○吉見俊哉『親米と反米:戦後日本の政治的無意識』(岩波新書) 岩波書店 2007.4
出会いは幕末にさかのぼる。「自由」と「デモクラシー」の国、アメリカの表象は、幕末の思想家・横井小楠や坂本龍馬、明治の自由民権家・馬場辰猪や植木枝盛らに少なからぬ影響を与えた。大衆レベルに決定的な影響を与えたのは福澤諭吉の『西洋事情』だった。1920年代以降は、アメリカの大衆文化が日常的な消費生活に浸透していく。近代日本の人々にとって、アメリカはモダニティそのものだった。
ふむ。文明開化とは、漠然と「欧化」のことだと思っていた。確かに明治初期、維新政府の中核にいた人々は、イギリスやドイツの政治体制から多くを学んだはずである。しかし、その後の近代日本の歩みを考えると、知識人にとっても、大衆にとっても、最も重要な異文化は「アメリカ」だったのかも知れない、とあらためて考えた。
戦前のアメリカニズムは、一見、天皇を中心とする家父長制的国家システムと「対抗」するようなかたちで現れる。しかし、天皇制国家もまた、日本にとっては、ひとつの「近代」であった。つまり、片方に伊藤博文や井上馨がヨーロッパの絶対主義国家をモデルに作ろうとしていた「日本の近代」があり、片方に主として大衆に欲望されたアメリカモデルの「日本の近代」があったと言っていいだろうか。
そして、この2つの近代は、初めから「互いに補完的な関係」を内包していたのではないか。だからこそ、戦後、両者の「抱擁」(もちろん、この表現はダワーの『敗北を抱きしめて』に拠る)が成立し、半世紀以上にわたって、この国を呪縛することになるのである。
後半は、戦後日本における「アメリカニズム」のエスノグラフィ。1960年生まれの私が驚かされたのは、占領期(1950年代)日本の姿である。英語の看板に埋め尽くされた日比谷交差点。全てアメリカ風に「○○アベニュー」「○○ストリート」という通り名が付けられた銀座の地図。まるで租界だ。また、今日、無国籍で”おしゃれ”なイメージを持つ六本木や原宿が、米軍の駐留する”基地の町”であったことも、私は意識したことがなかった。
誰がこれを隠していたのだろう。ひとつには、GHQの巧妙な統治戦略であったらしい。マッカーサーは、日本に到着した最初期こそ、天皇と並んだ写真を公表するなど、自分の姿をメディアに露出させたが、その後は、巡幸する「人間天皇」を前面に押し出し、自分はその後ろに隠れることで、日本人に占領軍の存在をなるべく意識させないことを目指した。
しかし、こんなにも容易に占領期の記憶が消えてしまったのは、やはり日本人自身が、それを「なかったこと」にしたいという、心的規制が働いたためではないかと思う。その理由を考えるとき、興味深いのは、政府公認の占領軍慰安婦と「パンパン」と呼ばれた売春婦たちの存在である。彼女たちは「この国の軸心をなすナショナルな男性性にとって転覆的な脅威」だった。それゆえ、占領期が終結すると、日本の男たちは、「アメリカで認められた高い技術力」によって自信を回復し(=アメリカとの一体化)、そのパートナーに「家庭電化の主体である主婦」を招来したのである。こののち、日本人は、ナショナルな主体と「アメリカ」の間に、ほとんど差異を見出せなくなってしまう。
同様に、戦前の谷崎潤一郎『痴人の愛』の分析も印象的だった。ナオミは、自らの性を商品化し、欲望の対象となることで、男性的領域に優越する立場を獲得してしまうのだ。本書は、このジェンダーにからむ分析が、非常に興味深い読みどころである。
出会いは幕末にさかのぼる。「自由」と「デモクラシー」の国、アメリカの表象は、幕末の思想家・横井小楠や坂本龍馬、明治の自由民権家・馬場辰猪や植木枝盛らに少なからぬ影響を与えた。大衆レベルに決定的な影響を与えたのは福澤諭吉の『西洋事情』だった。1920年代以降は、アメリカの大衆文化が日常的な消費生活に浸透していく。近代日本の人々にとって、アメリカはモダニティそのものだった。
ふむ。文明開化とは、漠然と「欧化」のことだと思っていた。確かに明治初期、維新政府の中核にいた人々は、イギリスやドイツの政治体制から多くを学んだはずである。しかし、その後の近代日本の歩みを考えると、知識人にとっても、大衆にとっても、最も重要な異文化は「アメリカ」だったのかも知れない、とあらためて考えた。
戦前のアメリカニズムは、一見、天皇を中心とする家父長制的国家システムと「対抗」するようなかたちで現れる。しかし、天皇制国家もまた、日本にとっては、ひとつの「近代」であった。つまり、片方に伊藤博文や井上馨がヨーロッパの絶対主義国家をモデルに作ろうとしていた「日本の近代」があり、片方に主として大衆に欲望されたアメリカモデルの「日本の近代」があったと言っていいだろうか。
そして、この2つの近代は、初めから「互いに補完的な関係」を内包していたのではないか。だからこそ、戦後、両者の「抱擁」(もちろん、この表現はダワーの『敗北を抱きしめて』に拠る)が成立し、半世紀以上にわたって、この国を呪縛することになるのである。
後半は、戦後日本における「アメリカニズム」のエスノグラフィ。1960年生まれの私が驚かされたのは、占領期(1950年代)日本の姿である。英語の看板に埋め尽くされた日比谷交差点。全てアメリカ風に「○○アベニュー」「○○ストリート」という通り名が付けられた銀座の地図。まるで租界だ。また、今日、無国籍で”おしゃれ”なイメージを持つ六本木や原宿が、米軍の駐留する”基地の町”であったことも、私は意識したことがなかった。
誰がこれを隠していたのだろう。ひとつには、GHQの巧妙な統治戦略であったらしい。マッカーサーは、日本に到着した最初期こそ、天皇と並んだ写真を公表するなど、自分の姿をメディアに露出させたが、その後は、巡幸する「人間天皇」を前面に押し出し、自分はその後ろに隠れることで、日本人に占領軍の存在をなるべく意識させないことを目指した。
しかし、こんなにも容易に占領期の記憶が消えてしまったのは、やはり日本人自身が、それを「なかったこと」にしたいという、心的規制が働いたためではないかと思う。その理由を考えるとき、興味深いのは、政府公認の占領軍慰安婦と「パンパン」と呼ばれた売春婦たちの存在である。彼女たちは「この国の軸心をなすナショナルな男性性にとって転覆的な脅威」だった。それゆえ、占領期が終結すると、日本の男たちは、「アメリカで認められた高い技術力」によって自信を回復し(=アメリカとの一体化)、そのパートナーに「家庭電化の主体である主婦」を招来したのである。こののち、日本人は、ナショナルな主体と「アメリカ」の間に、ほとんど差異を見出せなくなってしまう。
同様に、戦前の谷崎潤一郎『痴人の愛』の分析も印象的だった。ナオミは、自らの性を商品化し、欲望の対象となることで、男性的領域に優越する立場を獲得してしまうのだ。本書は、このジェンダーにからむ分析が、非常に興味深い読みどころである。