見もの・読みもの日記

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遊びの哲学/中国人はつらいよ(大木康)

2015-06-08 20:35:53 | 読んだもの(書籍)
○大木康『中国人はつらいよ-その悲惨と悦楽:伝統から彼らの実像を知る』(PHP新書) PHP研究所 2015.2

 PHP社の出版ラインナップを見ると「嫌中嫌韓本」の嫌疑をかけられている(私は読んでいない)本とか、タイトルから見て「日本すごい」を言いたいらしい本が並んでいるが、本書はその類ではない。著者は明清「軟文学」を専門とする中国文学の研究者。本書は伝統を踏まえつつ、中国人のメンタリティを解説したもの。

 序章において著者はいう。総じて言えることは中国の人々は元気である。時に文句を言いつつも、日々を前向きに、楽しそうに生きている。実は、みなかなり厳しい状況の中で生きているにもかかわらずである。…ここは全面的に同意。しかし中国人の、いつも元気で前向きな様子に苛立つというか、辟易する日本人も多いのではないかと思う。そういう人は、残念ながら中国文化との相性が悪い。私は彼らの明るさ、たくましさが嫌いではない(少なくとも少し離れて見ている限りは)。

 中国に生きる人々の苦労はどこからくるのか。著者は「官」と「民」の間の深い溝、皇帝を頂点とする官僚機構が庶民を搾取してきた歴史を、俗文学の逸話を織り交ぜつつ語る。そんな社会で人々が生きていく拠り所となったのが「宗族」ネットワークである。それぞれの宗族内部には強い団結力が働くが、宗族どうしはきわめて排他的である。孫文は中国人は「散砂の民」であると言い、中国には家族主義、宗族主義はあっても国家主義がないと述べたという。これは直感的にすごく分かる。中国人の「反日」を糾弾する日本人を私があまり信用しないのは、中国人が(いくら政府に教育されても)「国家主義」を身につけるとは思えないからである。

 中国人にとっては血縁地縁の外にいる人間は人間ではない。いったん知り合って、人間関係の枠の中に入ったら、とことん尽くすが、赤の他人には遠慮も尊重もしない。やはり中国文学研究者の加藤徹さんも同じようなことを書かれていたと思う。あまり共感はできないが、言いたいことは分かる。中国(人)とつきあうには、押さえておくべき文化だと思う。著者の同僚の中国人研究者は、中国には父親とか母親とか上司とか具体的な人がいるだけで、抽象的な、それぞれ基本的人権を持った人間というのものがいない、と語っていたそうだ。ゆきとどいた自己省察だと思う。

 さて、著者の専門の文学の話。中国文学は「不平不満」の文学である。一見「楽しみ」を詠んでるように見えても、その裏には悲観的な人生観がある。しかし、歴史的に見ると(とりわけ詩について)唐の中期ごろを境に悲観的文学から楽観的文学への変化が見られるという。おお、そうなのか。一般的な日本人は、唐までの詩しか読まないからなあ。

 そして、中国人が見出した「遊び」と「楽しみ」、漢詩、玩物、美食、美人、庭園などについて詳しく紹介する。生きにくい社会の分析で始まりながら、最後は「楽しみ」のカタログに落ち着くところが、やっぱり著者も中国人的メンタリティの持ち主だと思った。
コメント
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