〇サントリー美術館 『京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-』(2018年9月19日~11月11日)
今年の春、久しぶりに醍醐寺を訪ねて、桜と密教美術を堪能した。そのとき(三宝院だったと思う)美麗な如意輪観音坐像の写真を載せたチラシが置いてあったので、何か特別公開でもやっているのか?と喰いついたのだが、ずっと先の展覧会のチラシと分かって、がっかりした記憶がある。めぐりめぐって、その展覧会を見に来ることができてよかった。なお本展は、2016年、中国の上海博物館(上海)と陝西歴史博物館(西安)で初の醍醐寺展が開催され、広く好評を博したことを記念する展覧会でもあるという。ああ、日本の仏教美術の中でも、真言密教は親和性が高いだろうなあ、きっと。
会場の入口は、黒一色の目隠しの壁に長方形の窓が刳り抜かれ、ピンク色の桜の枝が嵌め込まれている。中に入るとすぐ、メインビジュアルの如意輪観音坐像(平安時代)。背景には大きな白い球体。花と月の間に浮かぶ金色の観音さま。いや素晴らしく美しかった。正面から見ると、首の傾げ方、右の立膝と六本の腕のつくる角度が絶妙。どの手も指先まで美しく、寝かせた左足の足の裏に、立てた右足を重ねる、その長い指まで色っぽい。伝来についての解説は少なかったが、図録を読むと、清瀧宮の社殿内に准胝観音とともに清瀧権現の本地仏として安置されていたもので、清瀧宮が勧請されたときに他所から移設されたとみられる。そもそも醍醐寺は、理源大師聖宝(832-909)が准胝・如意輪観音像を祀ったことに始まるとされ、特別な仏様なのである。この如意輪観音、調べたら、2014年に奈良博『国宝 醍醐寺のすべて』でお会いしているようだ。このとき見た2躯の如意輪観音のうち、やや小柄な鎌倉時代の像のほうは、今年の春に霊宝館でお会いした。
まずは日本に真言密教をもたらした空海と、醍醐寺の開祖・聖宝の紹介から。江戸時代につくられた聖宝坐像は、鎌倉時代の作を模したもので、親しみやすく品格ある肖像彫刻。次に真言密教の修行に必要な、両界曼荼羅図、密教法具(珍しい九鈷杵!)、山水屏風(鎌倉時代)などが並ぶ。そして、仏画と仏像の細い通路の両側に名品がズラズラと。仏画は『梨帝母像』『閻魔天像』が見られて幸せ。どちらも線が柔らかく、色も少なくて素朴な味わいがある。でも巧い。『五秘密像』(鎌倉~南北朝)も可愛かった。緑とピンクを基調として、暖かみのある仏画が多い。
『五大尊像』(鎌倉時代)5幅並び(-10/15)を見ることができたのも嬉しい。どれも甲乙つけがたくカッコいい!!! しかし、醍醐寺展と聞いて、最初にチェックしたのは『太元帥法本尊像』6幅が出るかどうかで、九州会場しか出ないと分かったときは落胆した。まあデカい会場でないと無理だからなあ…。他にも絵画は九州会場のみ出品がかなりある。
仏像は、快慶作の不動明王坐像、帝釈天騎象像、閻魔天騎牛像などバラエティに富む。檀像ふうの小さな虚空蔵菩薩像(聖観音像)は、彫りにメリハリがあり、印象が強い。寺内に現存する仏像のうち最も古いものと見られている。第1会場の最後を飾るのが、五大明王像。平安時代のイメージをくつがえす独創的な造形で、大威徳明王の牛がかわいい。醍醐寺では霊宝館の仏像館でお会いした。
さて、あとは何が来ているんだろう?と思いながら階段に向かうと、階段下のホールには、巨大な薬師如来と小さな両脇侍(日光・月光菩薩立像)がいらっしゃった。背景には緑の薄布を垂らし、天井の高い空間をうまく使った演出である。この薬師さまにも霊宝館で何度か会っている。武骨で茫洋とした印象が強かったが、台座のそばまで近づいて、斜め下から見上げてみると、けっこう鼻筋の通った、理知的なお顔をしていることが分かった。
第2会場は、主に南北朝・室町時代以降、醍醐寺の法脈を守った人々。醍醐寺の僧侶たちに加え、足利義満の書状や織田信長の黒印状など。きわめつけは、豊臣秀吉と醍醐寺の間を取り持ち、三宝院を復興した義演だろう。三宝院からは『柳草花図』の襖絵が出ていた。現地で見ているか、記憶にないけど、新しさを感じるデザインだった。会場の出口にも黒い目隠し壁のガラスの小窓に桜の枝(造花?)があしらわれていて、三宝院の、秀吉ゆかりのしだれ桜を後世に残すため、クローン技術が用いられているという説明が興味深かった(※参考:住友林業「その桜を救うことは…」)。
