風ですから、好むところに吹かれ、満たされます。
今日は226事件のあった日。
目の前で愛する父親が青年将校の44発の銃弾によって殺された光景を見た少女がいました。
その少女はやがてカトリック信者となり、
広島のノートルダム女学院の清心女学院の理事長となって教育者としての人生を生かされました。
命の尊さを訴え、自殺防止のために祈る人たちがいます。
あなたはひとりじゃない。
あなたの居場所は創造主である神さまのみてのなかです。
人生は、不公平と思うことがあっても、一生という年月から見れば、みんな平等なのだから、
悲観することも
人と比べたりしない、
誰かを責めたり
自分を責めたりしなくても、神さまが全人類の人生を等しく調整されていることをしれば、きっと平安が与えられるでしょう。
天国に行って初めて知るのではなく、
生きている時に神さまに出会って会話をしていけたら
希望が失望に終わらないことを知るでしょう。
生きよ
わたしが死んだのは、あなたが生きるため。
こんな声を聴くときがあります。
生き辛くて自暴自棄になることも、
どんなことも神さまはご存知だから、
わたしに求めなさいという声を聴いて。
聖霊を受けて孤独から解放してくださる方と歩めるのです。
みこころのままに、
みことばのままに、
主よ、私と共にいてください。
困ったとき、苦しい時、
「イエスさま、助けて」
そう叫ぶだけで神さまが助けてくださいます。
愛されるために生まれてきた一人一人に
ラブコールがされている声を聴けますように。
キリストイエスさまの御名で祈ります。Amen.