○石川巧『「国語」入試の近現代史』(講談社選書メチエ) 講談社 2008.10
学校入試に国語(現代文)があることを、私たちは当たり前だと心得ている。しかし、これは案外、新しい伝統なのだ。高等教育機関の入学試験に現代文が頻出するようになったのは、大正10年頃、旧制高校の共通試験を嚆矢とする。その背景には、リベラルな教養主義の跋扈に危機感を持ち、学生たちに、国策に沿った知識・思想を授けようとする文部省の思惑があった。ただし、設問の方式は、語句の解釈や大意の要約など、外国語試験の模倣に留まっていた。
昭和期に入り、旧制高校が単独選抜に戻ると、地方の学校を中心に、独自色を打ち出し、新しい時代の空気を反映した試験問題が登場する。確かに、本書所収の昭和3年・山口高等学校の入試問題を見ると、今の高校生にも十分使えそうだった。その一方、エリート養成機関の頂点である第一高等学校は、古典に固執し続けた。そこには、現代文のリテラシー能力など考査するまでもなく、一高受験者なら身につけておいて当然、というメタ・メッセージが含まれていたという。
同様に帝国大学においても、重要な役割を果たしたのは、新興の東北帝国大学や広島文理科大学であった。興味深いのは、「近代文学関連の授業が開講されている大学と入学試験に現代文的な要素が出題されている大学とがみごとに対応している」という指摘である。特に著者は、東北帝国大学における岡崎義恵の業績を高く評価している。入試問題には、どこにも「問題作成者」のクレジットは記されないわけだが、当時の教授陣や、行われていた講義内容を対比させてみることで、類推できるのだろう。同様の流れは、帝国大学の出身者であっても比較的若い世代(たとえば吉田精一)が講師として勤務していた東京近郊の大学、早稲田大学出身者の活躍(たとえば柳田泉)にも認められ、「文学を国民精神と接続させる」(帝国大学的=国学的)国文学の伝統とは別なところに、日本の近代文学研究が立ち上がっていく、初々しい姿を垣間見ることができる。
しかし、同時期(昭和3年)に文部省は学生課と体育課を独立させ、学校現場における「思想善導」教育を本格化させる。このとき、正しい国民を育て上げる教育の両輪となったのは「現代文」と「体育」であった。うーん、私のように、学生時代、いちばん得意なのが国語(現代文)で、いちばん苦手なのが体育であった人間には、不思議な感じもするのだが、この両科目、最も遠いようでいて、国民の精神形成に及ぼす影響は、合わせ鏡のように似ているのかもしれない。
さて、入試現代文が「迷走」を始めるのは、むしろ戦後民主主義教育の中でのことのように思われる。「自由探究の精神」や「批判的に判断を加えるという態度」を育てるという建前と、「試験第一主義」の本音の間で、現代文は、どんどんつまらないものになっていく。採点の公平性・客観性を重視するあまり、設問はステレオタイプ化し、問題文は「よりよい社会を展望しようとするスローガン的な言説だけ」となってしまう。この流れの果てにあるのが(昭和30~40年代の小林秀雄ブームをあだ花?として)今日の、殺伐とした入試現代文の風景であるらしい。著者はそれを「客観幻想」と呼び、「現代文の凶器性」とも呼んでいる。
本書は、昭和54年の第1回共通一次試験問題と、これを批判した日教組編集の『国公立大学入試改革資料集』を論じて終わっている(以後30年間、入試現代文は膠着状態にあるというのが著者の認識)。日教組の主張は、既成の権力秩序を批判しているように見えて、それ自体が「国語教育」のあり方を画一的に捉え過ぎているという。同感である。私は、この第1回共通一次試験を実際に受けているので、30年ぶりに当時の記憶がよみがえり、そこはかとなく懐かしかった。受験当時も現在も、日教組の主張する通り、多くは「愚問」だと思ったが、「ことばの魅力」とか「国語教育の基本」とかを、オマエに(=現代文の「凶器性」を認識できていない教師に)教えられたくはない、と思う。
