○東京藝術大学 大学美術館 『藝大コレクション展 美の収穫祭』(特集展示:平櫛田中ゆかりの作品を中心に)(2015年11月10日~11月29日)
いつも春の企画展を見にいくと、併設で「藝大コレクション展」が開かれていたような気がする。私は近代初期の洋画や具象彫刻が好きなので、けっこう楽しみにしていた。今年はめずらしく秋季の開催。
入口から続く展示ケースには、日本画作品が並んでいた。光琳の『槙楓図屏風』を先頭に、以下、近代の作品が並ぶ。橋本雅邦の『白雲紅樹』、川合玉堂の『雑木山』は、清涼な空気を感じさせて、この季節にふさわしい。狩野芳崖の『大鷲』は、縦3メートル×横2メートルを越える大画面に、怪鳥のように巨大な鷲の姿を描く。しかし、芳崖の描く鬼や動物は、どこかディズニーアニメみたいな丸っこい愛らしさがあって、あまり怖くはない。伊藤博文に贈るつもりで描いたと伝えられるが、実際に贈られたとして、お気に召しただろうか。美人画のほうが喜んだんじゃないかなあ、と伊藤公ファンとしてつぶやいておく。上村松園の『草紙洗小町』もずいぶん大きな絵で、迫力があった。柴田是真の『千種之間天井綴織下絵』は、薄紙の四隅を特製マグネット(?)で留めた展示方法がキュートで感心した。
ケースの向かい側は洋画の列か、と思って振り向いたら、先頭にいきなり高橋由一の『鮭』が掛かっていて、そこか!と笑ってしまった。このところ、特別扱いされる展覧会が続いたように思うが、こんなふうにただの白壁をバックに掛かっているほうがこの作品らしい気がする。ちょうど目の高さで近寄れるので、鱗を落とした皮のザラザラ感や肉の輝くようなピンク色をじっくり味わうことができる。山本芳翠とか原田直次郎とか、私の好きな画家の作品が並んで、黒田清輝の『婦人像(厨房)』がトメ。戸口の椅子に腰かけた女性は、グレーの服に黒っぽい上着を羽織り、黒っぽい靴を履いているのだが、この「黒」は赤や青の絵具で作られているという解説を読んで、なるほどと思った。その微妙な色彩を引き立てるために額縁は漆黒なのかなあ。
日本画では、鏑木清方の『一葉』あり。有名な肖像画だが、藝大が持っているとは認識していなかった。間近に見て、厳しい面構えに驚く。左眉がアンバランスに上がっているし、口角がへの字に下がっている。つまらないことを言ったら、たちまち軽蔑されそうだ。
さて、奥のスペースは特集展示「平櫛田中ゆかりの作品を中心に」となっており、田中の作品、田中が集めて藝大に寄贈した作品、そして弟子の彫刻家たちが制作した田中の肖像などが並んでいる。いちばん目を奪われたのは『鏡獅子試作』。というか、実は藝大美術館の公式ツイッターが、この作品の写真を流していたのを見て、楽しみに飛んできたのだ。モデルは六代目尾上菊五郎(1885-1949)で、頭には羽二重を巻き、顔は白塗りに隈取り、白ブリーフひとつの裸形で見栄を決めている。等身よりは小さめだが、その筋肉と肉付きのリアルなことは驚くほどで、活き人形と言ってもおかしくない。「本作は国立劇場に飾られている」という解説を読んで、は?となったが、そう言えば、大劇場(あまり行かない)のロビーに鏡獅子像があったかもしれない。ただし、もちろん衣装とカツラをフル装備した状態の像である。絵画の制作でも、身体の動きを計算した上で着物や鎧を着せている下絵を見たことがあるが、彫刻も同じことを考えるのだな。この作品は藝大コレクションではなく、岡山県井原市の田中美術館が所蔵しているらしい。
ほかにも『転生』『禾山笑』『五浦釣人』など田中の代表作が多数。『源頼朝像』は鎌倉の白旗神社の本尊として制作したものの改作だという。ご本尊、開帳してくれないかなあ。
同時開催の『武器をアートに-モザンビークにおける平和構築』(2015年10月17日~11月23日)も覗いてみた。大英博物館展に来ていた『銃器で作られた「母」像』と同様、回収された武器から生まれたアート作品が展示されている。長い内戦がようやく終結したモザンビークでは、安定した平和を築くため「銃を鍬に」プロジェクトが始まった。この名称は旧約聖書から取られたもので、「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない」(イザヤ書、新共同訳)という。この章句、いつも心に置いておきたい。放置自転車の寄贈などの支援を続けているNPO法人えひめグローバルネットワークの名前も書き留めておく。地域を基盤にグローバルな問題に取り組むって、とてもいいことだと思うので。
