不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

取り残された人々/被差別部落とは何か(喜田貞吉)

2008-04-04 23:40:04 | 読んだもの(書籍)
○喜田貞吉『被差別とは何か』 河出書房新社 2008.2

 はじめ、題名に似合わない、かわいらしい装丁が目についた。それから著者の名前を見て、目を疑った。奥付を開けたら新刊なので、もう1回驚いた。喜田貞吉(1871-1939)は、広範な分野に足跡を残した個性的な歴史学者だが、今日、その名前を知る者は多くないだろう。私だって、たまたま、文庫化された『小説東京帝国大学』を読んでいなければ、目を留めなかったかも知れない。喜田はこの小説の後半の登場人物で、「南北朝正閏問題」をめぐって理不尽な批判に曝され、職を失うに至る。帝大出の少壮学者の不運に同情していたとき、まるで吸い寄せられるように、本書が私の前に現れたのである。

 本書は、喜田貞吉の個人雑誌『民族と歴史』第2巻第1号「特殊部落研究号」(1919年7月=大正8年)の喜田執筆部分の完全復刻である。冒頭の「特殊の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」が最も包括的な論考で、そのほか「エタ」の名義、特殊の人口増、上代の肉食、青屋(染物屋、一部地域では視された)、足洗(エタを離脱すること)など、個別問題についての短い論考10数編を併せ収めている。

 特殊民とは、本来、普通人と何ら区別のあるものではない。そもそも古代には、さまざまながいた。「家人(けにん)」や「侍(さむらい)」は良民のうちに数えられなかった。「」や「」は比較的早くに解放された。ただ「(エタ)」のみが最後まで取り残された。これは、日本人が仏教の影響を受けて以降、肉食を忌避する気持ちが強かったためであろう。しかし、近代に至ってその禁忌も薄れた。肉食する者がエタであるなら、今日の日本人の大半はエタの仲間である、と著者は大胆に言明する。

 また、両親が2人、祖父母が4人なら、10代前は512人、20代前は52万4千余人となって、日本民族は、多数の先祖なり子孫なりが網の目をすいたように組み合わさって出来ている。「一切の国民はどこかで必ず縁がつながっている」のである。先住民や帰化人でも立派な貴族になった例があり、日本民族でも運が悪ければに落ちる。「我が日本では、民族上から貴賤の区別を立てて、これを甚だしく疎外するということは、少くとも昔はありませんでした」と言う。

 このように、著者は明快な論理と実証に基づき、被差別民の境遇が、いかに無慈悲な偶然と因習によるものであるかを説いている。社会改良に言及せず、事実の解明に留まっている点に、批判はあるかもしれないが、私は非常に気持ちよく本書を読んだ。問題というのは、今日、政治もマスコミも「存在しないフリ」をしすぎではないかと思う。誰もきちんと語らないから、ネットの上などで、耳を覆うようなデタラメと憶説が飛び交うのである。そう考えると、2008年の今日、本書が「新刊」として世に出る意味は大きいのかもしれない。河出書房さんGJ!

 著者の拠って立つのは基本的に「史料」なのだが、エッセイふうに挟まれた実体験が、妙に印象に残った箇所がある。たとえば「上代肉食考」で、「自分らの如きも子供の時分には、決して獣肉を喰った事はなかった」が、中学校の寄宿舎に入ったら、夕食に牛肉が出るので、上級生に倣ってこわごわ食べてみた、などというエピソードは、明治人の食生活の実態が分かって興味深い。大正3年に没した父親は、おそらく生涯牛肉の味を知らなかったと思われ、著者も「家庭に帰っては、牛肉の香りを嗅いだ事も無い様な顔をしていた」のだそうだ。へえ~。そりゃあ、肉食するエタの人々が異人種に見えた気持ちも分かろうというものだ。

 それにしても、被差別とは「境遇により、時の勢いによって」落伍し、取り残された人々に過ぎない、と論ずるとき、著者は自らの人生を襲った不運を思い合わせていたのだろうか、いなかったのだろうか。気になる。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする