今年も新年から東博に行ってきた。東博は現在も事前予約を推奨しているが、予約なしに行っても、ちょっと並べば当日の日時指定券を貰える(入館は年間パス)ので、だいぶ入りやすくなった。
■東洋館10室(朝鮮時代の美術)(2022年1月2日~4月10日)
「朝鮮時代の美術」のコーナーだが、いま高麗仏画が3件出ている(~1月30日)。東博所蔵の『阿弥陀三尊図軸』は、赤地に白か金の円文(唐草円文?)の衣をまとった阿弥陀如来が、左右に観音・勢至を従えて左前方へ歩み出ようとしている。右手は前に差し伸べ、左手はよく見えないが胸の前でやはり与願印をとるか(?)。右袖と足元には、褪色が惜しまれるものの、内衣の緑色が見えている。赤と緑のコントラストは、高麗仏画の定番。
『水月観音図軸』(個人蔵)は、赤い裙を穿き、ほぼ裸の上半身に透明のヴェールをまとう。解説に、ヴェールの文様が唐草円文でなく鳳凰文なのが珍しいと書いてあったのだが、拡大鏡がないと、よく見えなかった。帰宅後に調べていたら「14世紀の高麗仏画、『水月観音図』が日本で発見」(東亜日報 2015/8/12)という記事を見つけた。「鳳凰模様のヴェールが描かれた水月観音図は(今回見つかった、日本の個人コレクターが持っていた仏画を除くと)日本の鏡神社と長楽寺、ドイツのケルン東洋美術館の所蔵画の3点しかない」のだという。もしや今回の展示作品がこれなのか? 善財童子が見やすいとは思ったのだが。
『地蔵十王図軸』(山形・華厳院)は、椅子に座った被帽地蔵菩薩を十王・四天王、さらに判官・童子・獄卒(?)などが取り囲む、にぎやかな図だった。このほか、見る機会の少ない朝鮮時代の書(王族、儒学者、僧侶)もあり。
■東洋館8室 特集『没後700年 趙孟頫とその時代-復古と伝承-』(2022年1月2日~2月27日)
宋の皇族出身でありながら元王朝に仕え、自民族の文化護持に尽力した趙孟頫(ちょうもうふ、1254-1322)の功績を多角的に紹介する。書だけでなく、元代および明清の絵画も多数出ているので、再訪の予定。
■本館・特別1, 2室 特集『博物館に初もうで 今年はトーハク150周年!めでタイガー!!』(2022年1月2日~1月30日)
新春恒例企画であるが、展示物の魅力とバラエティは十二支で随一ではないかと思う。書画、工芸に加えて、衣類の『火事羽織 紺木綿地刺子龍虎模様』や『陣羽織 白呉絽服連地虎模様描絵』が面白かった。写真は、中国史の書籍などでよく見るトラのアイコンだと思ったが、『白虎文軒丸瓦』(推定:中国陝西省西安市出土)で、新の王莽が、自身の曽祖父を祀る宗廟を建て、その東西南北の門に青龍・白虎・朱雀・玄武をあしらった瓦を葺いたことにゆかりの品と推定されているそうだ。
■東叡山寛永寺(東京都台東区)
もと徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門にあたる上野の台地に、慈眼大師・天海大僧正によって建立された寛永寺。私は東京の生まれだが、昨年、雑誌『東京人』の「特集・上野の杜の記憶」を読み、東博の特別展『最澄と天台宗のすべて』で寛永寺の寺宝を見るまで、東博から徒歩5分くらいの近傍に、同寺の根本中堂があることを知らなかった。したがって人生初参拝。
国際子ども図書館や東京藝大体育館など、大きな文化施設の建物の間を抜けていくと、ぽかっと開けた境内に、思っていたより小さな根本中堂が現れた。幕末の戊辰戦争で伽藍の大部分を焼失したあと、現在の建築は、明治12年(1879)に川越喜多院の本地堂を移築したものだそうだ。
ふだんどのくらい公開されているのかよく知らないが、1/2-3は東京国立博物館との連携事業として寺宝が特別公開されており、お堂に上がって、須弥壇のかなり近くで十二神将などを拝観することができた。秘仏本尊・薬師如来のご朱印(瑠璃殿)をいただく。
東博の北側をぐるりと回って、東博の東側にある開山堂にも参拝した。慈眼大師・天海大僧正と、天海僧正が尊崇していた慈恵大師良源大僧正をお祀りしているので、境内に「角大師」の幟が立っている。ご朱印は「両大師」。
開山堂の隣りは輪王殿(多目的会館)。その間の小さな門に案内板がついているので、何かと思って近づいたら、幸田露伴旧宅の門だという。露伴旧宅は谷中にあったが今はなく、門だけがここに移築されたのだそうだ。
知っているつもりの東京、歩いてみると、思わぬものに出会う。