いつも春の企画展を見にいくと、併設で「藝大コレクション展」が開かれていたような気がする。私は近代初期の洋画や具象彫刻が好きなので、けっこう楽しみにしていた。今年はめずらしく秋季の開催。
入口から続く展示ケースには、日本画作品が並んでいた。光琳の『槙楓図屏風』を先頭に、以下、近代の作品が並ぶ。橋本雅邦の『白雲紅樹』、川合玉堂の『雑木山』は、清涼な空気を感じさせて、この季節にふさわしい。狩野芳崖の『大鷲』は、縦3メートル×横2メートルを越える大画面に、怪鳥のように巨大な鷲の姿を描く。しかし、芳崖の描く鬼や動物は、どこかディズニーアニメみたいな丸っこい愛らしさがあって、あまり怖くはない。伊藤博文に贈るつもりで描いたと伝えられるが、実際に贈られたとして、お気に召しただろうか。美人画のほうが喜んだんじゃないかなあ、と伊藤公ファンとしてつぶやいておく。上村松園の『草紙洗小町』もずいぶん大きな絵で、迫力があった。柴田是真の『千種之間天井綴織下絵』は、薄紙の四隅を特製マグネット(?)で留めた展示方法がキュートで感心した。
ケースの向かい側は洋画の列か、と思って振り向いたら、先頭にいきなり高橋由一の『鮭』が掛かっていて、そこか!と笑ってしまった。このところ、特別扱いされる展覧会が続いたように思うが、こんなふうにただの白壁をバックに掛かっているほうがこの作品らしい気がする。ちょうど目の高さで近寄れるので、鱗を落とした皮のザラザラ感や肉の輝くようなピンク色をじっくり味わうことができる。山本芳翠とか原田直次郎とか、私の好きな画家の作品が並んで、黒田清輝の『婦人像(厨房)』がトメ。戸口の椅子に腰かけた女性は、グレーの服に黒っぽい上着を羽織り、黒っぽい靴を履いているのだが、この「黒」は赤や青の絵具で作られているという解説を読んで、なるほどと思った。その微妙な色彩を引き立てるために額縁は漆黒なのかなあ。
日本画では、鏑木清方の『一葉』あり。有名な肖像画だが、藝大が持っているとは認識していなかった。間近に見て、厳しい面構えに驚く。左眉がアンバランスに上がっているし、口角がへの字に下がっている。つまらないことを言ったら、たちまち軽蔑されそうだ。
さて、奥のスペースは特集展示「平櫛田中ゆかりの作品を中心に」となっており、田中の作品、田中が集めて藝大に寄贈した作品、そして弟子の彫刻家たちが制作した田中の肖像などが並んでいる。いちばん目を奪われたのは『鏡獅子試作』。というか、実は藝大美術館の公式ツイッターが、この作品の写真を流していたのを見て、楽しみに飛んできたのだ。モデルは六代目尾上菊五郎(1885-1949)で、頭には羽二重を巻き、顔は白塗りに隈取り、白ブリーフひとつの裸形で見栄を決めている。等身よりは小さめだが、その筋肉と肉付きのリアルなことは驚くほどで、活き人形と言ってもおかしくない。「本作は国立劇場に飾られている」という解説を読んで、は?となったが、そう言えば、大劇場(あまり行かない)のロビーに鏡獅子像があったかもしれない。ただし、もちろん衣装とカツラをフル装備した状態の像である。絵画の制作でも、身体の動きを計算した上で着物や鎧を着せている下絵を見たことがあるが、彫刻も同じことを考えるのだな。この作品は藝大コレクションではなく、岡山県井原市の田中美術館が所蔵しているらしい。
ほかにも『転生』『禾山笑』『五浦釣人』など田中の代表作が多数。『源頼朝像』は鎌倉の白旗神社の本尊として制作したものの改作だという。ご本尊、開帳してくれないかなあ。
同時開催の『武器をアートに-モザンビークにおける平和構築』(2015年10月17日~11月23日)も覗いてみた。大英博物館展に来ていた『銃器で作られた「母」像』と同様、回収された武器から生まれたアート作品が展示されている。長い内戦がようやく終結したモザンビークでは、安定した平和を築くため「銃を鍬に」プロジェクトが始まった。この名称は旧約聖書から取られたもので、「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない」(イザヤ書、新共同訳)という。この章句、いつも心に置いておきたい。放置自転車の寄贈などの支援を続けているNPO法人えひめグローバルネットワークの名前も書き留めておく。地域を基盤にグローバルな問題に取り組むって、とてもいいことだと思うので。