■常楽寺~長寿寺~善水寺(滋賀県・湖南市)
滋賀県の古寺巡礼には何度も出かけている。去年もこの時期は、油日の櫟野寺を見に行ったし、その前年は湖東三山だった。すっかり都市化した京都・奈良に比べて、まだ、観光客も少なく、のんびりした田園風景が好きなのだが、毎度、交通の便の悪さには悩まされる。
今年は、11月12日~27日の2週間、草津線沿線の名刹「湖南三山」が一斉公開し、臨時バスが走ることになった。しかも、職場の友人(同じく数寄者)が、公開早々に出かけ、ハイキング地図や臨時バスの時刻表を手に入れてきてくれたので、私は万全の体制で、この旅に臨むことができた(感謝、感謝)。
野洲のホテルを早めに発ち、石部駅を出る路線バスに乗る。まだ観光客らしい乗客はいない。開門前の常楽寺に着くと、マイカーでやってきた参拝客たちが、門前の紅葉を写真に収めていた。やがて、9時の開門になると、参拝客は、三々五々、境内に流れ込んだ。
なんて優しい風景なのだろう。紅葉に荘厳された本堂は、屏風のような小高い丘に抱かれて、何か、大きな生き物が、静かにうずくまっているように見える。高台に立つ三重塔を見上げると、屋根の裏の垂木が、椎茸の傘のようだ。母鳥が翼を広げて、雛を守る姿にも似ている。丘に上がって、本堂を見下ろすと、桧皮葺の大屋根のラインは、そのまま、遠景の山並みに連なり、靄の中に溶け込んでいく。ここでは、自然と人為にほとんど区別がない。もしかしたら、戦前の奈良はこんなふうではなかったか、と思う。
再び路線バスに乗る。さっきと同じ運転手さんのバスだったが、既にたくさん観光客が乗っている。長寿寺は、瀟洒な紅葉のトンネルの奥にあり、京都の嵐山かどこかのようだ。大きな阿弥陀如来に参拝した。
次は臨時バスで善水寺へ。ここだけは再訪である。前回は、路線バスの停留所(岩根)から、てくてく歩いた。本堂は高い山の上にあるので、覚悟を決めて急坂を上り始めたら、通りがかったトラックのおじさんに「善水寺に行くの? 乗っていきな」と声をかけてもらった記憶がある。
今回の臨時バスは、別ルートで、裏山の温泉保養地をまわって、本堂前に到着した。庭が整備された(?)のと、人が多いのとで、ずいぶん印象が違う。しかし、本堂の中に入って、畳の上の仁王像(かつて、山門が洪水で流された由)を見ると、なんとなく思い出すものがある。本尊(秘仏)のお厨子の左右には、十二神将、四天王、そして梵天と帝釈天がおいでになる(古い形式らしい)。梵天と帝釈天が、どちらも、少し下ぶくれの丸顔で、穏やかなのがいい。四天王は、右の二体のほうが顔が小さく、重心が高い。左の二体とは、明らかに違う手である。
外陣には、ご本尊の薬師如来の写真パネルが置いてある。近寄って、その写真をじっと見た。私は2001年の御開帳の際、このご本尊を拝んでいる。しかし、つい先日、京都国立博物館の『天台の国宝』展で再会しても、全く記憶がよみがえらなかった。なぜなんだろう?
