〇劉慈欣;大森望、立原透耶、上原かおり、泊功訳『三体II:黒暗森林』上下 早川書房 2020.6
SF大作『三体』の第二部は、第一部の主人公だった葉文潔が、娘の楊冬の墓の前で、楊冬の高校の同級生だった羅輯青年に出会う短いプロローグから始まる。葉文潔は羅輯の将来について「宇宙社会学を勉強しなさい」という助言を与えて去る。
本編の開始は「危機紀元3年」。三体艦隊が地球を目指して出発したことが知られてから(第一部の結末=201X年から)3年後と解釈してよいのだろう。三体艦隊の太陽系到達は四半世紀後と予測されている。もと天文学者、現在は社会学者の羅博士は、突然現れた元警察官の史大強に護衛され、ニューヨークの国連本部に連れていかれる。惑星防衛理事会の場で、アジア系女性のセイ国連事務局長は「面壁計画」を発表した。三体人が地球に送り込んだ智子(ソフォン)によって、人類のあらゆる活動は三体人に筒抜けになっている。そこで国連は、自分の頭の中だけで作戦計画を立案する「面壁者」を選び出し、彼らに地球の未来を任せることにした。
四人の面壁者は、前アメリカ国務長官のタイラー、現職のベネズエラ大統領のレイ・ディアス、脳科学者のハインズ、そして羅輯だった。面壁者は、巨大なリソースを自由に使う権利を与えられた。羅輯以外の三人は、それぞれの計画を進めるが、三体人が派遣した「破壁人」に計画の全容を暴かれ、挫折する。
羅輯は妻の荘顔と幼い娘と平和な生活を満喫していた。あるとき、妻と娘が失踪し、国連事務総長のセイが現れ、羅輯に「たとえ全人類のためにではなく、彼女たちのためだけにでも」面壁者の使命を思い出すよう説く。羅輯は思索の末、あることを天文学者に依頼する。太陽系から49.5光年の恒星にあるメッセージを送り、呪文をかけたのだ。その呪文の結果を見るために、羅輯は人工冬眠に入った。
【以下は重要なネタバレ】危機紀元205年(2220年頃)羅輯は覚醒し、同じ頃に冬眠に入り、少し先に目覚めていた史大強と再会する。人類の科学は飛躍的に発展し、三体艦隊は恐るるに足らないという楽観論が支配的になっていた。三体艦隊が先発させた小型探査機が、まもなく海王星軌道に達することが分かっており、人類は、恒星級戦艦二千隻余りのインターナショナル連合艦隊を発進し、これを鹵獲することになった。
探査機の鹵獲を、祝祭気分で迎えようとしていた人類。しかし、水滴型の小型探査機は、突如として凶悪な本性を剥き出しにし、二千隻の戦艦を全て破壊してしまう。絶望のあまり、集団的精神崩壊が蔓延し、一切の秩序を失う地球。羅輯は史大強の車で郊外に向かい、葉文潔と楊冬の墓の前で、三体世界にコンタクトし、艦隊の方向転換を約束させる。
なぜ、そんな交渉が成立したかといえば、羅輯が宇宙の本質は「黒暗森林」であることを理解したからだ。宇宙は暗黒の森で、文明は猟銃を構えて隠れている狩人である。「ここにいるよ!」と叫んで自分の存在を曝す生命は、別の狩人によって消滅させられる。冬眠前に羅輯が別の恒星に送った「呪文」はこの実験だった。確信を得た羅輯は、もし三体人が地球を侵略するなら、三体世界と地球の位置を全宇宙に向かって発信すると脅し、三体人はこれに怯えたのである。
巻末に陸秋槎さん(北京生まれ、日本在住の作家)の解説があり、「黒暗森林」の比喩で語られる宇宙モデル(葉文潔の言葉では「猜疑連鎖」)には、文化大革命時代の中国社会が投影されているのではないかという指摘が興味深かった。現在の習近平体制もそうかもしれない。注目され密告されることは死を意味するので、自分の存在を消すことが最も安全だという社会モデル。第一部ほど直接的な中国近現代史の反映はなかったが、やっぱり本作は中国文明から生まれたSFなのだなあ、と思った。
しかし、そんなディストピア世界にあって、羅輯も史大強も、詳しくは書けなかったが、第二部の副主人公である軍人の章北海も、希望と理想を捨てずに生きて行く。羅輯は、人類が宇宙の本質が黒暗森林であることに気づけなかったのは、人類に愛があるからだという。そして羅輯の前に現れた三体人は、自分は、二世紀半前、地球に警告を送った監視員だと告げる(第一部参照)。三体世界にも愛はあるのだ。愛の種子は宇宙の他の場所にもあるかもしれない。この絶望と希望の交錯する物語、私の考える中国らしくて好きだ。