〇陳凱歌(チェン・カイコー)監督『空海-KU-KAI-美しき王妃の謎』
久しぶりに映画を見に行った。原作は夢枕獏の小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』である。読んでいないけど、夢枕獏と聞けば、ミステリアスで奥の深いファンタジーだろうと思っていた。また本作品は日中合作であるが、中国語の原題が『妖猫伝 Legend of the Demon Cat』で、見た人たちから「これは猫映画」「猫好きなら泣ける」という感想が流れていることも知っていた。だから、だいたい予想どおりの内容で(予想より少しホラー風味が強かったが)満足できた。一方、映画評を見ると、史実に忠実な「空海伝」だと思って見に行って、期待を裏切られた人たちがたくさんいるのは残念である。マーケット戦略に問題があったと思う。
当初、日本語吹き替え版の上映しかなかったのも、中華エンタメ好きを落胆させた。しかし、どういうわけか今週末から「インターナショナル版」(中国語音声・日本語字幕版)も上映されることになったと聞いたので、それじゃあ見に行くかと腰をあげた。ところが、土曜日、私は間違えて吹き替え版しか上映のない映画館に行ってしまった。悔しいので、今日は別の映画館で字幕版も見てきた。思わぬことで、吹き替え版と字幕版の比較ができることになった。
私は、こういう歴史背景のある中国映画は字幕版のほうが分かりやすいと思う。人名や官職名を音で聞いてもすぐに把握できないのだ。春琴や玉蓮など、よくある女性名はともかく、前半の重要な役である陳雲樵(チンウンショウ)はなかなか文字が想像できなかった。陳雲樵の官職「キンゴエイ」は禁軍のことだろうと想像できたが、字幕版を見るまで「金吾衛」の文字が出なかった。白楽天の職名「キキョロ」は「起居」だけ分かったが「ロ?」と思ったら「起居郎」だった。等々、とにかく字幕版のほうがストレスが少ない。
唐の貞元20年(804)日本の沙門・空海は留学僧として長安に赴く。翌年早々、皇帝(徳宗)が崩御。金吾衛の統領・陳雲樵の周辺にも奇怪な事件が相次ぐ。徘徊する、ものいう黒猫。空海は、長安で知り合った白楽天(白居易)とともにその謎を追う。陳雲樵の父・陳玄礼は、かつて玄宗に仕え、馬嵬で楊貴妃の死を要求した反乱兵士の親玉だった。そのほかにも楊貴妃の死にかかわった人々が、次々不審な死を遂げる。空海は、同国人・安倍仲麻呂の日記を手に入れ、ついに楊貴妃の死の真相を知る。
思慮深く落ち着いた空海と、熱血漢でロマンチストの白楽天という、対照的な青年コンビがとてもいい。染谷将太くんは丸い頭のかたちと大きな目が、見事に空海の肖像画そのままである。いつもふわふわした微笑みを浮かべているのに、危機に臨むと厳しい表情になる。黄軒(ホワン・シュアン)の白楽天は、国民的大詩人の青年時代は、きっとこんなふうだったろうと妙に納得できた。白楽天も字幕版のほうがいい。吹き替えの高橋一生は好きな俳優さんだが、このキャラにはちょっと合わない。なお、私は原作を読んでいないのだが、調べたら、原作では空海の相棒は橘逸勢らしい。じゃあ、相棒を白楽天にしたのは映画版の改変なのだろうか。いい改変である。密教の奥義を求める青年僧侶と詩人をめざす青年の、国境を超えたコンビって、かなり魅力的だ。
行動力に富んだ、若い二人の眼前に展開する長安の風景は、時にリアルで時に幻想的だ。宮城、下町、飯屋、妓楼、寺院、安アパートみたいな白楽天の部屋、そして廃墟、陵墓の玄室。物語は、30年前の盛唐の世、玄宗皇帝の治世にも自由に行き来する。玄宗と楊貴妃が花萼相輝楼に開催した極楽の宴。無国籍で、豪華絢爛なイリュージョンの数々。ありえないだろうと思いながら、あるかも、と思ってしまうのが映画の不思議である。
