見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

文楽・義経千本桜/国立劇場

2006-12-20 08:37:21 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立劇場 12月文楽公演『義経千本桜』

http://www.ntj.jac.go.jp/kokuritsu/index.html

 今年9月、久しぶりに文楽(仮名手本忠臣蔵)を見て、いやーやっぱり面白いなあ、と思った。また以前のように熱を入れて通おうかな、と思っていた矢先、吉田玉男さんの訃報に接した。何だか気勢をそがれたようにも思ったが、気を取り直して、12月公演に出かけた。土曜日の昼から、ぶらぶら劇場に行ってみたら、夜の部のチケットがちょうど1枚だけある(あとは補助椅子が数席)というので、これを買って入った。

 今月は、『義経千本桜』のうち、初段「堀川御所の段」と二段目「伏見稲荷の段」「渡海屋・大物浦の段」だけのダイジェスト公演である。それで結構。私は平知盛びいきなので、「渡海屋・大物浦」が見られれば満足である。覚悟の白装束の知盛も好きだが、冒頭、相模五郎の狼藉を制止して、「武士の武の字は矛を止めると書くと聞いておりやす」と諭す、ヘンに理屈っぽい知盛(銀平)も好きなのだ。当時の町人が、武士階級をどう見ていたかが、反映されているように思う。

 今月のプログラムには入っていないが、「道行初音の旅」の段も好きだ。狐忠信、かわいいし。

 『義経千本桜』の梗概を、初めて知ったときは、笑ってしまった。源氏の義経、平家の知盛、それから能登守教経、色男の三位中将維盛。要するに、源平の双方から、人気抜群のヒーローだけを選び出して、勝手に作り上げたフィクションなのである。『平家物語』を読むと、義経と知盛を好敵手として向かわせてみたい、と思う気持ちは、ものすごくよく分かる。しかし、そのために、西海に沈んだ平家の武将たちを生き返らせて「ありえない」後日談を作ってしまうのだから、いまのパロディ同人誌の感覚とあまり変わらないのではないか。

 12月の文楽公演は、むかしから若手中心と決まっていた。だから、舞台上に文雀さんや蓑助さんの姿がないのは当然なのだが、知盛を見ていると、隣に玉男さんの姿を思い浮かべて切なくなってしまう。

 この公演で知盛を遣ったのは、吉田玉男の一番弟子である吉田玉女。初役だそうだ。力に溢れた、若々しい知盛だった。「40年近く修行させてもらった師匠の芸を受け継いでいきたい」と語っているという。40年かあ。いまどきは、伝統芸能の世界でも、もっと早くからスター扱いされることのほうが普通だと思う。こんな、ゆっくりした世代交代を行っている世界って、他に無いだろうなあ。玉女の精進に期待したい。

■吉田玉女、師の芸受け継ぐ(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/mei/20061118/ftu_____mei_____001.shtml
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新年はベトナムで/建築のハノイ(大田省一)

2006-12-19 00:05:24 | 読んだもの(書籍)
○増田彰久(写真)、大田省一(文)『建築のハノイ:ベトナムに誕生したパリ』 白揚社 2006.4

 年末年始はベトナムに行く。ずいぶん前から行ってみたくて、旅行仲間にねだっていたら、とうとう実現することになった。しかし、ぼんやり雰囲気に憧れていただけで、実はベトナムのことは、あまりよく知らない。困った、と思っていたら、ちょうどいい本を見つけた。建築探偵の藤森照信氏とともに、近代建築遺産を撮り続けている増田彰久さんの写真満載。ページをめくるたびに、ため息が出る(あー。それにしても、空の青いこと)。

 ベトナムの魅力のひとつは、洋風建築である。そう、それはどこかで聞いて知っていた。それにしても、これはすごい。ハノイのオペラハウスの内陣には、南国の陽光とは無縁の、ヨーロッパの冬を彷彿とさせる重厚さが漂う。ベトナム国家大学のエントランスは、細い鉄骨とガラスで作られた、繊細で軽快なアールデコ。紅河を跨ぐロンビエン橋は、エッフェル塔を寝かせたような鉄骨橋で、モダニズムの力強さを代表する。

