見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

自由と解放、そして幻滅/ポピュリズムへの反撃(山口二郎)

2010-10-17 22:27:07 | 読んだもの(書籍)
○山口二郎『ポピュリズムへの反撃:現代民主主義復活の条件』(角川Oneテーマ21) 角川書店 2010.10

 私は、もともと政治に関心があるほうではない。90年ごろまで日本の政治状況は、素人があれこれ論ずる必要を感じなかった。小さなトラブルや対立はあっても、最後は落ち着くべきところに落ち着くと思っていた。ところが、最近は、政治家も有権者も、それから有権者予備軍である若者も、肝の冷えるような暴走と迷走を繰り返している。「危険な政治家、自殺的な政策」に対する、あの無責任な熱狂は何なのか。

 本書は、ポピュリズムという切り口から、この10年間の日本の政治について考えたものである。ただし、小泉構造改革以来の10年間の分析はあまり詳しくない。この1年間が多事多端すぎて(鳩山内閣誕生から退陣、菅内閣誕生、民主党代表選)、その同時進行の分析だけで紙面を使いはたしてしまった感がある。

 ポピュリズムとは「大衆のエネルギーを動員しながら一定の政治目標を実現する手法」をいう。いや、むしろ、政治学者バーナード・クリックによる「ポピュリズムとは、多数派を決起させること」「多数派とは、自分たちは今、政治的統合体の外部に追いやられており、教養ある支配層から蔑視され見くびられている(略)と考えているような人々である」という説明のほうが、分かりやすいかもしれない。この不満をバネに「多数派」の人々は、富の再分配、「われわれ」と「奴ら」の線の引き直しを求める。このとき、大きな威力を発揮するのが、メディアによってつくられた「ステレオタイプ」である。

 著者は、ポピュリズムやステレオタイプを全否定しているわけではない。19世紀~20世紀半ばまでのポピュリズム(大衆動員)は、圧倒的に実質上の平等を求める運動だった。また、人間はステレオタイプなしに生きていくことはできない。しかし、20世紀半ば以降のポピュリスト的リーダーは、根拠のない(客観的な経済格差や不平等構造と対応しない)「われわれと奴ら」の線引きを描き出すことで、「奴ら」に対する多数派の不信と憎悪を掻き立て、自滅的な「改革」を成功させてしまった。ここに問題がある。

 では、どうすればよいか。著者は、もう一度、みんなが理性的になって、意味のある対立軸にしたがって政治的選択をしていく「古典的な民主主義」に戻ることはもうないだろう、とはっきり述べている。え~身も蓋もない…と思ったけど、ムダな期待は抱かせないのが、学者の良心というものか。でも、詳しく読んでいくと、著者が具体的に政治家に求めることは「現実認識に立った政策決定」だったり「各党間の徹底的な政策論議」だったりして、これは、やっぱり理性的で古典的な民主主義に戻れってことじゃないのかな、と首をひねった。

 われわれ有権者へのクスリとして、著者は、自由と解放の後に幻滅は不可避である、という堀田善衛氏のことば(『天上大風』)を引用している。嬉しいな。私も堀田善衛さんのこの本、大好きなので。戦後生まれの日本人は、この度の政権交代によって「自由と解放」そして「幻滅」という政治的経験を、ようやく一周したに過ぎない。いまの政治家と有権者に必要なのは、次の選択肢にすばやく乗り換える消費者マインドではなく、幻滅を乗り越え、しつこく、しぶとく政治の変化を追求していく覚悟だと思う。

 「民主主義とは優れたリーダーがてきぱきと仕事をこなしてくれる仕組みではありません」というのも、いい言葉だと思った。優れたリーダーを待望する言説には気をつけよう。民主主義は、いつも弱さや幻滅とともにある、本質的にカッコ悪いものなのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川越祭り2010

2010-10-17 02:48:53 | なごみ写真帖
埼玉に3年間住んでいて、あまりいいことはなかったが、川越祭りだけは楽しかった。誰に教えられたわけでもないが、通っているうちに、だんだん見どころが分かってきた。

川越まつり」公式サイトを見ると、29台の山車が掲載されている。毎年、全ての山車が登場するわけではなく、今年の参加は17台。

山車には囃子連が乗り込む。笛1、大太鼓1、締太鼓2、鉦1の五人囃子で、リズムとメロディーは流派や囃子連によって異なる。はじめ、舞い手は山車によって異なる扮装をするのかと思っていたら、そうではなくて、どの山車にも、数人=数種類(天狐、オカメなど)の舞い手が乗り込み、交替に踊るらしい。私は、なんと言ってもキツネたちが大好きだ。川越まつりの主役は彼らだと言ってもいいような気がする。