極楽の宴で、幻術使いの黄鶴の弟子、白龍と丹龍という二人の少年は、はじめて楊貴妃に出会う。楊貴妃の気品ある優しさに触れ、深く心を動かされる白龍。これが『琅琊榜之風起長林』の平旌(ピンジン)役だった劉昊然(リュウ・ハオラン)くん。ドラマは吹き替えだったので、声が違うことに少し戸惑った。日本語吹替え版の東出昌大のほうが、むしろ合っていたと思う。
安倍仲麻呂を阿部寛という配役はちょっと解せない。もう少し文雅の才子ふうがよかった。玄宗役の張魯一は知らない俳優さんだったが、食わせ者らしくてよかった。幻術使いの瓜売りを演じた成泰燊は『琅琊榜之風起長林』の墨淄侯か!言われてみれば。そして、ジャ・ジャンク―の映画『世界』に出ていたこともネットで調べて知った。また、楊貴妃の美貌に説得力がないと、この映画は成り立たないのだが、張榕容さんきれいだった。聡明な大人の女性で、私が楊貴妃に抱いているイメージとは全く正反対だったが、この物語には適役。台湾人とフランス人のハーフなのも「半分は胡人の血」という設定に合う。あと黒猫。おおむねCGなのだろうけど、表情豊かで、しかも自然。原版の配音(吹替え)は張磊という声優さんらしい。
物語の中盤で、幻術使いの瓜売りの男のもとに赴いた空海が「幻術について知りたい」と問うと、男が「幻術の中にも真相がある」と述べる場面がある。字幕は「幻術にも仕掛けがある」になっていて、吹き替え版も同じだったが、中国語で「真相」という発音が聞こえた。ここは「真相」でなければ駄目だろう。幻想、怪異、子供だましのファンタジー、あるいは芸術でも宗教でも、まがいものの皮膜の下に何がしかの「真相」がある。映画全体のテーマにかかわるメッセージと私は受け取った。
なお、実はYoutubeには、本作の中国語音声+中国語字幕版が流れている。画面が小さくて迫力に欠けるが、物語を味わうには、これがいちばんいいかもしれない。
久しぶりに映画を見に行った。原作は夢枕獏の小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』である。読んでいないけど、夢枕獏と聞けば、ミステリアスで奥の深いファンタジーだろうと思っていた。また本作品は日中合作であるが、中国語の原題が『妖猫伝 Legend of the Demon Cat』で、見た人たちから「これは猫映画」「猫好きなら泣ける」という感想が流れていることも知っていた。だから、だいたい予想どおりの内容で(予想より少しホラー風味が強かったが)満足できた。一方、映画評を見ると、史実に忠実な「空海伝」だと思って見に行って、期待を裏切られた人たちがたくさんいるのは残念である。マーケット戦略に問題があったと思う。
当初、日本語吹き替え版の上映しかなかったのも、中華エンタメ好きを落胆させた。しかし、どういうわけか今週末から「インターナショナル版」(中国語音声・日本語字幕版)も上映されることになったと聞いたので、それじゃあ見に行くかと腰をあげた。ところが、土曜日、私は間違えて吹き替え版しか上映のない映画館に行ってしまった。悔しいので、今日は別の映画館で字幕版も見てきた。思わぬことで、吹き替え版と字幕版の比較ができることになった。
私は、こういう歴史背景のある中国映画は字幕版のほうが分かりやすいと思う。人名や官職名を音で聞いてもすぐに把握できないのだ。春琴や玉蓮など、よくある女性名はともかく、前半の重要な役である陳雲樵(チンウンショウ)はなかなか文字が想像できなかった。陳雲樵の官職「キンゴエイ」は禁軍のことだろうと想像できたが、字幕版を見るまで「金吾衛」の文字が出なかった。白楽天の職名「キキョロ」は「起居」だけ分かったが「ロ?」と思ったら「起居郎」だった。等々、とにかく字幕版のほうがストレスが少ない。
