年の瀬を前に、年内最後の西国巡礼へ。年末までご開帳の続く大和の三札所(長谷寺、岡寺、壺坂寺)をまわってこようと思ったが、冬季は路線バスの便が極端に少なくなる壺坂寺は断念。まあ2箇所なら余裕だろうと思い、金曜の夜に京都入りする。土曜の朝は早起きして、大和路方面に向かおうとしたところ、乗っていた近鉄急行が人身事故で竹田駅でストップ。せっかちな自分は、地下鉄で京都駅に戻り、JRで奈良に向かう。ところが、この列車も、奈良駅目前、「線路内人立ち入り」のため、15分ほど遅延してしまう。結局、長谷寺駅に到着したのは、11時頃。曇り空を、細かな白いものが舞っていた。
■西国番外 長谷寺開山堂法起院(ほうきいん)(奈良県桜井市)
長谷寺に向かう道の途中で、番外札所の法起院に寄り、ご朱印をいただく。小さなお寺だが、西国三十三観音霊場の創始者である徳道上人(長谷寺の開基でもある)が晩年隠棲したと伝える由緒あるお寺である。
■西国第八番 豊山長谷寺(奈良県桜井市)
法起院から、もうしばらく歩くと長谷寺。わりと最近、来た記憶があるのだが、いつ以来だっけ? それと、私の実家は「真言宗豊山派」なので、長谷寺は総本山なのだ。今回のご開帳では、ご本尊のおみ足に触れて、ご縁を結ぶことができるという。本堂の横、「特別拝観」の看板の出ている入口から入ると、短い廊下を経て、納戸のような狭い空間の戸口が現れる。目の前には、金の裳裾からのぞく、大きなおみ足。え?と思って上を見ると、頭上には、錫杖を握り、水瓶を握った観音様の両手。さらに上方には、あごの下から見上げたお顔がある。そうか、ここはご本尊のお厨子の中なのだ…。
案内のお坊さんに促されて、両のおみ足に触れて、礼拝する。お坊さんは「こういうかたちのご開帳は初めてです」とおっしゃっていたけれど、それにしては、観音様のおみ足が、つるつると黒光りしていたなあ。厨子の内壁には、四天王と三十三応現身の色絵。ご本尊の背後には円形の掛仏。お坊さんにお加持をしていただき、厨子の外側をひとまわりする。厨子の背面には、阿弥陀来迎図が描かれ、金身の十一面観音が祀られていた。お厨子の脇には薬師如来と十二神将。
本堂の正面にまわり、もう一度、ご本尊を拝する。適度に古色を帯びた巨像で、鈍い金色が美しい。左右に開け放たれた扉に、彩色の小さな彫像が多数並んでいる(三十三応現身だそうだ)。豪奢で沈鬱な印象が、冬の曇り空に似合いで、どこかカトリックの教会を思わせる。
■西国第七番 東光山龍蓋寺(岡寺)(奈良県高市郡)
長谷寺→橿原神宮前駅へ移動。冬季は1時間に1本のバスをつかまえ、岡寺に向かう。飛鳥は大好きなんだけど、今日はバスの車窓から眺めるだけ。岡寺のご本尊は如意輪観音だが、一般に「美人」の多い如意輪観音にしては、逞しく男性的である。視線が上向きのせいで、正面から見ると、ぼんやりした印象だが、内陣の右脇に小窓があって、ここから横顔を拝見すると、なかなか、りりしい好男子に見える。
■唐招提寺(奈良市五条町)
これで本日の予定は終了だが、忙しく時間を計算し、まだ1カ所寄れる!という結論に。帰り道の西の京で下車して、唐招提寺に寄ることにした。10年にわたる金堂平成大修理が終わり、11月1日に落慶法要が行われたはずである。夕暮れの迫る山門をくぐると、正面には「天平の甍」をいただいた金堂の姿。あまりにも見慣れた光景に思えたけど、これって10年ぶりなのかなあ。少なくとも、昨年2008年2月に来たときは、この金堂の位置に、大きな覆い屋が建っていたのであるが…。ゆっくり近づいていくと、3つの窓から、かすかに中が見える。左端、そこはかとなく金色に輝いているのは、千手観音である。中央は毘盧遮那仏。そして、右端の薬師如来は、2001年1月から2006年7月まで、奈良博に預けられていた。奈良博の本館では、ずいぶん巨大に感じられたのに、ここに戻ってくると、全然大きい感じがしない。隣りの2体が破格に大きすぎるためである。