 そうかと思えば、南国の風土に根ざした伝統様式が、西洋建築と混ざり合った、不思議な建築もある。ハノイ大聖堂の敷地内に建っている礼拝堂(ベトナム最古の教会建築)はその好例。蓮池から生え出たような一柱寺も面白い。
 
 どうしてベトナム(とりわけハノイ)に、このような魅力的な建築が生まれたかは、大田省一氏(藤森研究室出身、ベトナム建築史が専門)の考察に詳しい。また、個々の建築の解説によれば、ハノイのオペラハウスは革命蜂起の場所でもあり、ロンビエン橋はベトナム戦争時にアメリカ軍の爆撃の標的になったという。複雑で苛烈なベトナムの近代史に思いをめぐらすにも、建築は恰好の入り口であると思う。

■参考:河内(ハノイ)建築散歩
http://www.vietnam-sketch.com/special/travel/2004/09/index.html
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本で巻く歌仙/双六で東海道(丸谷才一)

2006-12-18 00:09:51 | 読んだもの(書籍)
○丸谷才一『双六で東海道』 文藝春秋社 2006.11

 雑誌「オール読物」に2005年2月号から2006年5月号まで連載とある。たぶん『綾とりで天の川』(文藝春秋社 2005.5)の続きではないかと思う。例によって洒落た題名(江戸時代の発句から)、例によって和田誠さんの上品で朗らかな装丁である。

 双六ね。丸谷さんのエッセイにも双六みたいなところがある。お題から次のお題へと、連想が、どんどん移って行く。滑らかに隣に移ることもあれば、あっと驚く飛躍を見せることもあって、双六の駒の動きのようだ。いや、いっそ歌仙に喩えたほうがいいかしら。しかも、例によってブッキッシュな(本に拠った)雑学談が多い。

 たとえば、プルタルコスの『食卓歓談集』に拠って、古代ギリシアの宴会の作法を語り、生方敏郎の『明治大正見聞史』に拠って、乃木大将自殺の一報を聞いたときの新聞記者の反応に驚き、今村啓爾『富本銭と謎の銀銭』に拠って、埋蔵銭をめぐる論争にわくわくする。

 歴史上の人物に関する印象的なエピソードも多かった。福地桜痴の『幕末政治家』に登場する安部伊勢守正弘は、25歳で老中になり、39歳で亡くなるまで首相格であった英才。私は、野口武彦さんの『大江戸曲者列伝』(えーと、どっちかな。たぶん幕末の巻)で読んで以来、ファンである。三田村鳶魚によれば、彼の若死の理由は、十五歳の若い妾(向島の桜餅屋の娘)を持ったのが体に障ったのではないか、という。

 桂小蘭『古代中国の犬文化』によれば、宋の徽宗皇帝は戌年であったため、犬の殺生を禁じた。中国かぶれ(儒書を中国音で読んだ!)の徳川綱吉はこの件を知っていただろうか? 知っていたとして、亡国の皇帝の真似をするだろうか? 関連して、山内昶『ヒトはなぜペットを食べないか』によれば、清朝の政治家、李鴻章は、ロンドンへ交渉に行ったとき、イギリス外相から贈られたシェパードを平らげてしまったそうだ。いいなー。さすが中国人、豪快。相手が、動物愛護の本家、イギリスだというところに皮肉が効いている。

 横井小楠、松平春嶽、グリフィスの段も面白い。グリフィスは明治期に福井藩の藩校に招かれたアメリカ人。彼を招いた殿様が松平春嶽で、春嶽が師事したのが横井小楠である。3人とも前々から気になる存在だったが、丸谷さんの批評を読んで、横井小楠については、ぜひ読んでみようと決めた。

 最後に、著者が「最近知った話で、披露したくてたまらない件が一つある」というマクラで書き出しているエピソード。ニューヨーク公共図書館には、銀のバッジをつけた7人の本の探偵がいるのだそうだ。毎年何千冊も盗まれる本を取り戻すのが彼らの仕事。期日を2、3ヶ月過ぎても返さない者には麻薬常習者が多く、贋の図書館カードで本を借り、借りた本を売って麻薬を買うのである。これは、ゲイ・タリーズの『名もなき人々の街』(青木書店 1994)というノンフィクションに出てくるのだそうだ。この本、読みたい!
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もつれる近代/アジア/日本(米谷匡史)

