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HappyChristmas

名前の力

生活の中にいろいろのことが入り込むので祈れない、
という言い訳をする人たちがいます。 
そんなことはあり得ません。 
祈るために、仕事を中断する必要はないのです。 
仕事を祈りであるかのようにし続ければよいのです。 
黙想をいつもしている必要もなければ、
神と語っていることを意識することも
必要ではありません。 
どれほどそれがすばらしい体験であるにせよ、
大切なのは、神と共にあり、神と共に生き、
神のみこころを自分のものとして行うことなのです。 
清い心で人々を愛し、すべての人、
特に貧しい人々を愛することが、
間断ない祈りになるのです。 
(マザー・テレサ)

多くの人は知りません。
この世には諸霊(悪魔、サタンともいいます。)の存在を神がゆるされていることを。

聖書には、はっきりと書かれています。

わたしは長年、病気と闘っていました。
ある時、元夫と娘を送り出したあと、身体がだるくて寝こんでいました。
すると、大勢の、なんとも言えない重苦しい空気の中に人々がうめいていました。
なかには、わたしを押さえつける人が数名いました。

この現象は長く続きました。
その頃は聖書を毎日読むことはなく、
日曜日に家族揃って教会に行って読むか、困った時に読む程度でした。

怖くて怖くて身体も動かない状態で、
助けてと叫ぶと、解放されていました。

それから数年後、1993年5月に聖霊を信じる宣教師を中心にしたクリスチャン女性の集会に導かれました。
そこで招かれていた宣教師がイエス・キリストの名前をつかって祈ってくれました。

わたしは、許せない人がいたことを聖霊によって指摘されました。
絶対許(赦)せないと叫びながらも、
この場から去る方法は、ゆるすと言わない限り無理だと悟って、
「赦します」と言いました。

身体を縛っていた呪いのようなものから解き放たれたような感覚を受けました。
肉体が全部、背負っていた重荷が十字架に取られ、完全にいやされました。
病気の症状だけでなく、交通事故の後遺症まで癒やされたのです。
(生活習慣からくる症状は残りました。
このことについては、二度と病気になんかなりたくありませんと祈リました。
その祈りが聞かれて聖霊の導きによって、真理であった、
生活習慣を不自然なものから自然に忠実な安全なものに切り変えてから、すべてなくなりました。
不都合な社会の真実を知るきっかけになりました。
それと同時に、
憎しみや恨みなどの悪い感情は自分の体を蝕むことも知りました。
悪魔は人間の内側にある、
神ではない人間の部分のことも言うのではないかと思うようになりました。)

以来、半年間、聖霊の働きを信じ、
聖霊を三位一体の神として重んじる集会に多く出席する機会を与えられました。
1993年11月に、いまの教会のオープニング礼拝に導かれました。
「よく還ってきたね」
主の声を賛美のなかではっきりと聞きました。

時々、苦しめられていた状況がまた起こりました。
その時、『イエスさまの名前』を使って命令してみました。

「わたしはイエス・キリストの愛だけでいい!
すべての霊よ、十字架に還れ!
十字架で全ては完成している。
イエスキリストの名前で命じる!Amen.」
こんな感じの祈りをしました。

すると、どうでしょう?
わたしを掴んでいた感覚、
責めたてていた空気や心の中の感覚が変わったのです。
その場の空気が聖なるものに変わりました。

なんだろう?これは?
単純にそう思いました。

聖書のみことばが響きました。

”よくよくあなた方に言っておく。
あなた方が父に求めるものはなんでも、わたしの名によってくださるであろう。
今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。
求めなさい。
そうすれば、与えられるであろう。
そして、あなた方の喜びが満ちあふれるであろう。
(ヨハネ16:23~24)

これだ!
瞬時に理解できました。

なんでもとイエス様が仰っている!!
イエス・キリストの名前にある力を知りました。
わたしにとっては、まさにミラクルアメイジングでした。

聖書から流れているメッセージは、
イエス・キリストのこと。
イエスさまが十字架で全てを完全に贖われたこと。
すべて=100%です。
このかたを信じ、この名前を使うと、
罪(神に背くこと)もゆるされ、永遠の命が与えられ、どんな祈りも聞かれる。

Rejoice!!
もう、畏れと感謝以外のなにものもない真理を深く知りました。
神さまの愛は無条件です。

以来、阪神淡路大震災の時、
多くのさまよう霊を見た時、
(これは悪霊ではなく、わたしの思いでは、天国に還れない方?の霊だったのだと思います。)
自殺の名所や、
お葬式などのシーンでも、
病院でも夜道でも不安が押し寄せる時でも・・
何かを感じた時、すべてに祈るようになりました。

もちろん、人間関係での様々なシーンも同じです。

「キリストの愛といのちと光が満ちますように。
あふれますように・・・。NameJesus,Amen.]

それだけです。
あとは主が整えてくださいます。

できないこともすべて主に委ねて祈ります。

神さまは死の闇も、諸霊の闇もすべてを支配しておられる方。
人類に与えられたイエス・キリストの名前は天国への鍵、
永遠の命への鍵だったのです。

諸霊はあらゆる人間の心の隙間を見ています。
いつも入り込んできて、
神さまの願い、愛とは違う思いを与えます。

それは御霊の実に反すること。
肉の思いです。
キリストに近づけさせまいとする思い・・・


「悪魔サタンって可愛そうだね。」
娘が高校生の時、家庭集会の礼拝のあと、こんなことを言いました。
イエス様の愛の中にいたいのに、そんな役割をしなければいけないなんて・・・
と言いました。

アダムとイヴをそそのかした蛇も、嫌な役割をして人間の罪深さを示しました。

神さまの領域やご計画の真髄まで人間が入ることはできません。
ただ、
その罪のために御子を人となって肉体を持った形で天から降りて来てくださって
全人類に捧げてくださった。
この恵みに値するものはなにもありません。
神さまご自身が最高の代価となってくださったのです。
人間にはこの代価にお返しできるものは何一つありません。
ただ感謝して
この名前を呼び続け、
祈り、賛美をお捧げしていくばかりです。

神さまの子どもとしてくださることを
イエス様が弟子たちに教えてくださり、
天の御国について語ってくださいました。

イエス様が弟子たちに語られたことば、
また、キリストを信じる人々を迫害していた賢いユダヤ人パウロに
聖霊によって語られたみことばが、
いのちのことばとして、
弱いわたしたちすべてに注がれ、
義の道へ、
神さまが喜ばれる道へ正しく導いてくださいます。


マタイ4章、荒野でイエス様を誘惑に陥らせようとした悪魔のことを読むと、
人間ならなおさら誘惑に遭うのはあたりまえ、アーメンと言えます。

聖霊は、キリストへキリストへ(真理へ)と導く神の霊です。
イエス様が贈ってくださった一人ひとりへの神のご臨在の贈り物です。
聖霊様と一緒に歩むなら、悪魔サタンが近づけない光の中に置かれます。
永遠まで守られます。

誘惑に負けない力は、みことばにあります。
一行でもよいので、
一日一回は聖書を読んで神さまと交わる時間を持ちましょう。

すべてのいのちが十字架の血潮で守られますように。
魂深くからいやされますように。
真の平和な世界に生かされますように。
NameJesus,Amen.


”わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、
もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、
また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
(エペソ6:12)”

1月22日の花言葉
アネモネ
真実・はかない希望・恋の苦しみ・君を愛す
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