唐の貞元20年(804)日本の沙門・空海は留学僧として長安に赴く。翌年早々、皇帝(徳宗)が崩御。金吾衛の統領・陳雲樵の周辺にも奇怪な事件が相次ぐ。徘徊する、ものいう黒猫。空海は、長安で知り合った白楽天(白居易)とともにその謎を追う。陳雲樵の父・陳玄礼は、かつて玄宗に仕え、馬嵬で楊貴妃の死を要求した反乱兵士の親玉だった。そのほかにも楊貴妃の死にかかわった人々が、次々不審な死を遂げる。空海は、同国人・安倍仲麻呂の日記を手に入れ、ついに楊貴妃の死の真相を知る。
思慮深く落ち着いた空海と、熱血漢でロマンチストの白楽天という、対照的な青年コンビがとてもいい。染谷将太くんは丸い頭のかたちと大きな目が、見事に空海の肖像画そのままである。いつもふわふわした微笑みを浮かべているのに、危機に臨むと厳しい表情になる。黄軒(ホワン・シュアン)の白楽天は、国民的大詩人の青年時代は、きっとこんなふうだったろうと妙に納得できた。白楽天も字幕版のほうがいい。吹き替えの高橋一生は好きな俳優さんだが、このキャラにはちょっと合わない。なお、私は原作を読んでいないのだが、調べたら、原作では空海の相棒は橘逸勢らしい。じゃあ、相棒を白楽天にしたのは映画版の改変なのだろうか。いい改変である。密教の奥義を求める青年僧侶と詩人をめざす青年の、国境を超えたコンビって、かなり魅力的だ。
行動力に富んだ、若い二人の眼前に展開する長安の風景は、時にリアルで時に幻想的だ。宮城、下町、飯屋、妓楼、寺院、安アパートみたいな白楽天の部屋、そして廃墟、陵墓の玄室。物語は、30年前の盛唐の世、玄宗皇帝の治世にも自由に行き来する。玄宗と楊貴妃が花萼相輝楼に開催した極楽の宴。無国籍で、豪華絢爛なイリュージョンの数々。ありえないだろうと思いながら、あるかも、と思ってしまうのが映画の不思議である。
極楽の宴で、幻術使いの黄鶴の弟子、白龍と丹龍という二人の少年は、はじめて楊貴妃に出会う。楊貴妃の気品ある優しさに触れ、深く心を動かされる白龍。これが『琅琊榜之風起長林』の平旌(ピンジン)役だった劉昊然(リュウ・ハオラン)くん。ドラマは吹き替えだったので、声が違うことに少し戸惑った。日本語吹替え版の東出昌大のほうが、むしろ合っていたと思う。
安倍仲麻呂を阿部寛という配役はちょっと解せない。もう少し文雅の才子ふうがよかった。玄宗役の張魯一は知らない俳優さんだったが、食わせ者らしくてよかった。幻術使いの瓜売りを演じた成泰燊は『琅琊榜之風起長林』の墨淄侯か!言われてみれば。そして、ジャ・ジャンク―の映画『世界』に出ていたこともネットで調べて知った。また、楊貴妃の美貌に説得力がないと、この映画は成り立たないのだが、張榕容さんきれいだった。聡明な大人の女性で、私が楊貴妃に抱いているイメージとは全く正反対だったが、この物語には適役。台湾人とフランス人のハーフなのも「半分は胡人の血」という設定に合う。あと黒猫。おおむねCGなのだろうけど、表情豊かで、しかも自然。原版の配音(吹替え)は張磊という声優さんらしい。
物語の中盤で、幻術使いの瓜売りの男のもとに赴いた空海が「幻術について知りたい」と問うと、男が「幻術の中にも真相がある」と述べる場面がある。字幕は「幻術にも仕掛けがある」になっていて、吹き替え版も同じだったが、中国語で「真相」という発音が聞こえた。ここは「真相」でなければ駄目だろう。幻想、怪異、子供だましのファンタジー、あるいは芸術でも宗教でも、まがいものの皮膜の下に何がしかの「真相」がある。映画全体のテーマにかかわるメッセージと私は受け取った。
なお、実はYoutubeには、本作の中国語音声+中国語字幕版が流れている。画面が小さくて迫力に欠けるが、物語を味わうには、これがいちばんいいかもしれない。