4月12日の花言葉
ナスタチウム
愛国心・困難に打ち勝つ・勝利・恋の火 あざけり・光の導き・忠誠心
わたしは、母のことを決して忘れません。
彼女は一日中、 たいへん忙しそうにしているのが常でした。
でも、いつも夕方になると、
大急ぎで父を迎える支度をするのです。
あのころは、 子どもたちにはわかりませんでした。
今日、わたしたちは時間がありません。
お父さんもお母さんも忙しすぎます。
子どもたちが家に帰ってきても、
そこには、 彼らを愛して、ほほえみかけてくれる人がいないのです。
ですから、わたしは、 共労者の方にたいへん厳しいのです。
いつも、こう言っています。
家族をまず優先してください。
もし、あなたが家庭にいなければ、
どうやってあなたの愛が、
人々に向かって育っていくのでしょうか。
(マザー・テレサ)
多くのにせ預言者が起って、
多くの人を惑わすであろう。
また不法がはびこるので、
多くの人の愛が冷えるであろう。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
(マタイ24:11~13)
大和カルバリーチャペルの水曜、木曜祈祷会では、
26聖人の動画を放映されています。
よくこんなに多くの種類をと思うくらい、
26聖人 の一人ひとり、
また様々な地域の歴史も紹介されています。
幼い子ども3人が長崎の西坂の丘で十字架につけられた時、
喜んでいたその顔には、
イエスさまが十字架上で見ておられた光があったのだと思います。
京都で耳を切られた人たちは、
裸足で長崎までの旅を強いられ、
最期に十字架刑で死ぬ運命でした。
さんびし、御言葉を伝えながら歩いたパウロ三木たち伝道者たちの働きは今を生きるわたしたちにも語り継がれています。
時々、ある場所に行った時、感じる祈りがありますが、
大川先生は西坂の丘で今年の2月5日にメッセージを語られ、
夜は原爆資料館でもメッセージをされました。
長崎エルサレム教会が主催しておられたようです。
カトリックもプロテスタントもない、
キリストを信じ愛する者たちが一つになった礼拝が大川牧師の祈りでした。
その後、来年もまた行くと礼拝で仰っています。
天からの祈りを熱く感じ受け取られたのだと思いました。
例は生きて働いているから、
受け止める人に働くのだと思います。
あなたがここに来るのを待っていた・・・。
そんなことが神さまの願いとしてあるのだと思います。
大川牧師は、何度も心臓の病で倒れ入退院を繰り返されていても、
もう少し生かしてくださいと、神さまに祈られ、
台湾のリバイバルを見に行ってくると、台湾地震の前に
行かれたばかりでした。
さらにまた、9日から22日までは沖縄伝道へ。
白い家の教会を中心に7回も説教をすると話しておられました。
82歳の年齢とは思えない神さまの聖霊が常に注がれ、
導かれている姿に、
教会の知り合いの方も「ああなりたい」とおっしゃっていました。
また、礼拝をユーチューブで見ている人たちも、
教会員と同じ思いで祈りつつけ、
神さまに用いられたい思いをひとつとされています。
ネット伝道が美しく用いられている教会の姿だと思います。
地球の隅っこにまで
すべての人に祈りとみことばが届きますように。
淀川キリスト教病院(ホスピスで有名)の柏木先生が、
「人は生きてきたように死んでいく。生きざまが死にざまに反映する 」
とおっしゃっています。
2500人以上の末期感謝さんたちが、
一つ一つ、人生の重荷を剥がれて神さまがお造りになられた姿になって
天に帰っていかれる姿を見てこられて、
イエスさまがおっしゃった
重荷を負うて苦労している者はわたしのもとにきなさい
というマタイ11の御言葉が人の最期まで共にあるのだと思いました。
この重荷をすべて、
人生の最期にイエスさまがとってくださり、
イエスさまご自身が十字架の上で
光を見て満足されたように(イザヤ53)、
すべての人を死の恐怖ではなく、
永遠の命の世界へ、
光の希望に導かれるのだと思います。
希望は失望に終わることはないと、
牢獄でパウロが手紙を書いた言葉(ローマ5)も同じように、
永遠に続く希望を与えられているから安心していなさい。
そんな声が響いてくるのです。
なんと嬉しい神さまの恵みと憐れみでしょう。
感謝して祈ります。
Amen.