○加藤昌男『テレビの日本語』(岩波新書) 岩波書店 2012.7
日本でテレビ放送が始まったのは1953年。今年で満60年を迎えた。白黒、カラー、衛星放送、デジタル化と技術面ではめざましい進歩を遂げてきたテレビ放送を、そこで使われる「ことば」の変遷に着目して振り返る。著者は、1966年、NHKにアナウンサーとして入社し、1999年からNHK放送研修センター日本語センターで後進の指導とコミュニケーション研修を担当しているという。
さすが日本語に対する感覚が鋭い、と私が感じたのは、東日本大震災の報道で連発された「ご覧いただく」に対する違和感の表明である。「ご覧いただいている画面は、○○港の現在の様子です」という、当時、繰り返されたテレビのコメント。適度な敬語を用いて、冷静に事実を述べていて、非難されるいわれは全くないように思える。でも、何かが微妙におかしい。
画面には、多くの人々の生命や財産が失われていく現実の光景が映し出されている。それを、あたかも映画やドラマの一場面のように、珍しい映像を視聴者に「お見せする」という感覚は、違うのではないか。この箇所を読んで、ことばのプロというのは、こういう厳しい感覚を持っているのだな、と身のひきしまる思いがした。
かつて、アナウンサーは「音のことば」のプロであった。明確な声、正確な発音という「基礎体力」はむろんのこと、「取材力」「構成力」「表現力」を身につけるための努力は、一日も休めない。そして、どんなときも人を傷つけたり、不快感を与えないことばを選ぶ基本は、表現者の感性と倫理観にあるという。最近の促成「プレゼン」講座が、ウケればいい、おもしろければいい、に走って、倫理観を問わないのは、問題だな、と思う。
テレビのことばが大きく変わったのは、80年代からだというが、その起点が「小型ビデオ機器」の導入にあるというのは、目からウロコだった。70年代末までは「事件現場に報道カメラが居合わせる」ことなどとても考えられなかったという。そうか、そうだったっけ。80年代から、小型ビデオ機器を通じて、さりげない日常の中で人々が発することばが放送に乗るようになり、テレビは、おしゃべりな「ごった煮」メディアになっていった。
思えば、私は、実にど真ん中のテレビ世代ではないかと思う。本書に描かれたテレビ報道の変遷、NHK「ニュースセンター9時」の登場(1974年)、テレビ朝日「ニュースステーション」、TBS「NEWS23」など、いずれも鮮やかに記憶がよみがえった。もっと古い「スタジオ102」も覚えている。
第4章「災害報道のことば」は、東日本大震災からさかのぼって、さまざまな災害報道を検証しているのだが、1984年の長野県西部地震(王滝村)、1993年の北海道南西沖大地震(奥尻島)、1982年の長崎大水害、1990年の雲仙普賢岳噴火等々、記憶のよみがえる大災害が並んでいる。日本って、本当に自然災害の多い国土だなあ、としみじみ(げんなり?)する。それから、過熱する選挙報道や「昭和が終わった日」のドキュメントにも言及する。
最後にあらためて問われているのは、テレビ放送関係者の責任と矜持である。いざというとき、生活に不可欠な情報を的確なことばで発信することは、付け焼刃でできることではない。ことばの伝え手であるアナウンサーやキャスター、リポーターには、高いプロ意識が求められる。「テレビが、ことばの規範を示す媒体として真価を問われるのはこれからである」。その意気やよし。確かに「ことば」の使いかたでは、テレビはインターネットメディアに比べて、一日の長があると思う。頑張れ。
日本でテレビ放送が始まったのは1953年。今年で満60年を迎えた。白黒、カラー、衛星放送、デジタル化と技術面ではめざましい進歩を遂げてきたテレビ放送を、そこで使われる「ことば」の変遷に着目して振り返る。著者は、1966年、NHKにアナウンサーとして入社し、1999年からNHK放送研修センター日本語センターで後進の指導とコミュニケーション研修を担当しているという。
さすが日本語に対する感覚が鋭い、と私が感じたのは、東日本大震災の報道で連発された「ご覧いただく」に対する違和感の表明である。「ご覧いただいている画面は、○○港の現在の様子です」という、当時、繰り返されたテレビのコメント。適度な敬語を用いて、冷静に事実を述べていて、非難されるいわれは全くないように思える。でも、何かが微妙におかしい。
画面には、多くの人々の生命や財産が失われていく現実の光景が映し出されている。それを、あたかも映画やドラマの一場面のように、珍しい映像を視聴者に「お見せする」という感覚は、違うのではないか。この箇所を読んで、ことばのプロというのは、こういう厳しい感覚を持っているのだな、と身のひきしまる思いがした。
かつて、アナウンサーは「音のことば」のプロであった。明確な声、正確な発音という「基礎体力」はむろんのこと、「取材力」「構成力」「表現力」を身につけるための努力は、一日も休めない。そして、どんなときも人を傷つけたり、不快感を与えないことばを選ぶ基本は、表現者の感性と倫理観にあるという。最近の促成「プレゼン」講座が、ウケればいい、おもしろければいい、に走って、倫理観を問わないのは、問題だな、と思う。
テレビのことばが大きく変わったのは、80年代からだというが、その起点が「小型ビデオ機器」の導入にあるというのは、目からウロコだった。70年代末までは「事件現場に報道カメラが居合わせる」ことなどとても考えられなかったという。そうか、そうだったっけ。80年代から、小型ビデオ機器を通じて、さりげない日常の中で人々が発することばが放送に乗るようになり、テレビは、おしゃべりな「ごった煮」メディアになっていった。
思えば、私は、実にど真ん中のテレビ世代ではないかと思う。本書に描かれたテレビ報道の変遷、NHK「ニュースセンター9時」の登場(1974年)、テレビ朝日「ニュースステーション」、TBS「NEWS23」など、いずれも鮮やかに記憶がよみがえった。もっと古い「スタジオ102」も覚えている。
第4章「災害報道のことば」は、東日本大震災からさかのぼって、さまざまな災害報道を検証しているのだが、1984年の長野県西部地震(王滝村)、1993年の北海道南西沖大地震(奥尻島)、1982年の長崎大水害、1990年の雲仙普賢岳噴火等々、記憶のよみがえる大災害が並んでいる。日本って、本当に自然災害の多い国土だなあ、としみじみ(げんなり?)する。それから、過熱する選挙報道や「昭和が終わった日」のドキュメントにも言及する。
最後にあらためて問われているのは、テレビ放送関係者の責任と矜持である。いざというとき、生活に不可欠な情報を的確なことばで発信することは、付け焼刃でできることではない。ことばの伝え手であるアナウンサーやキャスター、リポーターには、高いプロ意識が求められる。「テレビが、ことばの規範を示す媒体として真価を問われるのはこれからである」。その意気やよし。確かに「ことば」の使いかたでは、テレビはインターネットメディアに比べて、一日の長があると思う。頑張れ。