○コリン・トレボロウ監督『ジュラシック・ワールド』(MOVIX柏の葉)
8月7日にシリーズ第1作『ジュラシック・パーク』のHDリマスター版が地上波で初放送されたのを、なんとなく見始めたら、最後まで見てしまった。私はこの作品が日本で公開(1993年)されてすぐ、劇場で見た記憶がある。よくできた映画だなあと思ったが、楽しめなかった。私は血の雨が降ったり死体が出てくる、生理的なホラー映画は苦手なのである。第2作はテレビで見たが、第3作は見ていない。このシリーズには、その程度の関心しか払ってこなかった。
ところが、久しぶりに見た第1作はなかなか面白かった。「怖い場面」がどこに出てくるか分かっていると、ずいぶん落ち着いて見ることができる。すると、セリフのひとこと、役者のちょっとした演技が印象に残り、温かい人間ドラマと爽快なカタルシスを味わうことができた。そうすると「第1作への原点回帰」と評価されている『ジュラシック・ワールド』がどうしても見たくなり、平日午後に休暇をもらって見て来た。
設定は「ジュラシック・パーク」の惨劇から22年後。島には、故ハモンドが夢見たテーマパーク「ジュラシック・ワールド」が実現し、世界中から観光客が押し寄せていた。人々の際限ない欲望を満たすため、パークを経営するインジェン社は、遺伝子操作によって新種のハイブリッド恐竜を生み出し、育てていた。
このハイブリッド恐竜(インドミナス・レックス)が暴走し、人々を恐怖に突き落とす、というストーリーなのだが、私は第1作ほどの恐怖を感じなかった。それはたぶん、人間のつくり出したものなど、どうせ不完全で、どうせ暴走するものだという予測が成り立つからかもしれない。第1作に登場した恐竜は、自然そのものにも似た、測り知れない怖さがあった。何を求めて荒れ狂うのか、どれだけの知能、どれだけの攻撃力・殺傷能力があるのか、分からないから怖かった。まあ本作のハイブリッド恐竜も、予想より知能が高く狡猾で、人間たちを慌てさせるのだが、体内に埋められた探知機を剥ぎ取ってしまうとか、(空腹でないのに)他の恐竜を殺すことを楽しむ残忍性があるとかいう性格づけは、いかにも人間(脚本家)が考えそうなことで、本質的な「モンスター」感は薄い気がする。
そのほかの恐竜では、第1作で大活躍(?)したヴェロキラプトルが再び登場。元軍人で飼育係(調教師)のオーウェンは、四頭のラプトルと心を通わせ、簡単な命令に従わせることも可能にしていた。人間たちは、この四頭をハイブリッド恐竜に立ち向かわせようとするが、ラプトルの遺伝子をもつインドミナスは四頭と意気投合、違うな、意思を通じ合い、逆に人間たちを襲わせる。ここ、面白い。しかし追い詰められたオーウェンは、武器を捨て、攻撃の意志がないことを示して、もう一度ラプトルたちを味方につけることに成功する。激昂したインドミナスは(と表現したくなる人間臭さが、本作の恐竜たちにはある)ラプトルの反撃を次々に撃破し、オーウェンたちを追いつめる。
万策尽きたかに思われた時、ハイブリッド恐竜の生みの親である女性科学者クレアは、飼育エリアにいるTレックス(ティラノサウルス)の存在を思い出し、これをおびき出して、インドミナスに対抗させる。う~ん、ここもなあ。人間に操られるTレックスというのが、どうもしっくり来ない。インドミナスやラプトルに追いかけられる間、クレアはずっとハイヒールなのだが、森の中やら岩の上やら、あんなに自由に走り回れるものか? Tレックスとインドミナスの死闘は、はじめは体の大きいインドミナスが優勢だったが、経験にまさる(?)Tレックスが逆転。そこに水中から姿をあらわした巨大爬虫類モササウルスが、インドミナスに食らいつき、水中に引きずり込んでしまう。これは虚を突かれた。モササウルスの存在は、パークの人気アトラクションとして映画の始めに出てくるのだけど、あまりにもあっけない収拾のしかたで、笑ってしまった。でもモササウルスの、凶暴というより「規格外」の強大さは、この映画の中では異色で、気持ちよかった。
第1作と同様、人々は島を去り、あとには恐竜たちだけが残される。人間が残したヘリポートの上で咆哮するTレックス。彼女は第1作に登場したTレックスと同一個体の22年後の姿という設定だという。へえ、大型恐竜の寿命って何年くらいなのだろう。Tレックス、それから森に消えていった生き残りのラプトル「ブルー」に、次の物語への登場はあるのだろうか。第1作ほどではないけれど、しばらく異世界を体験できる娯楽作品である。不満は書いたが、もう一回見たい。いや何度でも見たい。
