見もの・読みもの日記

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新右派転換の通ってきた道/右傾化する日本政治(中野晃一)

2015-08-28 00:01:16 | 読んだもの(書籍)
○中野晃一『右傾化する日本政治』(岩波新書) 岩波書店 2015.7

 本書は、今の日本政治が大きく右傾化しつつあるという立場をとる。しかし、右傾化が小泉純一郎や安倍晋三の登場で突然に始まったものとは考えない。1955年から1993年まで続いた「55年体制」を出発点に、主に1980年代から今日まで、過去30年ほどのスパンで右傾化のプロセスを分析・詳述したものである。

 戦後しばらくは、米ソ冷戦を背景として、階級間妥協に基づく「国民政党」を志向する保守政治が世界のトレンドだった。日本において、こうした政治のありかたを担った自民党の姿を、著者は「旧右派連合」と呼ぶ。単純化すると、官僚派の政治家や経済官庁を中心とした「開発主義」と、党人脈が強みを発揮した「恩顧主義」(公共事業や補助金による経済成長の再分配)の連合体だった。

 一方、いまの政治の主勢力を「新右派連合」と呼ぼう。キーワードは悲観的(リアリスト)な社会観で、こちらは「新自由主義」と「国家主義」の連合体である。一方はグローバル化を推進し、一方はナショナリズムを志向するものでありながら、両者には根本の世界観の一致や利害上の適合性があるため、結びつきやすい。

 冷戦の終焉とともに、新自由主義を掲げるイギリスのサッチャー政権(1979-)、アメリカのレーガン政権(1980-)が成立した(当時、市場競争を通じた「自由」の実現は人々にとって魅力的だった)。日本の大平政権(1978-)は、まだ旧右派連合の維持に軸足を置いていたが、新右派転換を決定的に日本に導き入れたのは中曽根政権(1982-)である。以後、新右派転換の波と揺り戻しは交互に訪れるが、ここでは新右派転換のプロセスだけをメモしておく。

 大平は、自由主義的な国際協調へのコミットメントを重視し、経済協力、文化外交等を通じて総合的にわが国の安全を図ろうとする「総合安全保障戦略」を掲げた。そこから日米同盟強化にウェイトを移したのが中曽根である。中曽根は復古的な国家主義への志向を持っていたが、それでも当時の「国際協調主義」が歯止めとして機能していた。次に、従来の「一国平和主義」を独善と糾弾し、(国連を中心とした集団安全保障の内ではあるが)「積極的平和主義」に転じることが日本国憲法の掲げる国際協調主義であるというロジックを示したのは小沢一郎である。小沢の『日本改造計画』の外交安全保障箇所を担当したのが、現在の安倍ブレーンの北岡伸一であるというのも興味深い。橋本龍太郎は、本来、経済文化交流と多国間協調を指していた「国際協調主義」という言葉が、軍事・経済面での対米追随という、およそかけ離れた中身へとすり替えられていく転換点となった。同じ時期に、歴史修正主義バックラッシュも始まる。

 90年代後半、揺り戻しと政局の混乱の中で、国家主義者グループは巧みに世代交代を達成するが、旧右派連合を支えてきた「保守本流」の系譜は、見る影もなく弱体化する。この状況を背景に小泉政権が誕生し、日本は「政治の新自由主義化」の時代をは迎える。そして民主党政権という幕間劇をはさんで誕生した現在の安倍政権。著者の安倍政権に対する評価は否定的で、「反自由の政治」「立憲政治破壊の企て」「復古的国家主義の暴走」などの厳しい表現が並んでいる。

 終章ではオルタナティブを探っているが、見通しは明るくない。日本政治の右傾化は、安倍や小泉の個性が生んだものではなく、それなりの歴史的必然性をもってここまで来てしまったのだから、安倍が退陣すれば元に戻るというものではない、ということはよく分かった。著者は、制度的な改革として、死票の多い小選挙区制の廃止を提言する。「二大政党制化の美名のもとに進めようとした」と言われると、かつてその美名を支持した記憶のある自分は、恥ずかしい気持ちになる。それから、リベラル勢力が新自由主義と訣別すること。新自由主義は「実は自由主義でも何でもない」のであり、むしろ暴力や貧困、格差など、個人の自由と尊厳を脅かす最大の脅威となっている。

 これには全く同意する。同時に、いま社会を動かしているのは、戦争を知らないどころか、「旧右派連合」の時代を知らない世代に変わりつつあるのではないかと思った。新自由主義がはびこる以前の日本社会は、旧弊で窮屈な慣習もあったが、格差や反自由がこれほど苛烈でなかったということは、当時を知っている世代が、きちんと伝えなければならないだろう。また、安倍総理の掲げる「国際協調主義に基づく積極的平和主義」の「積極的平和主義」が、本来の意味を裏切っていることは最近明らかになったが、「国際協調主義」の意味も、大平政権まで戻って考えてみる必要があると思った。

 本書に書かれた30年間は、全て私が成人して以降の年代であり、リアルタイムの記憶の中にある。しかし、実は覚えているのは、無責任な、面白おかしい当時の報道ばかりで、事の本質的な理解ができていたとは言いがたい。同時代史の理解には、そのような難しさがついてまわるので、本書のような労作に出会えてよかったと思う。

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