↓野田五町、八幡太郎の山車。緋の袴に金襴の衣装。


↓今成町、鈿女(うずめ)の山車。白の行者服が黄の幔幕に映え、激しく舞う。


↓連雀町、道灌の山車。白の行者服、肉色の面がちょっと怖い。


↓幸町、小狐丸の山車。細面で耳の長い変わった面。山羊みたいな顔だ。


↓松江町二丁目、浦島の山車。上下赤の行者服。


↓宮下町、日本武尊の山車。川越市役所のさらに奥の住宅街を本拠とし、ちょうど「曳っかわせ」に出立するところを目撃した。金襴のちゃんちゃんこを着けたキツネが舞台から大きく身を乗り出し、出陣の指揮を執る総大将のように舞う。


みんな、カッコいい!!!

むかしは江戸の「音」といえば三味線だと思っていたが、絃の入らないお囃子もいいなあと思うようになった。笛と鉦・太鼓って単純だが、十分に聴ける。飽きない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関西・秋の展覧会(4)おまけ:東大寺散歩

2010-10-17 00:45:49 | なごみ写真帖
展覧会めぐりの合い間に、朝の東大寺を散歩した(10/10)。

立派な角の雄ジカ。しかし、10/10-11の2日間、恒例の「鹿の角切り」行事が行われ、今年は32頭の角が切られたというから、これが最後の雄姿だったかもしれない。



めずらしく人の姿のない裏参道。一瞬だったけど。



二月堂参籠所食堂の排水溝に掛け渡されていた小さな札。東大寺の境内にもアライグマが出るんですね。



二月堂の納経所に掛っていた木札。



昨年、西国三十三所の満願を達成したが、東大寺二月堂が「番外札所」だという認識は全くなかった。「西国三十三所巡礼の旅」公式サイトにも掲載されていないし…。ご朱印を書いていただいた方にお尋ねしてみたら、「昔は番外に数えられていたんですよ」とおっしゃって、小さな紙片をいただいた。それによると「西国三十三ヶ所観音霊場巡拝 番外」は

・華厳宗 東大寺二月堂
・真言宗 高野山
・単立 善光寺
・和宗 四天王寺
・真言宗 豊山 法起院
・天台宗 華頂山 元慶寺
・真言宗 東光山 花山院

へえー。長野の善光寺まで入っていたとは初耳。でも西国なのか?信濃は。

三月堂(法華堂)にも寄った。最後に来たのはいつだったろう。実は、この度の須弥壇解体修理のニュースを私が知ったのは、拝観停止が始まってからだった。8/1から拝観は再開。ただし、右から、梵天→日光菩薩→不動明王→弁財天→地蔵菩薩→月光菩薩→帝釈天の順で一列に並んだ諸像をガラス戸越しに拝観するのみ。お堂の外の案内板には「内陣には入れませんが、礼堂からご尊顔を間近に拝することができます」とある。まあその通りだ。

現状および今後の予定は、東大寺公式サイトにも掲載されているが、

・不空羂索観音像、四天王像、吉祥天像は順次修復?
・金剛力士像ニ体…特別展終了後も引き続き、奈良博で公開中。
・日光、月光、弁財天、不動、梵天、帝釈天…三月堂で公開中。
・日光、月光、吉祥天、弁財天…平成23(2011)年10月以降、新設の「東大寺ミュージアム」で公開。※三月堂は不動、梵天、帝釈天だけになる?
・不空羂索観音像…平成24(2012)年12月以降、三月堂に復帰公開。
・四天王像…修復後の去就未定。お寺は「一体でも戻ってくれば…」と願っている模様。

長い目でみれば、たとえば不空羂索観音と日光、月光は、もともと一具としてつくられたわけではないのだから、分離を躊躇する理由はないのかもしれない。しかし、仏像に興味を持ってこのかた、30年余り、ずっと一体の風景として眺めてきた三月堂の諸像が、こんな簡単にバラバラになってしまう日に立ち会おうとは、「諸行無常、会者定離」が身に沁みて、ちょっと泣ける。和辻哲郎の『古寺巡礼』も知的に構成しなおさなければ、追体験できなくなるんだなあ。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする