見もの・読みもの日記

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そうは言われても/下流社会(三浦展)

2006-12-16 11:35:24 | 読んだもの(書籍)
○三浦展『下流社会:新たな階層集団の出現』(光文社新書) 光文社 2005.9

 新書ベストセラーに名を連ねる「格差」「階層」社会ものは、全く興味がなかったが、この直前に読んだ『前略仲正先生、ご相談があります』に、本書が紹介されているのを読んだ。それによれば、「年収が年齢の10倍未満」だと「下流」の可能性が高いとのこと。

 私は、ふだん自分の給料をほとんど気にしていないのだが、ボーナスを貰った直後でもあったので、ん?と思って、計算してみた。そうすると、私もギリギリでこのラインに該当しそうな気がする。あれっ。私は「下流的」だったのか、と、自覚のなかった私はびっくりした。ただし、これは、通帳に記載される振込み額(手取り)での話。この間、貰った12月の給与明細で支給額を見直して、この数字で計算すれば、まあ、所得的には「中流」なのかな、と思いなおした。

 ただし、本書が扱うのは、所得だけの「上層」「下層」ではなく、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、総じて人生への意欲が低い「下流」の人々の問題である。「希望格差」は常にあった。しかし、戦後~高度成長期の日本社会では、貴族や資本家、地主階級は特権を剥奪され、希望が縮小していたのに対して、貧しい人ほど「頑張れば豊かになれる」という希望を持つことができた。しかし、現在は、圧倒的大多数の人々が、「上昇への希望」を持てなくなり、階層の固定化、「下流」層の数的拡大に向かっている。そこに問題がある、と著者はいう。

 うーむ。そう言われると、私の生活スタイルは、かなり「下流的」かもなあ、と思った。本書を読むと、一家を支えるサラリーマンは700万とか800万円の年収が必要らしいのだが、私ひとりで暮らしている限りは、そんなに稼いでも使いみちないなーと思うので、あまり羨望を感じない。洋服代に年間100万円以上使う「上流」専業主婦の話を聞いても、ご苦労様という感じ。安い外食やインスタント食品にたよる食生活が続いても恥ずかしいと思わない。家も車も欲しいと思わないし、ましてブランド品に興味はない。この感じ方が、まさに「上昇志向」を失った「下流的」らしいのである。そうは言われても、なあ。

 本当にそれは「問題」なんだろうか? 確かに「下流」層ほど、コミュニケーション能力が低く、てきぱきと物事を処理する能力がない、というのは、同意できる問題点である。そういう「下流」層が多数を占める社会は、変化に対する適応や発達の可能性がどんどん低くなる、と思う。

 だが、日本の社会が全体として、高度成長期のような「上昇への希望」を取り戻すのは、到底、無理であろう。結局、「下流」には「下流」なりの「ささやかな希望」を与えて、わずかでも活力を維持するような対策しかないのかな、と思う。

 歴史的にみれば、多くの社会は、階層の「流動化」と「安定(固定)化」の時期を繰り返すのであり、いまの日本は「固定化」の時期にあるのだと思う。こういう状態は気に入らないから、何としても現状を打破して、再度、流動化させたい、というのも、ひとつの見識である。

 私は、固定化(階層移動の振幅が減少する時期)にも一定の意味はあるような気がする。ただ、その間に、社会の資源が枯渇してしまうか、目立たなくても有用な人的資源を蓄えておけるかは(江戸時代に形成された、実務能力のある中間知識人層によって、明治維新を乗り切ったように)、次の流動期を迎えたときに、試されるのではなかろうか。
コメント (1)
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