○丸谷才一『いろんな色のインクで』 マガジンハウス 2005.9
考えてみると、もう十数年も前から、俳優、ミュージシャン、スポーツ選手、学者、ジャーナリスト、政治家、どんな分野を見渡してみても、丸谷さんほど好きなおじさんはいない。無類の読書家で、博識で、日本語の達人。子どものように好奇心旺盛で、趣味のいい紳士で、あまり表に出さないが、実は頑固な反体制派である。だから丸谷さんの本を開くときは(自分がおばさんになったことを忘れて)嬉しさと照れと緊張で、好きなおじさんの前に出た小娘みたいな心境になってしまう。
さて私は、丸谷さんの小説も読むし、古典評論も、歌仙、発句集も好きだ。本をネタにしたエッセイは何より大好きなのだが、彼の重要な仕事の一分野である、書評集にはちょっとたじろぐ。だって、自分の読書量の不足を思い知らされるんだもの...本書には74の書評が収められているが、私が読んだ作品は、片手の指にも満たなかった。恥ずかしい話だ。
しかし、冒頭のインタビューによれば、書評の効能の1つは、「実際は本を読まない人でも、一応それを読めば間に合う」ことだと丸谷さんは言う。「新刊書ってのは(普通の人は)そんなに読めるもんじゃないですよ」と言ってもらって、だいぶ気が楽になった。
本書に収められた書評には、さまざまなスタイルがある。ストーリーの導入部を詳しく紹介し、落ちやクライマックスは明かさないもの。本文の一部を引用して示すもの。初めから終わりまでのあらすじを要約して示すもの(批評的な文言は少なくなる)。最後の型は、イワン・ブーニン短編集の『ルーシャ』とか、写真家マーガレット・バーグ=ホワイトの生涯を描いた山崎正和の『戯曲 二十世紀』、筒井康隆『私のグランパ』などの書評で使われている。どれも原文を読み通したような感動で、胸にぐっと来てしまった。
本書の後半には、新刊書の内容見本やオビに書いた短文が集められているが、これがまた本好きのツボを心得た名人芸である。成島柳北『硯北日記』の内容見本を、「書物譚」と題して、「王立図書館焼失の代償としてマルクス・アントニウスがクレオパトラに贈った二十万冊の本は、あらゆる恋の贈り物のなかで最も豪奢な品ではないか」で始めるんだから!
最後に、この際、もうひとりの「好きなおじさん」について書いておきたい。丸谷さんは、以前から野球解説者の豊田泰光さんを贔屓にしているが、私も中学生の頃、ラジオでナイター中継を聞いていて、いちばん好きなのが豊田泰光さんだった。現役時代の成績が素晴らしいし、それに美男である、というが、私は西鉄ライオンズを知らなかったし、少し後になって「プロ野球ニュース」が始まるまで、豊田さんの顔も知らなかった。ただ、彼の声と話芸が好きだったのだ。この点、私は自分の日本語の好尚が正しかったことを、ひそかに誇りたいと思う。
考えてみると、もう十数年も前から、俳優、ミュージシャン、スポーツ選手、学者、ジャーナリスト、政治家、どんな分野を見渡してみても、丸谷さんほど好きなおじさんはいない。無類の読書家で、博識で、日本語の達人。子どものように好奇心旺盛で、趣味のいい紳士で、あまり表に出さないが、実は頑固な反体制派である。だから丸谷さんの本を開くときは(自分がおばさんになったことを忘れて)嬉しさと照れと緊張で、好きなおじさんの前に出た小娘みたいな心境になってしまう。
さて私は、丸谷さんの小説も読むし、古典評論も、歌仙、発句集も好きだ。本をネタにしたエッセイは何より大好きなのだが、彼の重要な仕事の一分野である、書評集にはちょっとたじろぐ。だって、自分の読書量の不足を思い知らされるんだもの...本書には74の書評が収められているが、私が読んだ作品は、片手の指にも満たなかった。恥ずかしい話だ。
しかし、冒頭のインタビューによれば、書評の効能の1つは、「実際は本を読まない人でも、一応それを読めば間に合う」ことだと丸谷さんは言う。「新刊書ってのは(普通の人は)そんなに読めるもんじゃないですよ」と言ってもらって、だいぶ気が楽になった。
本書に収められた書評には、さまざまなスタイルがある。ストーリーの導入部を詳しく紹介し、落ちやクライマックスは明かさないもの。本文の一部を引用して示すもの。初めから終わりまでのあらすじを要約して示すもの(批評的な文言は少なくなる)。最後の型は、イワン・ブーニン短編集の『ルーシャ』とか、写真家マーガレット・バーグ=ホワイトの生涯を描いた山崎正和の『戯曲 二十世紀』、筒井康隆『私のグランパ』などの書評で使われている。どれも原文を読み通したような感動で、胸にぐっと来てしまった。
本書の後半には、新刊書の内容見本やオビに書いた短文が集められているが、これがまた本好きのツボを心得た名人芸である。成島柳北『硯北日記』の内容見本を、「書物譚」と題して、「王立図書館焼失の代償としてマルクス・アントニウスがクレオパトラに贈った二十万冊の本は、あらゆる恋の贈り物のなかで最も豪奢な品ではないか」で始めるんだから!
最後に、この際、もうひとりの「好きなおじさん」について書いておきたい。丸谷さんは、以前から野球解説者の豊田泰光さんを贔屓にしているが、私も中学生の頃、ラジオでナイター中継を聞いていて、いちばん好きなのが豊田泰光さんだった。現役時代の成績が素晴らしいし、それに美男である、というが、私は西鉄ライオンズを知らなかったし、少し後になって「プロ野球ニュース」が始まるまで、豊田さんの顔も知らなかった。ただ、彼の声と話芸が好きだったのだ。この点、私は自分の日本語の好尚が正しかったことを、ひそかに誇りたいと思う。