○三の丸尚蔵館 第40回展『花鳥-愛でる心、彩る技<若冲を中心に>』
http://www.kunaicho.go.jp/11/d11-05-06.html
今朝はNHKの新日曜美術館でプライス・コレクションの特集をやっていて、三の丸尚蔵館もチラリと映っていた。これでまた、両展とも観客が増えるに違いない。
私が本展に出かけたのは、放送前日の土曜日だった。今期は何が見られるだろう? 季節から言って『向日葵雄鶏図』かな。2枚組の『群魚図』はあるかしら。手元に全期の展示リストがあるのだから、チェックして行けばいいのだが、敢えてそれをしない。会場に入ったときの驚きを楽しみたいからである。答えを先に言ってしまうと、今期は『老松白鳳図』『向日葵雄鶏図』『大鶏雌雄図』『群鶏図』『池辺群虫図』『貝甲図』の6点だった。
若冲の動植綵絵は、無類の絶品である。それが6点も並んでいるのだから、およそどんな作品を並べても、迫力負けするということはあり得ない。しかし、今期は、会場に入った瞬間、私の目は動植綵絵を通り越して、その隣の巨大な画幅に吸い付けられてしまった。同じ若冲の『旭日鳳凰図』である。
すごい。実物を見るのは初めてだろうか? この作品の存在は知っていたが、あまりいいとは思わなかった。上記のサイトにも小さい写真があるが、ゴテゴテして珍妙で、お世辞にも美しいとは思えないだろう。ところが、実物はいいのだ! これが美術品の不思議なところ。動植綵絵と同様の、華麗な色づかい。曖昧なところが一ヶ所もない、精緻で明晰な造型。しかし、描かれているのは鶏や鸚鵡ではない。空想上の鳥、つがいの鳳凰である(鳳がオス、凰がメス)。一体、これは写実なのか仮想現実なのか。
鳳凰の体に使われているのは、白、茶、青、緑など、決して派手な色彩ではない。しかし、白の使い方が特徴的なのだ。尾羽根の筋目に沿って、蝶の燐粉のように置かれた白。たてがみを縁取る白は、霜を戴いた松のようだ。そして、レースのような波。飛び散る真珠のような水滴は、鳳凰の羽根の模様に連なっている。
羽根を広げている方がオスで、閉じている方(ピンクの頬が色っぽい)がメスなのだろう。しかし、一見した印象は、どちらも女性的である。よく知らないけど、江戸時代の花魁ってこんな感じかなあ、と想像した。豪奢な羽根、不釣合いに華奢な脚。そして、艶治だけど表情の読めない人工的な顔つき。
少し間をあけて、隣に動植綵絵の『老松白鳳図』が並んでいた。ほぼ同じポーズだが、こちらは輝くような純白の羽根に包まれていている。なんだか、花嫁と花魁を並べたようだ。少し離れて2枚を交互に眺めていると、片方の視界に片方の残像が滑り込んでくるようで、興味深かった。
ところで『老松白鳳図』の画面には、よく見ると、もう1羽、山鳩か何か、地味な小鳥がそっと描き込まれている。松の枝からずり落ちそうになりながら、びっくり眼で白鳳を見つめている姿が、微笑ましい。
このほかは『向日葵雄鶏図』『大鶏雌雄図』『群鶏図』のニワトリ3連作。若冲のニワトリが魅力的なのは、精緻に描かれた羽毛の美しさもあるけれど、ポイントは”目力”なのではないか、と思った。そこに「生命がいる」ことを訴えてくるような目力が、若冲の絵にはある。
いや、これでは言い足りないかもしれない。『貝甲図』では、どこにも「目」は描かれてないのに、それでも私は「生命」の視線を感じる。画面の中から呼びかけてくる「生命」の存在を感じるのだから。
http://www.kunaicho.go.jp/11/d11-05-06.html
今朝はNHKの新日曜美術館でプライス・コレクションの特集をやっていて、三の丸尚蔵館もチラリと映っていた。これでまた、両展とも観客が増えるに違いない。
私が本展に出かけたのは、放送前日の土曜日だった。今期は何が見られるだろう? 季節から言って『向日葵雄鶏図』かな。2枚組の『群魚図』はあるかしら。手元に全期の展示リストがあるのだから、チェックして行けばいいのだが、敢えてそれをしない。会場に入ったときの驚きを楽しみたいからである。答えを先に言ってしまうと、今期は『老松白鳳図』『向日葵雄鶏図』『大鶏雌雄図』『群鶏図』『池辺群虫図』『貝甲図』の6点だった。
若冲の動植綵絵は、無類の絶品である。それが6点も並んでいるのだから、およそどんな作品を並べても、迫力負けするということはあり得ない。しかし、今期は、会場に入った瞬間、私の目は動植綵絵を通り越して、その隣の巨大な画幅に吸い付けられてしまった。同じ若冲の『旭日鳳凰図』である。
すごい。実物を見るのは初めてだろうか? この作品の存在は知っていたが、あまりいいとは思わなかった。上記のサイトにも小さい写真があるが、ゴテゴテして珍妙で、お世辞にも美しいとは思えないだろう。ところが、実物はいいのだ! これが美術品の不思議なところ。動植綵絵と同様の、華麗な色づかい。曖昧なところが一ヶ所もない、精緻で明晰な造型。しかし、描かれているのは鶏や鸚鵡ではない。空想上の鳥、つがいの鳳凰である(鳳がオス、凰がメス)。一体、これは写実なのか仮想現実なのか。
鳳凰の体に使われているのは、白、茶、青、緑など、決して派手な色彩ではない。しかし、白の使い方が特徴的なのだ。尾羽根の筋目に沿って、蝶の燐粉のように置かれた白。たてがみを縁取る白は、霜を戴いた松のようだ。そして、レースのような波。飛び散る真珠のような水滴は、鳳凰の羽根の模様に連なっている。
羽根を広げている方がオスで、閉じている方(ピンクの頬が色っぽい)がメスなのだろう。しかし、一見した印象は、どちらも女性的である。よく知らないけど、江戸時代の花魁ってこんな感じかなあ、と想像した。豪奢な羽根、不釣合いに華奢な脚。そして、艶治だけど表情の読めない人工的な顔つき。
少し間をあけて、隣に動植綵絵の『老松白鳳図』が並んでいた。ほぼ同じポーズだが、こちらは輝くような純白の羽根に包まれていている。なんだか、花嫁と花魁を並べたようだ。少し離れて2枚を交互に眺めていると、片方の視界に片方の残像が滑り込んでくるようで、興味深かった。
ところで『老松白鳳図』の画面には、よく見ると、もう1羽、山鳩か何か、地味な小鳥がそっと描き込まれている。松の枝からずり落ちそうになりながら、びっくり眼で白鳳を見つめている姿が、微笑ましい。
このほかは『向日葵雄鶏図』『大鶏雌雄図』『群鶏図』のニワトリ3連作。若冲のニワトリが魅力的なのは、精緻に描かれた羽毛の美しさもあるけれど、ポイントは”目力”なのではないか、と思った。そこに「生命がいる」ことを訴えてくるような目力が、若冲の絵にはある。
いや、これでは言い足りないかもしれない。『貝甲図』では、どこにも「目」は描かれてないのに、それでも私は「生命」の視線を感じる。画面の中から呼びかけてくる「生命」の存在を感じるのだから。