見もの・読みもの日記

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2018年9月@関西:至宝展(比叡山延暦寺)

2018-09-20 23:56:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
比叡山延暦寺 伝教大師1200年大遠忌記念『至宝展』(2018年8月1日~11月30日)

 比叡山には何度か行ったことがあるので、いつ以来だろう?と思ってブログを検索したが出てこない。ということは、前回の参拝は、このブログを始める前(2004年以前)であるようだ。ちょっとびっくりした。

 行きは京都駅からバスを使った。出発の時点で、すでにほぼ満席。繁華街を北上して、銀閣寺の横から比叡山ドライブウェイに入るのだが、座れないお客さんも多数いた。10時前に東塔地区の比叡山バスセンターに到着。『至宝展』の会場である国宝殿は、朝の8時半から開館しているので、まっすぐ目的地に向かう。本展は、伝教大師最澄上人の1200年大遠忌を記念し、通常非公開とされる仏像・仏画など貴重な文化財の数々が一堂に会する、すごい展覧会なのだ。展示品は70余点で8割以上が彫刻(展示替えあり)。なお、調べたら最澄上人(766/767-822)の1200年忌は2022年のはずなので、けっこう前倒しの記念イベントである。

 国宝殿に入ると、まずエントランスに平安時代の温和な表情の木造釈迦如来坐像。その両脇を、ポップな極彩色の羅漢像が固めていて、楽しい。このエリアだけは写真撮影ができる。

 展示室は1階、2階、3階の3室。1階は平安~鎌倉の古仏が中心。入ってすぐの四天王立像2躯(平安時代、多聞天と広目天)が素晴らしかった。展示室の天井ぎりぎりの大きな立像で、顔が小さめなので実際以上に大きく感じられる。腰をひねり、衣の裾と袖を翻す。やや形式化したポーズで、眉の太い、あまり都風でない顔立ちだが、そこも魅力。広目天は冠の正面にティアラのような飾り(後補?)をつけており、多聞天の冠には翼を広げた鳥?のような飾りがついていた。

 1階は細長い展示室で、一番奥に須弥壇のようなものがあり、黒々として背の高い(縦に細長い)薬師如来坐像(平安時代)がいらした。その手前には、等身大より少し小さい四天王立像4躯がいらして、あまり近づけないようになっていた。解説によれば、この薬師如来は、近年、信者より寄進されたもので、根本中堂の護摩壇に祀られていたことがあり、江戸・元禄の修理銘によれば、佐賀・大興善寺に釈迦如来として祀られていたことが分かるそうだ。なるほど薬壺は持っていないので釈迦如来にも見えないこともない。

 四天王(平安時代)は顔も体も量感があり(特に腰回りの太さ)、袖や天衣など、装飾が目立つ。たぶんポスターになっているのは、この四天王だと思う。無動寺の不動明王と二童子像もよかった。磐座に座る二童子、特に制多迦童子がやんちゃそうで可愛い。好きだったのは、両手を胸の前に上げたポーズの聖観音立像(平安時代)で「非公開」の注記がついていた。確か「非公開」フラグのついた仏像が18件くらいあったと思う。この展覧会、展示図録がないので、全て記憶でレポートを書いている。

 2階展示室は、室町・南北朝以降の仏像が増える。古い仏像も、雨宝童子立像(平安時代)など珍しいものを見ることができた。頭に五輪塔を載せ、右手に宝珠、左手に宝棒を持つ。もとは吉祥天像だったのではないかという解説に納得。小さな妙見菩薩倚像(江戸時代)にもびっくりした。鎮宅霊符神(真武大帝)である。足もとに玄武(亀の背中にとぐろを巻いた蛇)がいる。大黒天立像(鎌倉時代)は福々しい表情だが、まだ太り過ぎを戯画化されるところまでは行っていない。護法神立像(室町時代)は解説に言うとおり、もとは伽藍神だろうなあと思って眺めた。

 なお、仏像以外では最澄筆『天台法華宗年分縁起』を見ることができたのと、『悉曇蔵』8帖が面白かった。梵字の音韻研究書である(らしい)。綴じ糸が見えなかったけど粘葉装だろうか。柿渋色の表紙に書き表題が梵字(サンスクリット)なのもカッコいい。「仁和寺浄光院本」(たぶん)の黒角印が見えた。

 3階展示室は、近現代の書画など。水墨画家・傅益瑶さんの『仏教東漸図』という壁画(着彩)がなかなか面白かった。五台山の花畑で童子と舞う円仁の図が気に入った。
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