〇山種美術館 特別展・没後50年記念『福田平八郎×琳派』(2024年9月29日~12月8日)
斬新な色と形を追求した日本画家・福田平八郎(1892-1974)の没後50年を記念し、同館では12年ぶりに、平八郎の画業をたどる特別展を開催する。併せて、平八郎が敬愛した、琳派の祖・俵屋宗達の作品など、意匠性と装飾性にあふれる琳派の世界を紹介する。
自分のブログを検索したら、初めてこの人の名前が出てくるのは、2010年の『江戸絵画への視線』展。2012年の『福田平八郎と日本画モダン』も見ている。特に誰かに習ったわけではなくて、主に山種美術館で作品に出会って、徐々に好きになった日本画家だと思う。
会場の入口に掛けてあったのは『筍』。黒いまっすぐな筍が二本生えており、背景の白い地面には、一面に散り敷いた竹の葉がパターンだけで表現されている。まさに意匠性と装飾性にあふれたカッコいい作品。福田は晩年まで写生を重視したが、写生の結果として、現実よりも自由で美しい色とかたちを生み出している気がする。
たとえば何度も描いている『鮎』の黒っぽい背中と尾びれの黄色、『桃』の赤みがかった黄色を見ていて思った。これは和菓子の色に似ている。現実にあるものを真似ながら、現実よりも愛らしくて美味しそうな和菓子の色。『竹』にアップで描かれた3本の竹の幹は、緑・黄色・オレンジのビタミンカラーに塗り分けられていて、駄菓子屋のラムネ菓子を連想した。晩年の『鴛鴦』にはオス3羽、メス2羽が描かれているが、ひな祭りの砂糖菓子(金花糖)みたいに華やかな色をしている。『紅白餅』は明るい水色を背景に白いマルとピンクのマルが並んでいて、夕焼け雲?と思ったら餅だったので笑ってしまった。前述の『筍』もだんだん羊羹かチョコレートに見えてきて、まあとにかく美味しそうな作品が多かった。
琳派は、伝・宗達筆『槙楓図』、抱一筆『秋草鶉図』、其一筆『四季花鳥図』と、3つの屏風が並んだところは圧巻。この中では其一の屏風が色数も多く華やかで好き。王朝物語を踏まえた、抱一の『宇津の山図』、其一の『高安の女』も面白かった。宗達の墨画淡彩『軍鶏図』(個人蔵)は初めて見たかなあ。縦長の画面いっぱいの大きな軍鶏が、全身「たらしこみ」の技法で描かれている。トサカと顔のまわりに薄く朱を用いる。
最後の「近代・現代日本画にみる琳派的な造形」も面白かった。見てすぐ、確かにこれは琳派だよねと分かる作品もあれば、え?これが?としばらく考えるものもあった。橋本明治の『双鶴』は、2羽の鶴の頭部を並べて描いたもの。琳派の絵画というより蒔絵デザインに通うものがあるかもしれない。安田靫彦作品のそばに、靫彦が宗達を大絶賛した言葉が添えてあって、一瞬、安易な「日本スゴイ」論かと警戒したのだが、よく読むと言いたいのは「宗達(だけが抜群に)スゴイ」であることが分かる。宗達は、4-500年間何人も顧みなかった、否、解することができなかった古大和絵の中から、同時にこれと骨肉の間柄である古い工芸、殊に蒔絵などの中から、自己の新しい生命を発見したのである、という。
私の大好きな小野竹喬『沖の灯』がここに並んでいたのも嬉しかった。年配のおばさまたちが「88歳の作品ですって」「その年齢でこんな新しい表現をねえ」と頻りに感歎していた。福田平八郎も絶筆とされる『彩秋遊鷽』は79歳のときだし、奥村土牛の例もあるし、彼らの作品を見ると、まだまだ私も老け込んではいられないかな、という気持ちになる。
第2室にあった牧進『寒庭聖雪』は、白一面の屏風に、うっすら大きな雪の結晶を浮かび上がらせ、下の方に小さなスズメと赤い実をつけた百両を並べる。この屏風の前でクリスマスディナーを食べられたら素敵だろうな。そしてこの意匠性と装飾性は、やっぱり琳派の遺伝子なのかもしれない。