○板橋区立美術館『日本美術講演会』 榊原悟「楽しい江戸絵画」
http://www.city.itabashi.tokyo.jp/art/
館蔵品展『絵師がいっぱい』にあわせた連続講演会の2回目。全6回とも日本美術ファンには垂涎の講師陣だが、とりわけ、榊原先生のお話は、どうしても聴きたかった。昨年出された『江戸絵画万華鏡』(青幻舎)が、あまりにも面白かったので。
壇上にあらわれた榊原先生も、そのへんは心得たもの。「今日は、絵師や流派にこだわらず、なんでも面白い話をしてくれと頼まれたので」と前置きをして、以下のような話を始められた。司馬江漢は、日本の絵画を「酒辺の一興」と評している。これは、西洋絵画の真摯なリアリズムを学んだ江漢の、日本絵画に対する痛烈な批判である。しかし、日本絵画の遊戯性・即興性・意外性には、西洋絵画とは別の「おもしろさ」があるのではないか。
まず、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』に現れた「烏滸絵(をこえ=馬鹿馬鹿しい絵)」「おそくづの絵(春画)」にまつわる説話を紹介し、ありのままでは面白くないから「絵そらごと」を描くのだ、という絵師の発言に注目する。今日、「絵そらごと」という言葉にはマイナスのイメージが強いが、ここではむしろ、リアリズム以上の「芸術的表現」という積極的な意味で用いられている。
そして、江戸の烏滸絵として、文化14年(1817)、葛飾北斎が名古屋で行った「大達磨図」の興行を取り上げる。さらには、席画(せきえ・せきが)、酔画、指画(指頭画)等々のパフォーマンス絵画。講師はこれを「即画」と総称する。そこには、即興ゆえに生まれる個性的な表現があり、伝統からの逸脱を目指した絵師たちの企てを見ることもできるという(参考:佐藤康宏「十八世紀の前衛神話」『江戸文化の変容』所収)。
1時間ほどの講義のあと、スライドで作品を鑑賞。いや~「鑑賞」なんて高尚な表現が当たるのかどうか。なにせ、最初に映写されたのが『放屁合戦絵巻』中の「陽物競べ」ですから。「目が覚めるでしょ」って、先生…。『放屁合戦絵巻』というのは、おそらく平安時代に遡る古い絵巻で、「陽物競べ」と「放屁合戦」の2つのパートから成るのが標準形だそうだ。スライドについて「これはサントリー美術館にあります。というか、エヘヘ、私が勤めていたとき、買っていいというので買ったものです」と、妙に嬉しそうな講師。
あれ?三井記念美術館の所蔵じゃなかったっけ、と思ったら、三井にあるほうが古本、サントリーにあるのは文安6年(1449)の模写だそうだ。「しかし、非常に質のいい模写です」とのこと。記憶と記録を確かめなおしてみたところ、昨年、サントリー美術館開館記念特別展『鳥獣戯画がやってきた!』で見た「陽物競べ」は三井記念美術館からの出陳、「放屁合戦」はサントリーの館蔵品だった。
「放屁合戦」の巻末に現れる老婆には「高向秀武の女」と書き入れがあるそうで、すなわち『福富草紙』の主人公の娘という設定なのだそうだ。ああ、やっぱり日本美術はテキストと不可分で、本文が読めると、より深く楽しめるんだなあ。
江戸絵画では、曽我蕭白、長沢蘆雪、尾形光琳などによる「即画」(即興画)の数々を紹介。すごいなあ、線にあふれるスピード。墨のかすれや畳目の跡さえ、美しさの一要素である(佐理の書みたい)。筆を執るまでには、綿密な計算があるはずだという。しかし、いったん紙に筆を下ろしたら、一気呵成に描き上げるのだ。
講師が「これ、いいですよね」と感に耐えかねたようにおっしゃったのが、林十江の『双鰻図』。アップにすると、無造作な一筆の描写力に瞠目する。筆の返しがそのまま鰻の身の返しになっているのだ。「この板橋区立美術館は今や江戸美術の殿堂と言ってもいい。今日、取り上げた画家のほとんどの作品は、既にこの美術館で展示されています」と講師。実にそのとおりで、私が林十江という画家を覚えたのは、2005年、板橋区立美術館の『関東南画大集合』だった。なつかしい。
遊戯性・意外性という点で、見落とせないのは「文字絵」。「へのへのもへじ」の類である。江戸時代、有名だったのは「ヘマムショ入道」と「山水天狗」。それに女文(おんなぶみ)の決まり文句「ぞんじ参らせ候」は虚無僧の姿に見えるということで「虚無僧のいくたりもいるくどい文」という川柳があるのだそうだ。笑った。「のしこし山」もスライドあり(笑)。かくて、下半身ネタに始まり、下半身ネタに終わったのである。
この連続講演会、展覧会も含めて、全て無料という太っ腹企画である。この日は先着100人の会場が満席だったが、大半は近隣のおじいちゃん・おばあちゃんという感じ。いや、地域に根づいた活動として悪くはないのだが、最近、日本美術関連の展覧会・イベントって、むしろ若者が多いのに、広報不足じゃない? と、ちょっと不満を述べておこう。
