〇大阪市立美術館 特別展『仏像 中国・日本』(2019年10月12日~12月8日)
ポスターには「中国彫刻2000年と日本・北魏仏から遣唐使そしてマリア観音まで」という、情報ばかり多くてよく分からない文字列が添えられている。概要によれば、いつの時代も中国でつくられた多くの仏像や仏画が日本にもたらされ、日本の仏像のすがたに大きな影響を与えてきたことに鑑み、中国南北朝時代から明・清時代まで1000年をこえる仏像の移り変わりを、関連する日本の仏像と共に紹介する展覧会、と説明されている。とにかく中国と日本の仏像が見られるらしいと思って見に来た。
冒頭には小さな銀製の男子立像。レスラーのように肩幅が広くて、裸足で丈の短い右衽(右前)の服を着ている(戦国時代、B.C.4-3世紀、永青文庫)。一目見て、見たことあると分かったが、いつどこでだったか、よく覚えていない。また、陶製の女子坐俑(前漢)や耳の大きい銅造鍍金銀の仙人坐像(後漢)などがあって、古代中国(プレ仏像時代)の人物表現が、すでに完成の域に達していたことを示す。ところが仏教が伝来すると(後漢頃)中国の仏像は、古代の写実的表現から一転し「ガンダーラなど西方の仏像をやや稚拙に模倣すること」から始まった。この指摘は、会場のパネルで読んで、面白いと思ったところ。
そして、しばらく南北朝~隋・唐時代の石仏が並ぶ。ほとんどが大阪市立美術館の館蔵品(山口コレクション)。何度か見ているはずだが、何度見てもよい。基本的に360度どの方向からでも見られるようになっており、やわらかな照明で、特に黄花石という赤みを帯びた石の色を引き立てている。微笑みを浮かべた仏像が多いなあ。
ところどころに混じる木造仏、金銅仏は、他館や寺院からの出陳が多かった。両手を失ったトルソー状態の木造観音菩薩立像(堺市博物館)は世界的に現存唯一の隋代の木造仏。わずかに残る瓔珞や宝冠、衣のひだは控えめで繊細。長い髪を頭の後ろで左右に分けて垂らしているのがかわいい。大阪・観心寺の金銅菩薩半跏像(白鳳時代)は三等身くらいか。マンガのキャラクターみたいでかわいい。三重・見徳寺の木造薬師如来坐像は田舎育ちの青年のような素朴な表情。白鳳時代に遡る貴重な木造仏だそうだ。
山口・神福寺の木造十一面観音立像はなんと唐代の遺例。これは岩見博物館の『祈りの仏像』展はじめ、何度か見ている。大阪・長圓寺の極度に顔が横に広い木造十一面観音菩薩立像(平安時代)は、すぐに思い出せなかったが、三井記念美術館の『仏像の姿(かたち)』展で見ていた。異様な造形なのにバランスがとれていて美しい。
さて中国では南宋時代前後に禅宗各派が成立し、韋駄天や伽藍神など新たな尊像が安置されるようになった。京都・泉涌寺は南宋時代の仏像、経典そして儀礼を伝えている。ということで、木造観音菩薩坐像(楊貴妃観音)!うれしい!! 私は10年以上前にもらった楊貴妃観音のお守りを今も手帳に入れて持ち歩いている(楊貴妃観音で良縁成就はないだろう、と思いつつ)。同じく泉涌寺の木造韋駄天立像と木造月蓋長者立像もよい。面長で薄口の顔、吊り上がった目、いかにも宋人の顔という感じがする。神奈川・清雲寺の木造観音菩薩坐像もいらしていた。右膝を立て、左足は踏み下げ、ややこわもてのポーズ。しかし、両手の長い指が貴族的で美しい。仁和寺の木造観音菩薩坐像も南宋時代の作で、白衣観音像を思わせる、静かな表情。
会場では、確かこのあたりまでが展示室1(大階段の右側)で、最後に階段を横切った反対側に展示室2が設けてある。展示室2の入口に王者然としてあたりを睥睨しているのが、京都・萬福寺の木造韋駄天立像(清時代)。よくぞこの韋駄天像を!しかもこんなセンターポジションに!!と嬉しかった。「京劇俳優が見得を切るようなポーズ」とはよく言ったもの。しかし天衣のたなびきかたまで、カッコよく見せることに細心の注意が払われていて、特殊効果つき武侠ドラマの主人公みたいである。
もうひとつ、企画者の目配りに微笑んでしまったのは、若狭歴史博物館の木造迦楼羅立像(烏将軍)(元~明時代)。小浜市の浜辺に漂着したもの。初めて見たのは、若狭歴史民俗資料館時代の『地域の秘仏』展だったが、その後、特に分かったことはないのかなあ。不思議な縁で日本の博物館の所蔵になった仏像なので、大事にされてほしい。