○門倉貴史『ワーキングプア:いくら働いても報われない時代が来る』(宝島社新書) 宝島社 2007.4
最近は、ワーキングプア(働く貧困層)という言葉をよく聞くようになった。私は見ていないが、NHKスペシャルが『ワーキングプア~働いても働いても豊かになれない~』を放送したのが2006年7月だというから、それに先立つ本書は、この言葉の早い使用例だと思う。
ニートやフリーターはもう古い? しかし、「経営効率化のため、企業が正社員雇用を抑制している→正社員になれない人々が貧困層に落ち込む」という問題設定の図式は、ニート、フリーターに焦点を当てた玄田有史さんの『仕事のなかの曖昧な不安』などと、本質的に変わらないと思う。ただし、玄田さんが「中高年ホワイトカラーの雇用不安」の虚偽を暴き、中高年の既得権益擁護を糾弾して、若年ニートのための論陣を張ろうとしているのに対して、本書は、どちらかというと、中高年に同情的である。この点、私はちょっと眉に唾をしながら読んだ。
たとえば「1990年以降、人件費負担の重くなった企業は、賃金の高い中高年層を中心にリストラを積極的に行うようになる」(102頁)と黒ゴチ活字で書いてあるけれど、その上に掲載されている「経営上の都合による離職者数」は、経年変化が分かるだけで、年齢別の動向は分からない。その先にある「派遣労働者の年齢別構成(2004年)」(107頁)では、もちろん圧倒的に若年層が多い。これってどうなの~?と思った。
著者の頭の中では、「一家の大黒柱=中高年男性」というイメージが強固で、それが少しでも揺らぐことが耐え難いのではないかと思う。前半でも、「ダグラス=有沢の法則」(夫の所得が低くなるほど、妻の有業率が高くなる)を紹介し、その具体的表れとして、「夫の年収と妻の有業率(2002年)」を引いている(66頁)が、この数字、意味があるかなあ。「妻の有業」にも、働く理由とか働き方(パートか正規雇用か)とか、いろいろな区分があるはずなのに、「夫の収入の不足を補うため」で撫で斬りにしているところが納得いかない。しかも、このあとに「夫の収入を補填するためにパートタイマーとして働く主婦の数」の経年変化を”著者推計”で得々として挙げているのは、全く説得力がないと思う。
こんなふうに私が感じるのは、橋本健二さんの『階級社会』に、最近は「ダグラス=有沢の法則」が必ずしも成立していない、という指摘があったからだ。近年は、夫の所得の高い世帯では正社員として働き続ける妻が増えており、「高所得の夫と高所得の妻」と「低所得の夫と低所得の妻」という、世帯の所得格差が拡大しているという。こっちのほうが、私の実感に近い。
本書は、各章の節目に「ドキュメント」と題して、インタビューを織り込んだ10人の実例を紹介している。三浦展さんの『下流社会』の手法である。統計だけでは窺い知れないワーキングプアの実像に、ケーススタディから迫ろうという意図だと思うが、本文の記述が疑わしいと、情緒に訴えてごまかそうとしてるように感じられてしまう。厳しい批評になるが、コイツ(著者)、私より若いのに頭古いなーという印象だった。
最近は、ワーキングプア(働く貧困層)という言葉をよく聞くようになった。私は見ていないが、NHKスペシャルが『ワーキングプア~働いても働いても豊かになれない~』を放送したのが2006年7月だというから、それに先立つ本書は、この言葉の早い使用例だと思う。
ニートやフリーターはもう古い? しかし、「経営効率化のため、企業が正社員雇用を抑制している→正社員になれない人々が貧困層に落ち込む」という問題設定の図式は、ニート、フリーターに焦点を当てた玄田有史さんの『仕事のなかの曖昧な不安』などと、本質的に変わらないと思う。ただし、玄田さんが「中高年ホワイトカラーの雇用不安」の虚偽を暴き、中高年の既得権益擁護を糾弾して、若年ニートのための論陣を張ろうとしているのに対して、本書は、どちらかというと、中高年に同情的である。この点、私はちょっと眉に唾をしながら読んだ。
たとえば「1990年以降、人件費負担の重くなった企業は、賃金の高い中高年層を中心にリストラを積極的に行うようになる」(102頁)と黒ゴチ活字で書いてあるけれど、その上に掲載されている「経営上の都合による離職者数」は、経年変化が分かるだけで、年齢別の動向は分からない。その先にある「派遣労働者の年齢別構成(2004年)」(107頁)では、もちろん圧倒的に若年層が多い。これってどうなの~?と思った。
著者の頭の中では、「一家の大黒柱=中高年男性」というイメージが強固で、それが少しでも揺らぐことが耐え難いのではないかと思う。前半でも、「ダグラス=有沢の法則」(夫の所得が低くなるほど、妻の有業率が高くなる)を紹介し、その具体的表れとして、「夫の年収と妻の有業率(2002年)」を引いている(66頁)が、この数字、意味があるかなあ。「妻の有業」にも、働く理由とか働き方(パートか正規雇用か)とか、いろいろな区分があるはずなのに、「夫の収入の不足を補うため」で撫で斬りにしているところが納得いかない。しかも、このあとに「夫の収入を補填するためにパートタイマーとして働く主婦の数」の経年変化を”著者推計”で得々として挙げているのは、全く説得力がないと思う。
こんなふうに私が感じるのは、橋本健二さんの『階級社会』に、最近は「ダグラス=有沢の法則」が必ずしも成立していない、という指摘があったからだ。近年は、夫の所得の高い世帯では正社員として働き続ける妻が増えており、「高所得の夫と高所得の妻」と「低所得の夫と低所得の妻」という、世帯の所得格差が拡大しているという。こっちのほうが、私の実感に近い。
本書は、各章の節目に「ドキュメント」と題して、インタビューを織り込んだ10人の実例を紹介している。三浦展さんの『下流社会』の手法である。統計だけでは窺い知れないワーキングプアの実像に、ケーススタディから迫ろうという意図だと思うが、本文の記述が疑わしいと、情緒に訴えてごまかそうとしてるように感じられてしまう。厳しい批評になるが、コイツ(著者)、私より若いのに頭古いなーという印象だった。