〇サントリー美術館 サントリー芸術財団50周年『黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部-美濃の茶陶』(2019年9月4日~11月10日)
近来まれに見るくらいストレートな展覧会タイトルである。入口のバナーには「しびれるぜ、桃山」というキャッチコピーが躍っていて、こっちが展覧会のタイトルかと思ったが違った。
黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部は、それぞれ桃山時代に美濃で想像された「茶陶」のジャンル。しかし、これらが美濃(岐阜県)で焼かれたと分かるのは昭和初期で、それ以前は瀬戸(愛知)の産と考えられていたそうだ。実は中部地方の地理は苦手なので、会場の地図パネルを見なら、あらためて「美濃」(土岐市、多治見市、可児市など)の位置を頭に入れようとつとめた。
第1章「美濃における茶陶創造」では「姿を借りる」「描く」「歪む」などのキーワードで桃山の古陶を紹介。「描く」は志野を中心に黄瀬戸もあり。「歪む」は当然、織部や瀬戸黒が多くなる。私は「描く」に分類されたものに魅了された。『志野織部傘鷺文向付』は温もりある薄茶色の雲形の皿に、鉄釉(?)で傘と鷺と柳を描いたもの。とぼけた顔の鷺がかわいい。手前の外縁の縦縞が橋桁に見えることから、「傘・鷺・橋」で「かささぎのはし」を表したものではないかという解説に笑ってしまった。「志野織部のうつわに時折みられる謎めいたデザインの中に、他にも同じ要領で判じ絵風に読み解けるものがあるかもしれない」という指摘には、目からウロコが落ちる思いだった。『志野織部箕笠文向付』は「みかさのやま」ではないかという。楽しい。
志野のうつわに描かれた絵はどれもいい。果樹や草花が多かったが、私は『志野山水文鉢』の切り立った山と手前の空間(たぶん水面)に浮かぶ釣舟の図が好き。雑誌『芸術新潮』の「ゆるかわアート」特集でうたわれた「われわれは偉そうではない」「われわれはゴージャスでもない」「テクニックのうまいへたは問わない」に通じるものがある。かわいくはないかもしれないが、ゆるい。おおらかにゆるい。
それに比べると織部はアクが強すぎてあまり好きではないのだが、緑釉と淡紅の片身替わりの「鳴海織部」という一群の作品が、単に表面の装飾を変えるだけでなく、全く違う土で成形したものを接ぎ合わせてできていると知って、感心してしまった。『織部州浜形手鉢』は、かなり大ぶりの鳴海織部で、山の字のような州浜形をし、半円を描く太い帯状の把手がついている。赤土部分には子どもの悪戯書のような花とゆるい幾何学模様。白土部分には、今流れたばかりのよう緑釉がかかる。これは360度全方向から鑑賞できる展示ケースに入っていて、見る角度によってどんどん表情が変わるのが贅沢で楽しい。織部には珍しい花入(寸づまりの徳利みたいに口が細い)や『織部南蛮人燭台』も見た。
第2章「昭和の美濃焼復興」では、まず美濃古陶の研究に取り組んだ陶芸家、荒川豊蔵と加藤唐九郎の作品を展示する。荒川豊蔵は美濃焼の発見者でもあり、そのきっかけとなった『志野竹の子文筒茶碗』(これも素朴で好き)が展示されていた。この茶碗の高台内に付着していた土を見て、瀬戸のものではないようだ、と疑問を持ち、その後、岐阜県で本作の同手の陶片を発見して、志野が美濃で焼かれたことが実証された。その後、黄瀬戸や瀬戸黒の陶片も見つかるようになった。これを契機に、一種の美濃焼ブームが起こる。特に中京の茶人・森川如春庵は美濃焼の研究に熱中した。
最後のセクションでは、近代数寄者が所蔵した美濃焼の名品が大集合。すぐ分かったのは、五島慶太の『鼠志野茶碗(銘:峯紅葉)』(五島美術館)。『志野茶碗(銘:夜明)』(MIHO MUSEUM)はわずかに焼け焦げたような色合いが絶妙。松永耳庵が懇願して在世中だけ手に入れていたものだそうだ。『黄瀬戸大根文輪花鉢』は、名前のとおり洗面器みたいな大ぶりの鉢で、底面に元気よく葉を広げた大根が描かれている。なぜか現蔵は相国寺だが、益田鈍翁旧蔵だそうだ。