○玄武岩『統一コリア:東アジアの新秩序を展望する』(光文社新書) 光文社 2007.9
韓国と北朝鮮が対話と協調を推し進め、やがて分断を乗り越えること。私はどちらかといえば、こうした立場に共感しながら関連書籍を読んできた。北朝鮮が、どうしようもなく胡乱な(あやしい・危ない)国家であることは重々承知である。しかし、北朝鮮の現体制を転覆させ得たとして、その後の事態収拾まで責任あるビジョンを示してくれる議論でなければ、参照する価値はないと思う。それと、当事者である朝鮮半島の人々が、互いの主権を認めた上で、漸進的統一の道を選ぶのなら、それを尊重するのが隣国のつとめだとも思う。
けれど、特に朝鮮半島のニュースに注目しているわけでもない、私のような普通の日本人からすると、この数年の南北関係は、一進一退の繰り返しにしか思えなかった。先日(2007年10月)行われた、久しぶりの南北首脳会談にしても、日本のマスコミでは、大統領任期切れ前の盧武鉉氏のパフォーマンスという見方が一般的だった。本当にそれだけなのか? 悔しいが、韓国語の分からない私には、確かめる術がない。近年、韓国の芸能情報だけは、とめどもなく日本社会に入って来るようになったが、それ以外の韓国情報は、相変わらず、十分に届いていないような気がする。
なので、本書を読んで、南北の交流が着実に拡大している事実を知ると、ちょっと驚く。韓国から北朝鮮への訪問者数は、2005年に8万7000人(それ以前の総数に匹敵)、2006年には10万人を突破したという。北朝鮮の開城(ケソン)特区で生産された製品は韓国産として世界に輸出されている(韓国政府がASEANや米国との交渉の末、認めさせた)。
興味深いのは、韓国メディアにおける北朝鮮イメージの変化である。1970年代まで、韓国では徹底した反共教育が行われた。運動会では子供たちが「模擬間諜」探しを競い合った。「タバコの値段が分からない」「靴に土が付いている」など、日頃、教えられた間諜(スパイ)識別法を用いて、北の間諜を見つけ出すゲームである。日本アニメの影響を受けて、反共SFアニメ、反共ロボットアニメ(!)も多数作られたという。『宇宙戦士ホンギルトン』とか『ロボット王サンシャーク』とか、題名を見るだけで笑える。1969年生まれの著者は、実際、こういうアニメを見て育ったのだろうか。
1980年中盤以降、教科書の記述は、北朝鮮に対する敵対意識を次第に改めた。映画やドラマにおいても、絶対的な悪であった北朝鮮を、同じく祖国分断の犠牲者として捉えた「分断もの」が現れ、さらにフィクションの中で分断を乗り越えようとする「統一もの」に変化していく。タイムスリップした南北の兵士が、民族の英雄・李舜臣を助けるという歴史SF映画『天軍』、ちょっと見たい。
重要なことは、著者の描く「統一コリア」が国民国家的な統合では「ない」ということだ。「ベトナム式でもドイツ式でもない脱民族的な統一」「国民国家の枠組みを根底から問い直す試み」だという。本当にそんなことができるのか。できるとすれば、東アジアの政治的枠組みが根底から変わる契機になるだろう。日本は、アジアにおいていちはやく国民国家的統合を成し遂げたことによって、おおよそ、その後の繁栄を保ってきた。いま、違う道筋を選ぼうとする隣国を見守りたいと思う。
韓国と北朝鮮が対話と協調を推し進め、やがて分断を乗り越えること。私はどちらかといえば、こうした立場に共感しながら関連書籍を読んできた。北朝鮮が、どうしようもなく胡乱な(あやしい・危ない)国家であることは重々承知である。しかし、北朝鮮の現体制を転覆させ得たとして、その後の事態収拾まで責任あるビジョンを示してくれる議論でなければ、参照する価値はないと思う。それと、当事者である朝鮮半島の人々が、互いの主権を認めた上で、漸進的統一の道を選ぶのなら、それを尊重するのが隣国のつとめだとも思う。
けれど、特に朝鮮半島のニュースに注目しているわけでもない、私のような普通の日本人からすると、この数年の南北関係は、一進一退の繰り返しにしか思えなかった。先日(2007年10月)行われた、久しぶりの南北首脳会談にしても、日本のマスコミでは、大統領任期切れ前の盧武鉉氏のパフォーマンスという見方が一般的だった。本当にそれだけなのか? 悔しいが、韓国語の分からない私には、確かめる術がない。近年、韓国の芸能情報だけは、とめどもなく日本社会に入って来るようになったが、それ以外の韓国情報は、相変わらず、十分に届いていないような気がする。
なので、本書を読んで、南北の交流が着実に拡大している事実を知ると、ちょっと驚く。韓国から北朝鮮への訪問者数は、2005年に8万7000人(それ以前の総数に匹敵)、2006年には10万人を突破したという。北朝鮮の開城(ケソン)特区で生産された製品は韓国産として世界に輸出されている(韓国政府がASEANや米国との交渉の末、認めさせた)。
興味深いのは、韓国メディアにおける北朝鮮イメージの変化である。1970年代まで、韓国では徹底した反共教育が行われた。運動会では子供たちが「模擬間諜」探しを競い合った。「タバコの値段が分からない」「靴に土が付いている」など、日頃、教えられた間諜(スパイ)識別法を用いて、北の間諜を見つけ出すゲームである。日本アニメの影響を受けて、反共SFアニメ、反共ロボットアニメ(!)も多数作られたという。『宇宙戦士ホンギルトン』とか『ロボット王サンシャーク』とか、題名を見るだけで笑える。1969年生まれの著者は、実際、こういうアニメを見て育ったのだろうか。
1980年中盤以降、教科書の記述は、北朝鮮に対する敵対意識を次第に改めた。映画やドラマにおいても、絶対的な悪であった北朝鮮を、同じく祖国分断の犠牲者として捉えた「分断もの」が現れ、さらにフィクションの中で分断を乗り越えようとする「統一もの」に変化していく。タイムスリップした南北の兵士が、民族の英雄・李舜臣を助けるという歴史SF映画『天軍』、ちょっと見たい。
重要なことは、著者の描く「統一コリア」が国民国家的な統合では「ない」ということだ。「ベトナム式でもドイツ式でもない脱民族的な統一」「国民国家の枠組みを根底から問い直す試み」だという。本当にそんなことができるのか。できるとすれば、東アジアの政治的枠組みが根底から変わる契機になるだろう。日本は、アジアにおいていちはやく国民国家的統合を成し遂げたことによって、おおよそ、その後の繁栄を保ってきた。いま、違う道筋を選ぼうとする隣国を見守りたいと思う。