■世田谷美術館 『ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展』(2014年6月28日~9月15日)
たまには西洋絵画も見てみようと思い、久しぶりに世田谷美術館へ。用賀駅から美術館へ直通バス(100円)が運行されていて、ありがたいと思ったが、この展覧会の会期中だけのことらしい。歩くとちょっと遠いんだよな。
本展は、19世紀後半から20世紀初頭の西洋で流行した「ジャポニスム」を様々な角度から検証する。ロートレックやゴッホの作品と並んで、広重や歌麿の浮世絵も展示されていたので、国内の美術館から借りてきた参考展示か?と思ったら、ちゃんとボストン美術館から持ってきた「ビゲロー・コレクション」の一部だった。西洋絵画が、生活する女性の姿(本を読んだり、子どもをあやしたり)を描き始めるのも、実は日本の浮世絵の影響なのかしら、と考えたりした。
呼びものは、モネの『ラ・ジャポネーズ』。直訳すると「日本女性」なのかな? 私は、中学生の頃『着物を着たカミーユ』のタイトルで覚えた作品である。モデルの金髪と赤い打掛け、たぶん金糸を用いた華やかな刺繍が響きあって、祝祭的な美しさを感じさせる。誇らかな表情を浮かべた白い顔に、隣りの扇の白い半弧が輝きを添えている。
それにしても、何度か図版を見ていたわりには、打掛けの裾に、奇妙に立体的な武者の姿が縫い取りされていることを全く記憶していなかった。二本差しの髭武者は烏帽子のようなものを被っている。いくぶん髪を振り乱し、二の腕をむき出しにして、まさに抜刀する寸前である。会場の解説では、紅葉狩の平維茂ではないかとのこと。なるほど。私は、武者の着ているものが唐風なので、国姓爺の鄭成功じゃないか?と疑ったが、画像を調べてみると帽子を被った図があまりない。やっぱり、武者にはめずらしい烏帽子がポイントとすれば、平維茂かも。
■世田谷文学館 企画展『日本SF展・SFの国』(2014年7月19日~9月28日)
同じ世田谷区内で、気になる展示をもうひとつ。「かつて、日本にSFを育てようと集った若き作家たちがいました」という紹介に胸が熱くなる。星新一(1926-1997)、小松左京(1931-2011)、手塚治虫(1928-1989)、筒井康隆(1934-)、真鍋博(1932-2000)ら、日本SFの第一世代と呼ばれる作家の活動を中心に紹介。
1930年前後の生まれである彼らが本格的な執筆活動を始めるのは1960年代。1959年、早川書房の雑誌「SFマガジン」が創刊され、1963年に「日本SF作家クラブ」設立、同年「創元SF文庫」創刊、1970年に「ハヤカワ文庫SF」が創刊された。展覧会趣旨に「やがて彼らの作品は、子どもや若者を中心に熱狂的に受け入れられ」とある、私は、その「子どもや若者」だった世代である。
小説とマンガ・アニメには少しタイムラグがあって、手塚治虫のテレビアニメには、ほとんど物心ついたときから親しんできた。マンガ作品を貪り読んだのは小学生時代。会場に展示された手塚の原稿を数ページ見ると、どの作品も前後のストーリーが怒濤のようによみがえってくる。マンガでも小説でも、子どもの頃にいい作品に出会っておくことは、本当に大事。
SF小説を読み始めたのは、中学生以降だと思う。星新一も筒井康隆も好きだったが、私の好みは小松左京だったなあと思う。ぞくっとする怖い短編も好きだったし、『日本沈没』『復活の日』などの重厚な長編小説もあらためて読んでみたい。もっぱら文庫で読みまくった海外SFも懐かしかった。『渚にて』とか、今読んだらどんな感じを持つだろう。当時は核兵器、核戦争の恐怖が想定されていたが、「原子力の平和利用」がこんな事態を引き起こしている今…。
会場には「日本SF作家クラブ」の会報など、部外者はめったに見ることのできないお宝が目白押し。また、パネルに掲げられている作家たちの「言葉」には、新しいジャンルを切り拓いた先駆者の苦闘と快感が込められていて、胸を打つものがある。特に、第一世代の「生き残り」である筒井康隆氏の述懐が胸に沁みた。
それから、私が息を呑んだのは、大阪万博の「太陽の塔」の塔内(生命の樹)および地下展示の写真。私、行ったんだよー。というか、東京から1泊2日で行って、この「太陽の塔」しか見られなかった(入場できなかった)んじゃなかったかな。写真を見るとハリボテ感満載のちゃちな展示で、苦笑を誘われるが、当時は、少なくともガッカリした記憶はない。
■国立新美術館 『オルセー美術館展 印象派の誕生-描くことの自由-』(2014年7月9日~10月20日)
パリ・オルセー美術館から来日した作品84点を展示。印象派好きの日本人には、なじみ深い作品が多い。マネの『笛を吹く少年』は、私の場合、家にあった「少年少女世界文学全集」の装丁に使われていた記憶がある。いやー黒がきれいだなあ。ドガの踊り子(バレエの舞台稽古)、セザンヌの静物、ルノワールの女性像、ピサロの風景画、どれもよかった。
モネの大作『草上の食卓』は、不思議な形状の2枚組で現存している。解説によれば、家賃代として大家に取り上げられ、画家が取り戻した時には画面の損傷が著しく、一部を切り捨てざるを得なかったという。えええ~非道い話。でも、一部を切り取ってでも「四角形+四角形」にしないと、絵画として収まりがつかないと思ったのだろうか。そのへんは西洋の近代精神の不思議なところ。
