○静嘉堂文庫美術館 静嘉堂の東洋陶磁 PartIII『朝鮮陶磁名品展-高麗茶碗、漆工芸品とともに-』(2011年10月1日~12月4日)
これも最終日に駆け込み参観。公式ページはもう消えてしまったが、「仏教に信仰篤く貴族文化が花開いた高麗時代に誕生した高麗青磁、その技法を受け継いで誕生した粉青(三島手)のやきもの、朝鮮王朝の国家理念である儒教を象徴する白磁と青花(染付)磁器など」朝鮮陶磁の流れを優品でたどる展覧会である。静嘉堂の東洋陶磁といえば、最初に思い浮かぶのは、やっぱり中国(清朝)磁器で、第二に日本の茶陶。朝鮮陶磁を持っているという認識はあまりなかった。それもそのはず、「朝鮮陶磁コレクション展は、10年ぶりの公開」だという。なるほど、同館のサイトに、2001年夏、『朝鮮陶磁展-青磁・粉青・白磁・高麗茶碗-』が行われた記録がある。
まず、会場入口に置かれた『青磁象嵌葡萄文瓢形水注』(高麗、12~13世紀)が、デカすぎて驚く。水を入れたら、片手で容易に持ち上げられそうにない。いや、そんなに重くはならないのかもしれないが、か弱い女性なら胸に抱きかかえたくなるような、たっぷりした量感がある。口のあたりが焼けたように白茶けて見えるのは、釉がかかっていないのだった。初見かと思ったら、私は、2006年、東京美術倶楽部の創立百周年記念展で見ていた。
高麗青磁は、中国・越窯青磁の影響で成立し、その後も汝窯や耀州窯の影響を受けた。高麗青磁は釉層が薄いので、胎土の色が透けて、灰色、時にはピンクがかって見える。これを「翡色」と称したらしい。『青磁鉄絵牡丹唐草文梅瓶』は、私の好きな磁州窯に似ていたが、福建の泉州磁灶(じそう)窯や広東の広州西村窯など、華南からの影響を受けているという。やきものの世界は、まだまだ複雑で奥深い。
高麗青磁が大小とりまぜて30余点。申し訳ないが、どれも整い過ぎて、ちょっと退屈な感じがした。いかにも三菱財閥のコレクションと言いますか…。朝鮮時代の粉青(素地に白化粧をして、灰青色の釉をかけたもの)も、はじめは同じ印象が続いた。どれも茶室の床の間には似合いそうだが、私の目は、つい「民藝」的な美を探してしまうのだ。いいな、と感じたのは、ほとんど無釉に見える『粉青象嵌魚文瓶』。あと『青花草虫文瓶』など、風船のようにまるまるした本体に細い首を取りつけた白磁の瓶。ちょうど三体並んでいて、その首の傾きが少しずつ異なるのが、手仕事らしくて、愛らしかった。
『青花鹿文八角瓶』『鉄砂鶏文瓶』そして『飴釉面取瓶』の並びもよかった。よく似た形が並ぶと、中心線の歪みが分かってしまうのだが、それが却って個性を感じさせる。きちんと作った末の歪みであるところがいい。
この展覧会は、完全に朝鮮陶磁だけだと思っていたので、展示目録を渡されて、はじめて「高麗茶碗、漆工芸品とともに」という副題があることを知った。その副題のとおり、展示の終盤には、螺鈿や鮫皮、華角張の箱が出ていた。特に大小の螺鈿箱は、いずれ劣らぬ名品。舌切り雀のお爺さんになったつもりで、持って帰るならどれ?と悩んでみた。
茶碗はやっぱり井戸茶碗だな。「越後」は、そのへんに捨て置かれてもおかしくない、ふてぶてしい迫力を感じた。内箱蓋表の書付「越後殿」に依る命名だそうだが、なぜ「越後殿」と呼ばないのかな?と素朴な疑問。高台脇の「みごとな梅華皮(かいらぎ=鮫皮)」が見どころ。蟹が吹いた泡のような生々しさがあった。