8月7日にシリーズ第1作『ジュラシック・パーク』のHDリマスター版が地上波で初放送されたのを、なんとなく見始めたら、最後まで見てしまった。私はこの作品が日本で公開(1993年)されてすぐ、劇場で見た記憶がある。よくできた映画だなあと思ったが、楽しめなかった。私は血の雨が降ったり死体が出てくる、生理的なホラー映画は苦手なのである。第2作はテレビで見たが、第3作は見ていない。このシリーズには、その程度の関心しか払ってこなかった。
ところが、久しぶりに見た第1作はなかなか面白かった。「怖い場面」がどこに出てくるか分かっていると、ずいぶん落ち着いて見ることができる。すると、セリフのひとこと、役者のちょっとした演技が印象に残り、温かい人間ドラマと爽快なカタルシスを味わうことができた。そうすると「第1作への原点回帰」と評価されている『ジュラシック・ワールド』がどうしても見たくなり、平日午後に休暇をもらって見て来た。
設定は「ジュラシック・パーク」の惨劇から22年後。島には、故ハモンドが夢見たテーマパーク「ジュラシック・ワールド」が実現し、世界中から観光客が押し寄せていた。人々の際限ない欲望を満たすため、パークを経営するインジェン社は、遺伝子操作によって新種のハイブリッド恐竜を生み出し、育てていた。
このハイブリッド恐竜(インドミナス・レックス)が暴走し、人々を恐怖に突き落とす、というストーリーなのだが、私は第1作ほどの恐怖を感じなかった。それはたぶん、人間のつくり出したものなど、どうせ不完全で、どうせ暴走するものだという予測が成り立つからかもしれない。第1作に登場した恐竜は、自然そのものにも似た、測り知れない怖さがあった。何を求めて荒れ狂うのか、どれだけの知能、どれだけの攻撃力・殺傷能力があるのか、分からないから怖かった。まあ本作のハイブリッド恐竜も、予想より知能が高く狡猾で、人間たちを慌てさせるのだが、体内に埋められた探知機を剥ぎ取ってしまうとか、(空腹でないのに)他の恐竜を殺すことを楽しむ残忍性があるとかいう性格づけは、いかにも人間(脚本家)が考えそうなことで、本質的な「モンスター」感は薄い気がする。
そのほかの恐竜では、第1作で大活躍(?)したヴェロキラプトルが再び登場。元軍人で飼育係(調教師)のオーウェンは、四頭のラプトルと心を通わせ、簡単な命令に従わせることも可能にしていた。人間たちは、この四頭をハイブリッド恐竜に立ち向かわせようとするが、ラプトルの遺伝子をもつインドミナスは四頭と意気投合、違うな、意思を通じ合い、逆に人間たちを襲わせる。ここ、面白い。しかし追い詰められたオーウェンは、武器を捨て、攻撃の意志がないことを示して、もう一度ラプトルたちを味方につけることに成功する。激昂したインドミナスは(と表現したくなる人間臭さが、本作の恐竜たちにはある)ラプトルの反撃を次々に撃破し、オーウェンたちを追いつめる。
万策尽きたかに思われた時、ハイブリッド恐竜の生みの親である女性科学者クレアは、飼育エリアにいるTレックス(ティラノサウルス)の存在を思い出し、これをおびき出して、インドミナスに対抗させる。う~ん、ここもなあ。人間に操られるTレックスというのが、どうもしっくり来ない。インドミナスやラプトルに追いかけられる間、クレアはずっとハイヒールなのだが、森の中やら岩の上やら、あんなに自由に走り回れるものか? Tレックスとインドミナスの死闘は、はじめは体の大きいインドミナスが優勢だったが、経験にまさる(?)Tレックスが逆転。そこに水中から姿をあらわした巨大爬虫類モササウルスが、インドミナスに食らいつき、水中に引きずり込んでしまう。これは虚を突かれた。モササウルスの存在は、パークの人気アトラクションとして映画の始めに出てくるのだけど、あまりにもあっけない収拾のしかたで、笑ってしまった。でもモササウルスの、凶暴というより「規格外」の強大さは、この映画の中では異色で、気持ちよかった。
第1作と同様、人々は島を去り、あとには恐竜たちだけが残される。人間が残したヘリポートの上で咆哮するTレックス。彼女は第1作に登場したTレックスと同一個体の22年後の姿という設定だという。へえ、大型恐竜の寿命って何年くらいなのだろう。Tレックス、それから森に消えていった生き残りのラプトル「ブルー」に、次の物語への登場はあるのだろうか。第1作ほどではないけれど、しばらく異世界を体験できる娯楽作品である。不満は書いたが、もう一回見たい。いや何度でも見たい。