9月27日の花言葉
フウセンカズラ
自由な心
フウセンカズラ
自由な心
子どもたちは、彼らを受け入れ、
彼らを愛して、彼らをほめ、
彼らを誇りとしてくれる、
だれかを熱望しているのです。
子どもたちを、
わたしたちの注意や関心の中心に、
もう一度戻そうではありませんか。
こうすることが、
唯一、この世界が生き延びる道なのです。
子どもたちは、未来への唯一の希望だからです。
お年寄りが神に喜ばれるとき、
その子どもたちだけが、
彼らの場所を引き継ぐことができるのです。
(マザー・テレサ)
彼らを愛して、彼らをほめ、
彼らを誇りとしてくれる、
だれかを熱望しているのです。
子どもたちを、
わたしたちの注意や関心の中心に、
もう一度戻そうではありませんか。
こうすることが、
唯一、この世界が生き延びる道なのです。
子どもたちは、未来への唯一の希望だからです。
お年寄りが神に喜ばれるとき、
その子どもたちだけが、
彼らの場所を引き継ぐことができるのです。
(マザー・テレサ)
”本当に、この人は神の子であった。
(マルコ15:39)”
(天声人語)
袴田巌さんの58年:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/DA3S16044666.html
神さま 僕は犯人ではありません。
僕は毎日叫んでいます。
27日付の朝日新聞
天声人語も社説も社会面も
袴田さん無罪のことと冤罪のことが書かれていました。
デジタルには、事件の特集もされています。
獄中からの手紙も載せられています。
私は昨年、
神さま 僕は犯人ではありません。
と書かれた新聞の文字が叫んでいる声を聞きました。
袴田さんは1984/12/24
拘置所でカトリックの洗礼を受けられています。
洗礼名はパウロ
***
1985年6月5日姉・秀子さん宛て
私はパウロという霊名を頂きましたので、
特にパウロの偉大さに心を寄せてゆかなければならないと痛感しました。パウロはキリストの奴隷と自らを認じ、広範な宣教活動に死したのである。それはあたかもイエズス様が十字架上で証したことをパウロは宣教活動の生涯で幾重にも証明したように私には思われる。 (手紙より)
***
永遠の命が与えられた喜びは人生最高の喜びです。
この世のどんな宝物より尊い、
何にも還ることのできない永遠のいのち、
神の愛に生かされる喜びです。
”なんでも祈り求めることは,すでにかなえられたと信じなさい」
(マルコ11:24)”
の御言葉を思い感謝します。
多くの人々が祈ってきたこの事件がやっと無罪になった。
袴田さんが生きておられるうちに無罪判決となった報道に、
本当に涙が止まりませんでした。
58年間の苦しみを、
そばで一緒に苦しみ続けられた神の子イエス・キリストがおられます。
誰にも見えなくても、
主は共にいてくださる神さまです。
イエスさまは十字架刑を受けられた時、
全人類の中でたった一人だけ、無罪の人でした。
罪ある人類の誰一人神の前に出ることなどできない、
そんな罪人でしかないものたちに変わって
罪なき方が、
神であることにも固執せず
十字架にかかって
全人類の罪の身代わりとなって
死んでくださいました。
あなたが生きるために。
2000年前に起きた十字架刑と
袴田さんの十字架が重なって、
神の子とされている人として注がれている神さまの愛を感謝し祈りました。
信じるものに与えられる神の子の身分。
無条件に与えられる恵みです。
これからの人生が平安でありますように。
主よ、どうか、
罪をおかさずにいられない愚かな人類をおゆるしください。
あなたの十字架があるから
わたしたちは生きている、
神のゆるしを受けて生かされていることを心から感謝します。
神の家族である人類が
互いに愛し合うことができますように。
キリエ・エレイソン
Amen