これも最終日に駆け込み参観。公式ページはもう消えてしまったが、「仏教に信仰篤く貴族文化が花開いた高麗時代に誕生した高麗青磁、その技法を受け継いで誕生した粉青(三島手)のやきもの、朝鮮王朝の国家理念である儒教を象徴する白磁と青花(染付)磁器など」朝鮮陶磁の流れを優品でたどる展覧会である。静嘉堂の東洋陶磁といえば、最初に思い浮かぶのは、やっぱり中国(清朝)磁器で、第二に日本の茶陶。朝鮮陶磁を持っているという認識はあまりなかった。それもそのはず、「朝鮮陶磁コレクション展は、10年ぶりの公開」だという。なるほど、同館のサイトに、2001年夏、『朝鮮陶磁展-青磁・粉青・白磁・高麗茶碗-』が行われた記録がある。
まず、会場入口に置かれた『青磁象嵌葡萄文瓢形水注』(高麗、12~13世紀)が、デカすぎて驚く。水を入れたら、片手で容易に持ち上げられそうにない。いや、そんなに重くはならないのかもしれないが、か弱い女性なら胸に抱きかかえたくなるような、たっぷりした量感がある。口のあたりが焼けたように白茶けて見えるのは、釉がかかっていないのだった。初見かと思ったら、私は、2006年、東京美術倶楽部の創立百周年記念展で見ていた。
高麗青磁は、中国・越窯青磁の影響で成立し、その後も汝窯や耀州窯の影響を受けた。高麗青磁は釉層が薄いので、胎土の色が透けて、灰色、時にはピンクがかって見える。これを「翡色」と称したらしい。『青磁鉄絵牡丹唐草文梅瓶』は、私の好きな磁州窯に似ていたが、福建の泉州磁灶(じそう)窯や広東の広州西村窯など、華南からの影響を受けているという。やきものの世界は、まだまだ複雑で奥深い。
高麗青磁が大小とりまぜて30余点。申し訳ないが、どれも整い過ぎて、ちょっと退屈な感じがした。いかにも三菱財閥のコレクションと言いますか…。朝鮮時代の粉青(素地に白化粧をして、灰青色の釉をかけたもの)も、はじめは同じ印象が続いた。どれも茶室の床の間には似合いそうだが、私の目は、つい「民藝」的な美を探してしまうのだ。いいな、と感じたのは、ほとんど無釉に見える『粉青象嵌魚文瓶』。あと『青花草虫文瓶』など、風船のようにまるまるした本体に細い首を取りつけた白磁の瓶。ちょうど三体並んでいて、その首の傾きが少しずつ異なるのが、手仕事らしくて、愛らしかった。
『青花鹿文八角瓶』『鉄砂鶏文瓶』そして『飴釉面取瓶』の並びもよかった。よく似た形が並ぶと、中心線の歪みが分かってしまうのだが、それが却って個性を感じさせる。きちんと作った末の歪みであるところがいい。
この展覧会は、完全に朝鮮陶磁だけだと思っていたので、展示目録を渡されて、はじめて「高麗茶碗、漆工芸品とともに」という副題があることを知った。その副題のとおり、展示の終盤には、螺鈿や鮫皮、華角張の箱が出ていた。特に大小の螺鈿箱は、いずれ劣らぬ名品。舌切り雀のお爺さんになったつもりで、持って帰るならどれ?と悩んでみた。
茶碗はやっぱり井戸茶碗だな。「越後」は、そのへんに捨て置かれてもおかしくない、ふてぶてしい迫力を感じた。内箱蓋表の書付「越後殿」に依る命名だそうだが、なぜ「越後殿」と呼ばないのかな?と素朴な疑問。高台脇の「みごとな梅華皮(かいらぎ=鮫皮)」が見どころ。蟹が吹いた泡のような生々しさがあった。