それにしても、『壊れても仏像』の飯泉太子宗さんは、仏像を動かすときは気をつかう、と書いていらしたが、空調の管理された博物館から、屋外同然(天井があるだけ)の金堂に戻ってきて、大丈夫なのかな、と気にかかる。境内に建てられた修理所で修復の間に、少しずつ慣らしているのかしら。プレハブみたいな修理所は境内の隅にまだそのまま残されていたが、そのほかは、ほぼ10年前の風景に戻っている。10年なんて、このお寺が過ごしてきた歳月に比べたら、ほんのわずかのブレイクに過ぎないのだな、と感慨にふける。
■西国番外 長谷寺開山堂法起院(ほうきいん)(奈良県桜井市)
長谷寺に向かう道の途中で、番外札所の法起院に寄り、ご朱印をいただく。小さなお寺だが、西国三十三観音霊場の創始者である徳道上人(長谷寺の開基でもある)が晩年隠棲したと伝える由緒あるお寺である。
■西国第八番 豊山長谷寺(奈良県桜井市)
法起院から、もうしばらく歩くと長谷寺。わりと最近、来た記憶があるのだが、いつ以来だっけ? それと、私の実家は「真言宗豊山派」なので、長谷寺は総本山なのだ。今回のご開帳では、ご本尊のおみ足に触れて、ご縁を結ぶことができるという。本堂の横、「特別拝観」の看板の出ている入口から入ると、短い廊下を経て、納戸のような狭い空間の戸口が現れる。目の前には、金の裳裾からのぞく、大きなおみ足。え?と思って上を見ると、頭上には、錫杖を握り、水瓶を握った観音様の両手。さらに上方には、あごの下から見上げたお顔がある。そうか、ここはご本尊のお厨子の中なのだ…。
案内のお坊さんに促されて、両のおみ足に触れて、礼拝する。お坊さんは「こういうかたちのご開帳は初めてです」とおっしゃっていたけれど、それにしては、観音様のおみ足が、つるつると黒光りしていたなあ。厨子の内壁には、四天王と三十三応現身の色絵。ご本尊の背後には円形の掛仏。お坊さんにお加持をしていただき、厨子の外側をひとまわりする。厨子の背面には、阿弥陀来迎図が描かれ、金身の十一面観音が祀られていた。お厨子の脇には薬師如来と十二神将。
本堂の正面にまわり、もう一度、ご本尊を拝する。適度に古色を帯びた巨像で、鈍い金色が美しい。左右に開け放たれた扉に、彩色の小さな彫像が多数並んでいる(三十三応現身だそうだ)。豪奢で沈鬱な印象が、冬の曇り空に似合いで、どこかカトリックの教会を思わせる。
■西国第七番 東光山龍蓋寺(岡寺)(奈良県高市郡)
長谷寺→橿原神宮前駅へ移動。冬季は1時間に1本のバスをつかまえ、岡寺に向かう。飛鳥は大好きなんだけど、今日はバスの車窓から眺めるだけ。岡寺のご本尊は如意輪観音だが、一般に「美人」の多い如意輪観音にしては、逞しく男性的である。視線が上向きのせいで、正面から見ると、ぼんやりした印象だが、内陣の右脇に小窓があって、ここから横顔を拝見すると、なかなか、りりしい好男子に見える。
■唐招提寺(奈良市五条町)
これで本日の予定は終了だが、忙しく時間を計算し、まだ1カ所寄れる!という結論に。帰り道の西の京で下車して、唐招提寺に寄ることにした。10年にわたる金堂平成大修理が終わり、11月1日に落慶法要が行われたはずである。夕暮れの迫る山門をくぐると、正面には「天平の甍」をいただいた金堂の姿。あまりにも見慣れた光景に思えたけど、これって10年ぶりなのかなあ。少なくとも、昨年2008年2月に来たときは、この金堂の位置に、大きな覆い屋が建っていたのであるが…。ゆっくり近づいていくと、3つの窓から、かすかに中が見える。左端、そこはかとなく金色に輝いているのは、千手観音である。中央は毘盧遮那仏。そして、右端の薬師如来は、2001年1月から2006年7月まで、奈良博に預けられていた。奈良博の本館では、ずいぶん巨大に感じられたのに、ここに戻ってくると、全然大きい感じがしない。隣りの2体が破格に大きすぎるためである。
それにしても、『壊れても仏像』の飯泉太子宗さんは、仏像を動かすときは気をつかう、と書いていらしたが、空調の管理された博物館から、屋外同然(天井があるだけ)の金堂に戻ってきて、大丈夫なのかな、と気にかかる。境内に建てられた修理所で修復の間に、少しずつ慣らしているのかしら。プレハブみたいな修理所は境内の隅にまだそのまま残されていたが、そのほかは、ほぼ10年前の風景に戻っている。10年なんて、このお寺が過ごしてきた歳月に比べたら、ほんのわずかのブレイクに過ぎないのだな、と感慨にふける。