見もの・読みもの日記

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地の底から始まる/あんぽん:孫正義伝(佐野眞一)

2012-01-24 01:01:05 | 読んだもの(書籍)
○佐野眞一『あんぽん:孫正義伝』 小学館 2012.1

 いま日本で最も有名な経営者、ソフトバンク代表取締役社長の孫正義の評伝。正義個人の生い立ちを超えて、その父母と兄弟たち、さらに祖父母の生涯を、粘り強い取材で、次々に明らかにしていく。1世紀にわたり、命をかけて玄界灘を往還した人びとの物語。その怒涛の展開、よくも悪くも登場人物の「キャラ立ち」ぶりは、安っぽいドラマのシナリオなど、吹き飛んでしまうほど熱くて濃い。いやもう、孫正義なんて、ぜんぜん常識人じゃないか、と思えてくるほどである。失礼ながら、私は孫正義のお父ちゃん・三憲氏の破天荒ぶりが大好きになってしまった(写真、孫さんに似てるな~)。なお「あんぽん」とは、朝鮮から渡ってきた孫一族が日本で名乗った「安本」姓のこと。

 率直に言って、私は孫正義という人物が好きではない。彼が朝鮮に出自を持つことから「反日」「売国奴」と罵声を浴びせて悦に入っている人々に与する気はないが、一方で、孫に心酔する若者たちも、なんだかなーと思っている。その点では、著者の佐野さんの視角が、いちばん心情的に近い。

 著者はいう。「紙の本は三十年後にはほぼ100パーセントなくなる」という孫の持論を私(佐野)は全面的に認めない。この男は粘土板から羊皮紙を経て活版印刷に至った本の歴史と、それにまつわる先人たちの努力をほとんど顧みることなく、ひたすら技術の進歩だけを盲信している。…身体性が欠けて記号性だけがあふれた世界は、憎悪する相手への呪詛を容易にし、人間関係をぎすぎすさせる結果になるのではないか。全くそのとおりだ。このように、孫が掲げる錦の御旗「情報革命」に対する著者の疑念は、厳しい口調で、本書に繰り返し表明されている。

 しかし、それとは裏腹に、本書に展開するのは、密造酒と豚の糞尿の臭い、炭鉱事故、刃傷沙汰など、過剰な「身体性」の物語である。この落差が、たまらなく面白い。著者は本書を結ぶに当たって、孫の場合、過去への無意識の嫌悪が、未来への驚異的な推力を生み出しているのではないか、と書いているが、孫が「身体性」よりも「情報」「記号」「バーチャルリアリティ」を求める志向性にも、同様の理由が感じられた。

 本書は、もともと「週刊ポスト」2011年1月7日号から3月25日号に連載した第1部と、同7月29日号から9月23日号に連載した第2部からなる。第1部と第2部の間に東日本大震災があり、単なるIT企業経営者だった孫正義が、脱原発と自然再生エネルギー普及の旗振り役に立ち上がるという、実に想定外の(!)変貌があった。この時期にこの人物を取材していた佐野さんに、ジャーナリストとしての「運の強さ」みたいなものを感じてしまった。そして、取材を重ね、孫正義の叔父が、福岡県の山野炭鉱の組夫(今で言う派遣労働者)として働き、ガス爆発事故で命を落としていること、その事故が会社側の対応の遅れにより「人災」と非難されたことを、忘れられた記録の中から暴き出している。

 「爆発したのにヤマ(炭鉱)を早期再開することを考えて、施設関係の電源を切らなかったという話もあった」という郷土史家の話には、3.11の原発事故の風景が、既視感をもって重なる。「脱原発」を先導する孫の臍の緒が、筑豊炭田の「地の底」につながっていると思うと感慨深い。孫自身は、こんな因縁話は好まないかもしれないけど。

 これまで、著者の数ある評伝の中で、私がいちばん好きだったのは、ダイエー創業者の中内功を描いた『カリスマ』である。あの作品も、中内の冷酷さと人情味、天才と老醜が、あまさず描かれていて、魅力的だった。中内の晩年、ダイエーは経営不振に陥り、寂しい最期を迎えたようにWikiには書かれているが、人生の投了が、アップダウンの「アップ」に当たるか「ダウン」で終わるかを、経営者という人種は、あまり気にしないのではないだろうか。たぶん到達点よりも、トータルで面白い(意味のある)人生を送れたかどうかのほうが重要なのだ。孫正義という人物も、まだまだこのあと、走り続け、賭け続けていくのだろう。

 それに対して、極点で、さっと身を引く術を知っているのが、政治家や官僚ではないかと思う。だからだろうか、著者の作品でも、『阿片王』里見甫、小泉純一郎、田中真紀子など、政界人を描いた評伝は、どこか本当のシッポがつかみ切れていない感じがして、読後にストレスが残るのである。
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