見もの・読みもの日記

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馬賊になった日本人/馬賊(渡辺龍策)

2005-12-29 22:25:37 | 読んだもの(書籍)
○渡辺龍策『馬賊:日中戦争史の側面』(中公新書)中央公論新社 1964.4

 書店で、めずらしいタイトルを見るなあと思ったら、このたび「復刊」された中公新書の名著3冊のうちの1冊だった。先だって読んだ高島俊男の『中国の大盗賊・完全版』が脳裡によみがえって、つい買ってしまった。

 高島さんの前掲書は、飄々として、どこか絵空事の講談を聴くような味わいがあったが、本書は、ずっと現実的である。ただし、無味乾燥な公式記録で語られる歴史ではない。「本書におりこまれた挿話のほとんどは、私じしんが直接にかいま見たか、あるいは交際をむすんだひとびとの表面に浮びでた行動に関するものである」と語るだけあって、行間には、汗と黄砂と、それから硝煙の匂いがする。

 1903年(明治36年)生まれの著者は、5歳のとき、「袁(世凱)に抱かれてあやされ、肩骨を脱臼した」という。ひー。軍閥割拠から抗日戦争まで、動乱の中国を、バリバリの現場で体験してきた人物である。

 私は、本書『馬賊』を、当然、中国史の一側面だと思って読み始めた。ところが、豈にはからんや、そこには実に多くの日本人が登場する。この時代、「国家」対「国家」の侵略とか戦争責任の問題はさておき(それはそれでちゃんと論じられるべきだが)、中国の民衆と日本の民衆って、こんなに深く、お互いの懐に食い入るような関係を持っていたんだなあ、ということに唖然とした。

 最も印象的だったのは、馬賊になった2人の日本人だ。どちらも、私には、初めて聞く名前だった。ひとりは尚旭東または小白龍と呼ばれた小日向白朗(こひなた はくろう)。日本人であることを隠したまま、はじめ東北抗日義勇軍、のち興亜挺身軍を率いた。しかし、日本軍が暴虐の度を強めるに応じて、興亜挺身軍の解散を決意し、同志たちに述べたという。日本軍の覇道も、貴族化した国民政府も中国の四百余州を救うことはできない、「将来に留意すべきは八路(バールー)のみ」と。

 今年の夏、CCTV(中国中央電視台)制作のドラマ『八路軍』を衛星放送で見ていた。”東洋鬼子”の日本人は、さぞ悪辣非道に描かれるんだろう、と思っていたら、外交的配慮なのか、そうでもなかった。捕虜となったあと、改心して八路軍に身を投ずる日本軍兵士が、重要な役どころを果たしていて、これはないだろう~、と失笑して見ていたが、あながち荒唐無稽とは言い切れないかもしれない。なお、著者によれば、執筆当時(1964年)、小日向は東京で元気な余生を送っていたという。

 もうひとりは、中国名・張宗援を名乗った伊達順之助。天才的な拳銃使いで、日本軍の”御用馬賊”として抗日勢力の討伐・帰順工作に励み、ときには日本軍の下請けで、大量の捕虜の虐殺を行った。しかし、日本軍の中国侵攻が組織化・近代化するにつれ、邪魔者扱いされるようになり、失意のうちに敗戦を迎える。中国(蒋介石)政府に捕えられ、上海監獄で銃殺された。

 著者は伊達について語る。「かれは、性来、中国の風土が好きであった。いや、中国の風土が体内にとけこんだような男であった」。そして、中国の農民に「一種の愛情」さえ感じていたにもかかわらず、自分の所業が中国の民衆を苦しめているという認識がない。うーん、佐野眞一さんが『阿片王』で描いた里見甫(はじめ)を思い出す。中国の風土って、困ったことに、こういう性向の日本人を惹きつけ、狂わせる魔力があるんだよなあ...

■参考:小日向白朗(谷底ライオン)  
小日向白朗と馬賊についての充実した文献リスト。あ~また読みたい本が増えていく。
http://homepage2.nifty.com/tanizoko/kohinata_hakurou.html
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