見もの・読みもの日記

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ひ弱な青年たち/大帝没後(長山靖生)

2007-07-30 23:45:06 | 読んだもの(書籍)
○長山靖生『大帝没後:大正という時代を考える』(新潮選書) 新潮社 2007.7

 「大正青年と平成の若者は驚くほど似ている」というのが著者の着眼点である。大正は、圧倒的なカリスマ性で君臨した明治天皇と、彼に表象される「英雄」「闘争」「建設」の時代が過ぎたあとに訪れた「大衆」「消費」「軽さ」「童心」の時代だった。それは、昭和天皇没後の「平成日本」と奇妙に重なる部分が多いという。

 まあ確かに、日本の近代150年の間で、最もいまに似ている時代を探せといわれたら、間違いなく誰もが大正時代を挙げると思う。偉大な父親の遺産を食い潰す「若旦那」の時代である。

 しかし、両者には相違点も多い。実は、大正青年の典型例として本書に引用されている志賀直哉の自伝的小説があまりに面白かったので、本書のあと、志賀の短編集を読んでみた。志賀は30歳になっても就職せず、文学に志すと称して昼過ぎまで寝ているような生活をしていた。見事に「パラサイト」で「ニート」な「引きこもり」ぶりである。だけど、彼の作品を詳しく読んでみると、やっぱり大正青年と平成の若者には、大きな隔たりがあることを感じた。詳しくは、また後日。

 いちばん興味深く読んだのは、乃木大将の殉死をめぐる再検討である。乃木が、きわめて多くの遺書を周到に遺していたこと、遺書の中で、家名の断絶と爵位返上をくどいほど指示していたことは初めて知る事実だった。乃木は、前近代的な「家」制度を、個人主義的な主張によって否定したとも言える。

 にもかかわらず、乃木家の再興は、「家」制度の既得権益の代表者・明治の元老と、これに寄生する「若旦那」的大正青年の共犯によって断行された(団塊世代と、パラサイト団塊ジュニアみたいなものか)。心静かに乃木大将を偲ぼうとしていた遺族たちの意思は無視され、「忠臣」乃木大将のイメージが祀り上げられていく。これって、靖国問題の構図と根は同じだな、と思った。

 乃木家再興が一応の決着を見た大正4年、大正天皇の即位礼が行われた。夏目漱石は小説『明暗』の執筆に取り掛かっていた。『明暗』の作中人物たちは、読者と同じ時空間を生きているように思われる。しかし、『明暗』には、祝祭ムードに浮き立つ東京の様子は全く書かれていない。むしろ、青年天皇の一世一代のイベントが行われている時期に、主人公の津田は、病院のベッドで尻を出し、痔疾の説明を聞く場面から小説は始まる。うわっ、何たるアイロニー。こうしてみると、あの喪章を付けた漱石の写真にも、空虚な大衆イベントに背を向け、個の立場で哀悼を表明しようとする反抗心が垣間見えるような気がしてくる。
コメント
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