たまには西洋絵画も見てみようと思い、久しぶりに世田谷美術館へ。用賀駅から美術館へ直通バス(100円)が運行されていて、ありがたいと思ったが、この展覧会の会期中だけのことらしい。歩くとちょっと遠いんだよな。
本展は、19世紀後半から20世紀初頭の西洋で流行した「ジャポニスム」を様々な角度から検証する。ロートレックやゴッホの作品と並んで、広重や歌麿の浮世絵も展示されていたので、国内の美術館から借りてきた参考展示か?と思ったら、ちゃんとボストン美術館から持ってきた「ビゲロー・コレクション」の一部だった。西洋絵画が、生活する女性の姿(本を読んだり、子どもをあやしたり)を描き始めるのも、実は日本の浮世絵の影響なのかしら、と考えたりした。
呼びものは、モネの『ラ・ジャポネーズ』。直訳すると「日本女性」なのかな? 私は、中学生の頃『着物を着たカミーユ』のタイトルで覚えた作品である。モデルの金髪と赤い打掛け、たぶん金糸を用いた華やかな刺繍が響きあって、祝祭的な美しさを感じさせる。誇らかな表情を浮かべた白い顔に、隣りの扇の白い半弧が輝きを添えている。
それにしても、何度か図版を見ていたわりには、打掛けの裾に、奇妙に立体的な武者の姿が縫い取りされていることを全く記憶していなかった。二本差しの髭武者は烏帽子のようなものを被っている。いくぶん髪を振り乱し、二の腕をむき出しにして、まさに抜刀する寸前である。会場の解説では、紅葉狩の平維茂ではないかとのこと。なるほど。私は、武者の着ているものが唐風なので、国姓爺の鄭成功じゃないか?と疑ったが、画像を調べてみると帽子を被った図があまりない。やっぱり、武者にはめずらしい烏帽子がポイントとすれば、平維茂かも。
■世田谷文学館 企画展『日本SF展・SFの国』(2014年7月19日~9月28日)
同じ世田谷区内で、気になる展示をもうひとつ。「かつて、日本にSFを育てようと集った若き作家たちがいました」という紹介に胸が熱くなる。星新一(1926-1997)、小松左京(1931-2011)、手塚治虫(1928-1989)、筒井康隆(1934-)、真鍋博(1932-2000)ら、日本SFの第一世代と呼ばれる作家の活動を中心に紹介。
1930年前後の生まれである彼らが本格的な執筆活動を始めるのは1960年代。1959年、早川書房の雑誌「SFマガジン」が創刊され、1963年に「日本SF作家クラブ」設立、同年「創元SF文庫」創刊、1970年に「ハヤカワ文庫SF」が創刊された。展覧会趣旨に「やがて彼らの作品は、子どもや若者を中心に熱狂的に受け入れられ」とある、私は、その「子どもや若者」だった世代である。
小説とマンガ・アニメには少しタイムラグがあって、手塚治虫のテレビアニメには、ほとんど物心ついたときから親しんできた。マンガ作品を貪り読んだのは小学生時代。会場に展示された手塚の原稿を数ページ見ると、どの作品も前後のストーリーが怒濤のようによみがえってくる。マンガでも小説でも、子どもの頃にいい作品に出会っておくことは、本当に大事。
SF小説を読み始めたのは、中学生以降だと思う。星新一も筒井康隆も好きだったが、私の好みは小松左京だったなあと思う。ぞくっとする怖い短編も好きだったし、『日本沈没』『復活の日』などの重厚な長編小説もあらためて読んでみたい。もっぱら文庫で読みまくった海外SFも懐かしかった。『渚にて』とか、今読んだらどんな感じを持つだろう。当時は核兵器、核戦争の恐怖が想定されていたが、「原子力の平和利用」がこんな事態を引き起こしている今…。
会場には「日本SF作家クラブ」の会報など、部外者はめったに見ることのできないお宝が目白押し。また、パネルに掲げられている作家たちの「言葉」には、新しいジャンルを切り拓いた先駆者の苦闘と快感が込められていて、胸を打つものがある。特に、第一世代の「生き残り」である筒井康隆氏の述懐が胸に沁みた。
それから、私が息を呑んだのは、大阪万博の「太陽の塔」の塔内(生命の樹)および地下展示の写真。私、行ったんだよー。というか、東京から1泊2日で行って、この「太陽の塔」しか見られなかった(入場できなかった)んじゃなかったかな。写真を見るとハリボテ感満載のちゃちな展示で、苦笑を誘われるが、当時は、少なくともガッカリした記憶はない。
■国立新美術館 『オルセー美術館展 印象派の誕生-描くことの自由-』(2014年7月9日~10月20日)
パリ・オルセー美術館から来日した作品84点を展示。印象派好きの日本人には、なじみ深い作品が多い。マネの『笛を吹く少年』は、私の場合、家にあった「少年少女世界文学全集」の装丁に使われていた記憶がある。いやー黒がきれいだなあ。ドガの踊り子(バレエの舞台稽古)、セザンヌの静物、ルノワールの女性像、ピサロの風景画、どれもよかった。
モネの大作『草上の食卓』は、不思議な形状の2枚組で現存している。解説によれば、家賃代として大家に取り上げられ、画家が取り戻した時には画面の損傷が著しく、一部を切り捨てざるを得なかったという。えええ~非道い話。でも、一部を切り取ってでも「四角形+四角形」にしないと、絵画として収まりがつかないと思ったのだろうか。そのへんは西洋の近代精神の不思議なところ。