見もの・読みもの日記

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忠臣蔵大詰め/文楽・心中天網島と仮名手本忠臣蔵

2019-11-12 22:33:52 | 行ったもの2(講演・公演)

国立文楽劇場 開場35周年記念 令和元年11月文楽公演(11月2日、11:00~、16:00~)

・第1部:『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』北新地河庄の段/天満紙屋内の段/大和屋の段/道行名残の橋づくし

 「網島」は9月の東京公演にも掛かっていたのだがチケットが取れなかったもの。やっぱり大阪のほうが取りやすい。今回は初日の券を取ってしまったので、土曜の朝に東京を発ち、大阪11:00の開演に間に合わせた。ちょっと慌ただしかった。「河庄」の中が織太夫、奥は呂勢太夫休演につき津駒太夫が代演。オペラ歌手みたいに美声の織太夫さんと、ねちっこい庶民派の語りの津駒さん。私はどちらも好きなので、聴き比べが楽しかった。「大和屋」で満を侍して咲太夫さん登場。最近、めっきりお年を召された雰囲気なので、毎回どきどきするのだが、お声を聴くと安心する。芸は健在。あとは演目に没入することができる。

 この作品、私は知識として「名作」と理解しているのだが、舞台を見た回数は少ない。過去の記録を探したら、2013年に見て以来だった。2013年は咲太夫さんが「天満紙屋内の段」と「大和屋の段」を通しで語っている。遊女小春も女房のおさんも人間離れしてできた女性なのに、紙屋治兵衛のお調子者で身勝手なダメっぷりがいかにも近松作品である。プログラムに劇団主宰者の木ノ下裕一さんが解説を書いていて、おさんの献身的な愛情の理由について、治兵衛とおさんが「いとこ同士」であることに注目しているのは面白いと思った。男女の間柄になる以前に、親類のような、兄妹のような親密さがあったことが、治兵衛への思い入れを生んだと考える。確かに、いくら封建社会の夫婦でも、単なる男女の仲だったら、あそこまで甘やかさないだろうと思う。

 「道行」は名文の誉れ高いが、最近、道行というと太夫も三味線もズラリ並んで賑やかに演ずるのはどうなんだろう、たまには静かな道行があってもいいのではないかと思っている。

・第2部:通し狂言『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』八段目 道行旅路の嫁入/九段目 雪転しの段・山科閑居の段/十段目 天河屋の段/十一段目 花水橋引揚より光明寺焼香の段

 国立文楽劇場の開場35周年を記念して、春・夏・秋の3公演にわたった「忠臣蔵」通し上演も大詰め。私はこの演目が好きではなくて、ずっと敬遠してきたのだが、夏と秋の公演を鑑賞して、面白さの一端に触れた気がしている。加古川本蔵の妻・戸無瀬は娘・小浪を連れて東海道を旅し、山科の大星邸を訪ねる。大星力弥と許嫁の小浪の祝言をあげてほしいと頼むが、力弥の母・お石は冷淡。絶望して自害しようとする戸無瀬と小浪。再び現れたお石は、祝言を許すかわりに加古川本蔵の首を要求する。主君・塩谷判官が師直に斬りかかったとき、判官を抱き止めた本蔵を許しがたいというのだ。進退きわまる母と娘の前に、虚無僧姿の本蔵が現れる。

 要するに「世を忍んで主君の仇を討つ」というのは、物語の主題ではなく一種の「設定」で、その設定の下、繰り広げられる人々の愛情や憎しみ、尊さや愚かさが見どころとなっているのだ。「天河屋」も、たまたま敵討ち一件に巻き込まれた町人・天河屋義平とおそのの夫婦関係が主題。最後の「光明寺焼香」では、師直を見つけた矢間十太郎の一番焼香に続き、敵討ちに参加することのできなかった早野勘平の形見の財布が二番焼香に捧げられる。そうか勘平は報われるんだ、よかったねえ、と夏の公演を思い出してしみじみした。

 人形は戸無瀬を吉田和生、大星由良助を吉田玉男、加古川本蔵を桐竹勘十郎、その他、登場人物が多いので必然的にオールスターキャストだった。山科閑居は前を千歳太夫と富助、後を藤太夫と藤蔵、どちらも好きな組合せ。

 第1部の幕間に、ロビーで咲太夫さんのDVD BOOK『心中天網島』の即売会をやっていて、著者のサイン(写真撮影可)欲しさに中身も確かめずに購入してしまった。2011年12月15日「豊竹咲太夫の会」での録音だという。8年前だが、現在の咲太夫さんと違いはあるだろうか(違いが分かるだろうか)、時間を見つけて聞いてみたい。

 この日は国立文楽劇場近くのビジネスホテル泊。終演後の夕食は、近くにできた蘭州ラーメンのお店に入ってみた。劇場の周りはすごい勢いで中華街化が進んでいるが、私はそんなに悪い気はしていない。

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