見もの・読みもの日記

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戦後日本のグランド・デザイン/吉田茂(原彬久)

2005-12-22 22:50:57 | 読んだもの(書籍)
○原彬久『吉田茂:尊皇の政治家』(岩波新書) 岩波書店 2005.10

 吉田茂については何冊かの本を読んでみたが、なかなか自分なりの評価が定まらない。非常に魅力的な人物に感じられるときもあるし、そうでない場合もある。本書は、どちらかというと後者だったが、同時に、何故こんなふうに印象が揺れるのか、その理由が少し分かったような気がした。

 吉田は基本的には帝国主義者であり、「臣茂」と自称したほどの天皇崇拝者だが、狂信的な国家主義者と一線を画す、欧米的教養の持ち主だった。日米の早期和平に努力したため、憲兵隊に捕えられて、投獄された経験を持つ。だから、戦時中の軍部独裁との対比においては、そのリベラルな面が際立ち、進歩的で魅力的に見える。しかし、民主主義の理想とよくよく対比させてみると、まるでお話にならないほど、頑迷固陋な保守主義者であることが分かる。

 そして、戦後日本の骨組みを作ったのは、こういう人物だったということを、我々は、もう一度、噛み締めたほうがいい。戦争の道義的責任を取って退位しようとしていた天皇の決意を葬り去り、のみならず、天皇の「謝罪」さえ封印して、天皇制の存続をはかったこと。アメリカの懐にすり寄り、見かけだけは日本の「独立」を勝ち取ったこと。憲法九条のもとで自衛隊を保持するという論理破綻に敢えて「頬かむり」したこと――我々は、否も応もなく、吉田の作った戦後日本に今も生きている。

 戦後「民主」社会なんて、その程度のものだ、と言い捨てたら、叱られるだろうか。でも現実は受け入れるべきだ。幻想は早めに捨てたほうがいい。

 本書の直前に読んだ『天皇と東大』(立花隆)を思い出してみると、そもそも近代日本のグランド・デザインは、官僚主導で立ち上がり、一時的に軍部が権力を奪取したのがあの戦争で、敗戦によって、再び官僚のもとに権力が戻ったということではないかしら。「文」と「武」の闘争というのは、長い日本の歴史、もしかしたら東アジアの歴史の伝統に位置づけられるのかもしれない。

 昨今、官僚政治の弊害がいろいろ言われているけれど、最大の批判根拠になっているのは、経済性である。そうすると、官僚→軍→官僚から、さらに資本家への権力委譲が起こりつつあるのかもしれないが、やっぱり、それは「民主政治」ではない。近代化120年、この国は相変わらず「民主、未だ成らず」の状態をさまよい続けるのだろうか。
コメント
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