来春の九州会場も行きたいなあ…。
今年の春、久しぶりに醍醐寺を訪ねて、桜と密教美術を堪能した。そのとき(三宝院だったと思う)美麗な如意輪観音坐像の写真を載せたチラシが置いてあったので、何か特別公開でもやっているのか?と喰いついたのだが、ずっと先の展覧会のチラシと分かって、がっかりした記憶がある。めぐりめぐって、その展覧会を見に来ることができてよかった。なお本展は、2016年、中国の上海博物館(上海)と陝西歴史博物館(西安)で初の醍醐寺展が開催され、広く好評を博したことを記念する展覧会でもあるという。ああ、日本の仏教美術の中でも、真言密教は親和性が高いだろうなあ、きっと。
会場の入口は、黒一色の目隠しの壁に長方形の窓が刳り抜かれ、ピンク色の桜の枝が嵌め込まれている。中に入るとすぐ、メインビジュアルの如意輪観音坐像(平安時代)。背景には大きな白い球体。花と月の間に浮かぶ金色の観音さま。いや素晴らしく美しかった。正面から見ると、首の傾げ方、右の立膝と六本の腕のつくる角度が絶妙。どの手も指先まで美しく、寝かせた左足の足の裏に、立てた右足を重ねる、その長い指まで色っぽい。伝来についての解説は少なかったが、図録を読むと、清瀧宮の社殿内に准胝観音とともに清瀧権現の本地仏として安置されていたもので、清瀧宮が勧請されたときに他所から移設されたとみられる。そもそも醍醐寺は、理源大師聖宝(832-909)が准胝・如意輪観音像を祀ったことに始まるとされ、特別な仏様なのである。この如意輪観音、調べたら、2014年に奈良博『国宝 醍醐寺のすべて』でお会いしているようだ。このとき見た2躯の如意輪観音のうち、やや小柄な鎌倉時代の像のほうは、今年の春に霊宝館でお会いした。
まずは日本に真言密教をもたらした空海と、醍醐寺の開祖・聖宝の紹介から。江戸時代につくられた聖宝坐像は、鎌倉時代の作を模したもので、親しみやすく品格ある肖像彫刻。次に真言密教の修行に必要な、両界曼荼羅図、密教法具(珍しい九鈷杵!)、山水屏風(鎌倉時代)などが並ぶ。そして、仏画と仏像の細い通路の両側に名品がズラズラと。仏画は『梨帝母像』『閻魔天像』が見られて幸せ。どちらも線が柔らかく、色も少なくて素朴な味わいがある。でも巧い。『五秘密像』(鎌倉~南北朝)も可愛かった。緑とピンクを基調として、暖かみのある仏画が多い。
『五大尊像』(鎌倉時代)5幅並び(-10/15)を見ることができたのも嬉しい。どれも甲乙つけがたくカッコいい!!! しかし、醍醐寺展と聞いて、最初にチェックしたのは『太元帥法本尊像』6幅が出るかどうかで、九州会場しか出ないと分かったときは落胆した。まあデカい会場でないと無理だからなあ…。他にも絵画は九州会場のみ出品がかなりある。
仏像は、快慶作の不動明王坐像、帝釈天騎象像、閻魔天騎牛像などバラエティに富む。檀像ふうの小さな虚空蔵菩薩像(聖観音像)は、彫りにメリハリがあり、印象が強い。寺内に現存する仏像のうち最も古いものと見られている。第1会場の最後を飾るのが、五大明王像。平安時代のイメージをくつがえす独創的な造形で、大威徳明王の牛がかわいい。醍醐寺では霊宝館の仏像館でお会いした。
さて、あとは何が来ているんだろう?と思いながら階段に向かうと、階段下のホールには、巨大な薬師如来と小さな両脇侍(日光・月光菩薩立像)がいらっしゃった。背景には緑の薄布を垂らし、天井の高い空間をうまく使った演出である。この薬師さまにも霊宝館で何度か会っている。武骨で茫洋とした印象が強かったが、台座のそばまで近づいて、斜め下から見上げてみると、けっこう鼻筋の通った、理知的なお顔をしていることが分かった。
第2会場は、主に南北朝・室町時代以降、醍醐寺の法脈を守った人々。醍醐寺の僧侶たちに加え、足利義満の書状や織田信長の黒印状など。きわめつけは、豊臣秀吉と醍醐寺の間を取り持ち、三宝院を復興した義演だろう。三宝院からは『柳草花図』の襖絵が出ていた。現地で見ているか、記憶にないけど、新しさを感じるデザインだった。会場の出口にも黒い目隠し壁のガラスの小窓に桜の枝(造花?)があしらわれていて、三宝院の、秀吉ゆかりのしだれ桜を後世に残すため、クローン技術が用いられているという説明が興味深かった(※参考:住友林業「その桜を救うことは…」)。
来春の九州会場も行きたいなあ…。