学校入試に国語(現代文)があることを、私たちは当たり前だと心得ている。しかし、これは案外、新しい伝統なのだ。高等教育機関の入学試験に現代文が頻出するようになったのは、大正10年頃、旧制高校の共通試験を嚆矢とする。その背景には、リベラルな教養主義の跋扈に危機感を持ち、学生たちに、国策に沿った知識・思想を授けようとする文部省の思惑があった。ただし、設問の方式は、語句の解釈や大意の要約など、外国語試験の模倣に留まっていた。
昭和期に入り、旧制高校が単独選抜に戻ると、地方の学校を中心に、独自色を打ち出し、新しい時代の空気を反映した試験問題が登場する。確かに、本書所収の昭和3年・山口高等学校の入試問題を見ると、今の高校生にも十分使えそうだった。その一方、エリート養成機関の頂点である第一高等学校は、古典に固執し続けた。そこには、現代文のリテラシー能力など考査するまでもなく、一高受験者なら身につけておいて当然、というメタ・メッセージが含まれていたという。
同様に帝国大学においても、重要な役割を果たしたのは、新興の東北帝国大学や広島文理科大学であった。興味深いのは、「近代文学関連の授業が開講されている大学と入学試験に現代文的な要素が出題されている大学とがみごとに対応している」という指摘である。特に著者は、東北帝国大学における岡崎義恵の業績を高く評価している。入試問題には、どこにも「問題作成者」のクレジットは記されないわけだが、当時の教授陣や、行われていた講義内容を対比させてみることで、類推できるのだろう。同様の流れは、帝国大学の出身者であっても比較的若い世代(たとえば吉田精一)が講師として勤務していた東京近郊の大学、早稲田大学出身者の活躍(たとえば柳田泉)にも認められ、「文学を国民精神と接続させる」(帝国大学的=国学的)国文学の伝統とは別なところに、日本の近代文学研究が立ち上がっていく、初々しい姿を垣間見ることができる。
しかし、同時期(昭和3年)に文部省は学生課と体育課を独立させ、学校現場における「思想善導」教育を本格化させる。このとき、正しい国民を育て上げる教育の両輪となったのは「現代文」と「体育」であった。うーん、私のように、学生時代、いちばん得意なのが国語(現代文)で、いちばん苦手なのが体育であった人間には、不思議な感じもするのだが、この両科目、最も遠いようでいて、国民の精神形成に及ぼす影響は、合わせ鏡のように似ているのかもしれない。
さて、入試現代文が「迷走」を始めるのは、むしろ戦後民主主義教育の中でのことのように思われる。「自由探究の精神」や「批判的に判断を加えるという態度」を育てるという建前と、「試験第一主義」の本音の間で、現代文は、どんどんつまらないものになっていく。採点の公平性・客観性を重視するあまり、設問はステレオタイプ化し、問題文は「よりよい社会を展望しようとするスローガン的な言説だけ」となってしまう。この流れの果てにあるのが(昭和30~40年代の小林秀雄ブームをあだ花?として)今日の、殺伐とした入試現代文の風景であるらしい。著者はそれを「客観幻想」と呼び、「現代文の凶器性」とも呼んでいる。
本書は、昭和54年の第1回共通一次試験問題と、これを批判した日教組編集の『国公立大学入試改革資料集』を論じて終わっている(以後30年間、入試現代文は膠着状態にあるというのが著者の認識)。日教組の主張は、既成の権力秩序を批判しているように見えて、それ自体が「国語教育」のあり方を画一的に捉え過ぎているという。同感である。私は、この第1回共通一次試験を実際に受けているので、30年ぶりに当時の記憶がよみがえり、そこはかとなく懐かしかった。受験当時も現在も、日教組の主張する通り、多くは「愚問」だと思ったが、「ことばの魅力」とか「国語教育の基本」とかを、オマエに(=現代文の「凶器性」を認識できていない教師に)教えられたくはない、と思う。