見もの・読みもの日記

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正義を超えて/「歴史認識」とは何か(大沼保昭、江川紹子)

2015-08-27 00:06:27 | 読んだもの(書籍)
○大沼保昭著、聞き手:江川紹子『「歴史認識」とは何か:対立の構図を超えて』(中公新書) 中央公論新社 2015.7

 「歴史認識」という言葉は、1990年代にまず韓国で使われるようになり、少し遅れて日本でも盛んに使われるようになった。問われているのは1931~45年に日本が戦った戦争と1910~45年の朝鮮植民地支配にかかわる認識であることが多く、日本国内にも、日中・日韓の間にも激しい対立がある。米国やヨーロッパから日本への批判が聞こえてくることもある。

 1970年代から「歴史問題」の研究と実践に携わってきた著者は、本書を通じて「歴史認識」にかかわる見取り図(※歴史の見取り図ではない)を示し、歴史の解釈や認識になぜ大きな違いがあるのか、相手の認識に同意できないまでも、理解できる材料を提供したい、と述べている。著者が「聞き手」に江川紹子氏を選んだのは、2013年5月、慰安婦問題をめぐる橋下徹大阪市長の発言が大問題になっていた当時、江川氏が著者に申し込んだ取材がきっかけだった。江川氏が聞き手となった著者のインタビューは、Yahoo!ニュースに公開され(現在も読める)2日間で10万人のアクセスがあったという。私もこのウェブ記事に強い感銘を受けていたので、本書が刊行されると知ったときは、すぐに書店に走った。

 本書の構成は、まず1945年の敗戦を起点として「東京裁判」(終戦直後)「サンフランシスコ平和条約と日韓・日中の『正常化』」(1950-60年代)「戦争責任と戦後責任」(1970-80年代)「慰安婦問題と新たな状況」(1990年代-21世紀)と時系列を追っていく。実際に「歴史認識」が対象とする時代については、もちろん基本的な事実の確認は重要だが、戦後の「認識」のつくられ方を学ぶことのほうが、より重要だからだ。全体として、著者の認識は「リベラル」と呼ばれる側にあると思う。東京裁判の判決が過酷だったとか、やらないほうがよかったという主張を、著者は冷静な反論で却下する。いろいろ欠点(不公正な点)はあったけれど(ニュルンベルク裁判と)二つの裁判を先例として、戦後の国際刑事法は一定の発展を遂げて来た。こんな生ぬるい擁護論は受け付けないという人もいるだろうけど、私は共感する。

 著者は、さきの戦争を日本の「負の歴史」と考えている。「そういう負の歴史は、なにも日本に限らない。多かれ少なかれ、どの国ももっているのです。ただ、それに正面から向かい合うことができるかどうか。それこそが、民族・国家としての矜持の問題ではないでしょうか」という箇所は、私が心から共感するところなので、書き抜いておく。どこの国もやっていることだから日本は悪くない、と居直る態度は、あまりにも矜持から遠い。

 70年代以降の日本社会では、経済的な豊かさを基盤に人権重視の政策が着実に進められた。一方で「メディアや一部の影響力のある知識人の間で、やや無理な議論、過度に倫理的な主張」がなされるようになったことに、著者は違和感を表明する。80年代頃からは「いわゆる進歩派、左翼、リベラルの間で、そしてメディアで、戦争や植民地について、きっぱりと加害と被害に分ける二分法的な物言い」が目立つようになり、これに反発する人々が増えた。うーん、そうだったかなあ。私はあまり反発を感じる側ではなかったけど、人生の酸いも甘いもかみ分けたような著者の助言「無理なことはいわないほうがいい」は腑に落ちる。
 
 90年代からクローズアップされた慰安婦問題については、「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)の意義が、残念ながら十分に理解されていないこと、その原因に「国家補償」にこだわる支援団体の罪と、報道に消極的なジャーナリズムの責任(反面には、アジア女性基金の広報力の低さ)があることが語られている。この点は、2013年5月のインタビューの主眼でもあった。私は当時の記事を読んで、アジア女性基金についての認識を大きく改めた。

 最後の第5章は「21世紀世界と『歴史認識』」と題して、19世紀以前から今世紀までの戦争観・植民地観をグローバル規模で振り返り、欧米諸国の「歴史認識」の問題点にも触れる。また、19世紀末から20世紀前半、アジアの諸民族が民族自決に目覚め、植民地支配と戦い始めた時期に、日本が「時代を読めなかった」ことを著者は惜しむ。異論はあるだろうが、祖国に矜持を求めるからこそ、厳しい批判も生まれるのである。最後に、とても重要な著者の言葉、「社会にとっての価値、人間にとっての美徳は正義だけではありません。多様な被害者が求めるものも、『正義の回復』だけではない。」というのを、ずっと忘れないようにしたい。

 本書はサハリン旅行の直前に読んだもので、「戦争責任と戦後責任」の章に、著者が1975年から2000年までサハリン残留朝鮮人の帰国運動を支援した経験が語られていたのも印象深かった。戦争は70年前に終わった、遠い過去の問題ではないということを改めて思った。

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