やがて気がついた。写真のご本尊は、非常に印象的な光背を背負っている。木製だと思うが、緑の唐草、赤い雲に化仏が描かれ、あたかも唐三彩のようだ。これがあるとないとでは、ずいぶん印象が違うだろう。私は本堂の隅で、バッグの中から、ぶ厚い『天台の国宝』の図録を取り出し、確認した。やっぱり、光背はない。
うーむ。これは見逃しがたいので、本堂で、光背を背負ったご本尊の写真を買っていくことにした。堂内の説明をしてくれたお姉さんに「京都の博物館では、光背はありませんでしたね」とお聞きしたら、「そうです、光背は持っていかなかったんです」。「平成13年には、52年ぶりのご開帳があったんですよ」とおっしゃるので、「私は、そのときも東京から来ました」と申し上げたら、びっくりして、喜んでくれた。「来年の春には、ご本尊が東京まで行きますが、たぶん最初で最後だと思います」という。よしよし、必ず、東博でお会いしよう。
こうして、湖南三山の巡礼を完遂。次のバスが来るまで、まだ時間があるので、駐車場に作られた売店で、ちらし寿司(200円)と具沢山の味噌汁(50円)を買って、満足の昼食。少し早めに帰京の途に着いたのだった。
滋賀県の古寺巡礼には何度も出かけている。去年もこの時期は、油日の櫟野寺を見に行ったし、その前年は湖東三山だった。すっかり都市化した京都・奈良に比べて、まだ、観光客も少なく、のんびりした田園風景が好きなのだが、毎度、交通の便の悪さには悩まされる。
今年は、11月12日~27日の2週間、草津線沿線の名刹「湖南三山」が一斉公開し、臨時バスが走ることになった。しかも、職場の友人(同じく数寄者)が、公開早々に出かけ、ハイキング地図や臨時バスの時刻表を手に入れてきてくれたので、私は万全の体制で、この旅に臨むことができた(感謝、感謝)。
野洲のホテルを早めに発ち、石部駅を出る路線バスに乗る。まだ観光客らしい乗客はいない。開門前の常楽寺に着くと、マイカーでやってきた参拝客たちが、門前の紅葉を写真に収めていた。やがて、9時の開門になると、参拝客は、三々五々、境内に流れ込んだ。
なんて優しい風景なのだろう。紅葉に荘厳された本堂は、屏風のような小高い丘に抱かれて、何か、大きな生き物が、静かにうずくまっているように見える。高台に立つ三重塔を見上げると、屋根の裏の垂木が、椎茸の傘のようだ。母鳥が翼を広げて、雛を守る姿にも似ている。丘に上がって、本堂を見下ろすと、桧皮葺の大屋根のラインは、そのまま、遠景の山並みに連なり、靄の中に溶け込んでいく。ここでは、自然と人為にほとんど区別がない。もしかしたら、戦前の奈良はこんなふうではなかったか、と思う。
再び路線バスに乗る。さっきと同じ運転手さんのバスだったが、既にたくさん観光客が乗っている。長寿寺は、瀟洒な紅葉のトンネルの奥にあり、京都の嵐山かどこかのようだ。大きな阿弥陀如来に参拝した。
次は臨時バスで善水寺へ。ここだけは再訪である。前回は、路線バスの停留所(岩根)から、てくてく歩いた。本堂は高い山の上にあるので、覚悟を決めて急坂を上り始めたら、通りがかったトラックのおじさんに「善水寺に行くの? 乗っていきな」と声をかけてもらった記憶がある。
今回の臨時バスは、別ルートで、裏山の温泉保養地をまわって、本堂前に到着した。庭が整備された(?)のと、人が多いのとで、ずいぶん印象が違う。しかし、本堂の中に入って、畳の上の仁王像(かつて、山門が洪水で流された由)を見ると、なんとなく思い出すものがある。本尊(秘仏)のお厨子の左右には、十二神将、四天王、そして梵天と帝釈天がおいでになる(古い形式らしい)。梵天と帝釈天が、どちらも、少し下ぶくれの丸顔で、穏やかなのがいい。四天王は、右の二体のほうが顔が小さく、重心が高い。左の二体とは、明らかに違う手である。
外陣には、ご本尊の薬師如来の写真パネルが置いてある。近寄って、その写真をじっと見た。私は2001年の御開帳の際、このご本尊を拝んでいる。しかし、つい先日、京都国立博物館の『天台の国宝』展で再会しても、全く記憶がよみがえらなかった。なぜなんだろう?
やがて気がついた。写真のご本尊は、非常に印象的な光背を背負っている。木製だと思うが、緑の唐草、赤い雲に化仏が描かれ、あたかも唐三彩のようだ。これがあるとないとでは、ずいぶん印象が違うだろう。私は本堂の隅で、バッグの中から、ぶ厚い『天台の国宝』の図録を取り出し、確認した。やっぱり、光背はない。
うーむ。これは見逃しがたいので、本堂で、光背を背負ったご本尊の写真を買っていくことにした。堂内の説明をしてくれたお姉さんに「京都の博物館では、光背はありませんでしたね」とお聞きしたら、「そうです、光背は持っていかなかったんです」。「平成13年には、52年ぶりのご開帳があったんですよ」とおっしゃるので、「私は、そのときも東京から来ました」と申し上げたら、びっくりして、喜んでくれた。「来年の春には、ご本尊が東京まで行きますが、たぶん最初で最後だと思います」という。よしよし、必ず、東博でお会いしよう。
こうして、湖南三山の巡礼を完遂。次のバスが来るまで、まだ時間があるので、駐車場に作られた売店で、ちらし寿司(200円)と具沢山の味噌汁(50円)を買って、満足の昼食。少し早めに帰京の途に着いたのだった。