http://www.city.itabashi.tokyo.jp/art/
館蔵品展『絵師がいっぱい』にあわせた連続講演会の2回目。全6回とも日本美術ファンには垂涎の講師陣だが、とりわけ、榊原先生のお話は、どうしても聴きたかった。昨年出された『江戸絵画万華鏡』(青幻舎)が、あまりにも面白かったので。
壇上にあらわれた榊原先生も、そのへんは心得たもの。「今日は、絵師や流派にこだわらず、なんでも面白い話をしてくれと頼まれたので」と前置きをして、以下のような話を始められた。司馬江漢は、日本の絵画を「酒辺の一興」と評している。これは、西洋絵画の真摯なリアリズムを学んだ江漢の、日本絵画に対する痛烈な批判である。しかし、日本絵画の遊戯性・即興性・意外性には、西洋絵画とは別の「おもしろさ」があるのではないか。
まず、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』に現れた「烏滸絵(をこえ=馬鹿馬鹿しい絵)」「おそくづの絵(春画)」にまつわる説話を紹介し、ありのままでは面白くないから「絵そらごと」を描くのだ、という絵師の発言に注目する。今日、「絵そらごと」という言葉にはマイナスのイメージが強いが、ここではむしろ、リアリズム以上の「芸術的表現」という積極的な意味で用いられている。
そして、江戸の烏滸絵として、文化14年(1817)、葛飾北斎が名古屋で行った「大達磨図」の興行を取り上げる。さらには、席画(せきえ・せきが)、酔画、指画(指頭画)等々のパフォーマンス絵画。講師はこれを「即画」と総称する。そこには、即興ゆえに生まれる個性的な表現があり、伝統からの逸脱を目指した絵師たちの企てを見ることもできるという(参考:佐藤康宏「十八世紀の前衛神話」『江戸文化の変容』所収)。
1時間ほどの講義のあと、スライドで作品を鑑賞。いや~「鑑賞」なんて高尚な表現が当たるのかどうか。なにせ、最初に映写されたのが『放屁合戦絵巻』中の「陽物競べ」ですから。「目が覚めるでしょ」って、先生…。『放屁合戦絵巻』というのは、おそらく平安時代に遡る古い絵巻で、「陽物競べ」と「放屁合戦」の2つのパートから成るのが標準形だそうだ。スライドについて「これはサントリー美術館にあります。というか、エヘヘ、私が勤めていたとき、買っていいというので買ったものです」と、妙に嬉しそうな講師。
あれ?三井記念美術館の所蔵じゃなかったっけ、と思ったら、三井にあるほうが古本、サントリーにあるのは文安6年(1449)の模写だそうだ。「しかし、非常に質のいい模写です」とのこと。記憶と記録を確かめなおしてみたところ、昨年、サントリー美術館開館記念特別展『鳥獣戯画がやってきた!』で見た「陽物競べ」は三井記念美術館からの出陳、「放屁合戦」はサントリーの館蔵品だった。
「放屁合戦」の巻末に現れる老婆には「高向秀武の女」と書き入れがあるそうで、すなわち『福富草紙』の主人公の娘という設定なのだそうだ。ああ、やっぱり日本美術はテキストと不可分で、本文が読めると、より深く楽しめるんだなあ。
江戸絵画では、曽我蕭白、長沢蘆雪、尾形光琳などによる「即画」(即興画)の数々を紹介。すごいなあ、線にあふれるスピード。墨のかすれや畳目の跡さえ、美しさの一要素である(佐理の書みたい)。筆を執るまでには、綿密な計算があるはずだという。しかし、いったん紙に筆を下ろしたら、一気呵成に描き上げるのだ。
講師が「これ、いいですよね」と感に耐えかねたようにおっしゃったのが、林十江の『双鰻図』。アップにすると、無造作な一筆の描写力に瞠目する。筆の返しがそのまま鰻の身の返しになっているのだ。「この板橋区立美術館は今や江戸美術の殿堂と言ってもいい。今日、取り上げた画家のほとんどの作品は、既にこの美術館で展示されています」と講師。実にそのとおりで、私が林十江という画家を覚えたのは、2005年、板橋区立美術館の『関東南画大集合』だった。なつかしい。
遊戯性・意外性という点で、見落とせないのは「文字絵」。「へのへのもへじ」の類である。江戸時代、有名だったのは「ヘマムショ入道」と「山水天狗」。それに女文(おんなぶみ)の決まり文句「ぞんじ参らせ候」は虚無僧の姿に見えるということで「虚無僧のいくたりもいるくどい文」という川柳があるのだそうだ。笑った。「のしこし山」もスライドあり(笑)。かくて、下半身ネタに始まり、下半身ネタに終わったのである。
この連続講演会、展覧会も含めて、全て無料という太っ腹企画である。この日は先着100人の会場が満席だったが、大半は近隣のおじいちゃん・おばあちゃんという感じ。いや、地域に根づいた活動として悪くはないのだが、最近、日本美術関連の展覧会・イベントって、むしろ若者が多いのに、広報不足じゃない? と、ちょっと不満を述べておこう。