2006-12-17 21:21:40 | 読んだもの(書籍)
○米谷匡史『アジア/日本』(思考のフロンティア) 岩波書店 2006.11

 (東)アジアの近代化は、西洋の衝撃によってもたらされた。しかし、アジア諸国にとって、切実な近代化体験とは、西洋/東洋の相克ではなくて、むしろアジア内部に引き起こされた摩擦と抗争であった。

 近代日本のアジア論には、「脱亜論」と「興亜論」という2つの潮流があったとされる。前者は、停滞するアジアを蔑視し、発展する日本の優越を誇っていこうとする立場であり、後者は、日本が他のアジア諸国を近代化に導き、連帯して、欧米の圧迫に対抗しようというものである。具体的な問題について見るなら、西郷隆盛の「征韓論」と勝海舟の「清・韓国・日本の三国提携論」の対立と言ってもいい(松浦玲さんの著書にもあったが、海舟のアジア外交論って、もう少し論じられてもいいのに)。

 現在は、福沢諭吉を代表とする「脱亜論」に、オリエンタリズムや植民地主義の暴力を指摘して、批判する意見が強い。しかし、「脱亜」と「興亜」には、絶対的な差異があったわけではない。西郷隆盛は、明治政府が起こした江華島事件を厳しく批判しているし、勝海舟は軍艦に乗って韓国に開国を迫りに行くつもりだったという。したがって、近代日本における「脱亜」と「興亜」、「侵略」と「連帯」の欲望は、根底で分かち難く絡まりあっているということを、まず我々は、認識しなければならない。

 この「侵略/連帯」の複雑な絡まりは、太平洋戦争中に提唱された様々な広域圏論にも持ち越される。その多くは、アジアを侵略し、支配する帝国主義日本が、アジア民族の解放・共生を唱えるという矛盾したものだったが、石原莞爾の「東亜連盟」論は、東アジアの地域連合、開発・発展を推し進めるために、日本が帝国主義政策を放棄することを主張しているという。へえー。また、尾崎秀美の「東亜共同体」論のように、中国の抗日運動に向き合うことで生まれ、帝国主義日本の内部批判を試みたものもあった。

 戦後の日本は、アメリカの対米協力を通じて、東アジア分断の当事者となった。「脱亜」路線の現代版と言えるかもしれない。実は、福沢諭吉のテキスト「脱亜論」が再発見され、批判を加えられるようになったのは、まさにこの時期(1960年代)からだそうだ。へえー。聞き逃せない指摘。一方で、日本の資本は、東アジア・東南アジアに積極的に進出していった。そこには、アジアの発展に介入し、主導しようとする「興亜」の論理が再生しているとも言える。

 以上は「日本」を主体に、脱亜/興亜(侵略/連帯)のスジで要約してみたが、植民地の側にも、様々な問題がある。日本帝国主義に協力しながら母国の近代化を志した者もいるし、独自の近代化を唱えて、伝統社会に対する「近代」の暴力を内在化しているケースもある。これらは、単純に善悪を評価できるものではない。

 本書は、長い道のりを辛抱強く歩き続けるような論考である。単純明快な二分論、短いセンテンスで早めに結論を言い切るのがカッコいいと思っている読者は、たぶん最後までついてこられないだろう。実は、私も途中で「結論はどうなるんだろう?」と最後を盗み見ようとしたことが何度かあった。結局、もつれた糸は、最後までもつれたままである。矛盾に向き合う繊細な眼差し、ねばり強く自立した思考。その程度のサジェスチョンしか得られないのは、ちょっと不満である。しかし、「思考のフロンティア」には、これでふさわしいのかも知れない。
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そうは言われても/下流社会(三浦展)

2006-12-16 11:35:24 | 読んだもの(書籍)
○三浦展『下流社会:新たな階層集団の出現』(光文社新書) 光文社 2005.9

 新書ベストセラーに名を連ねる「格差」「階層」社会ものは、全く興味がなかったが、この直前に読んだ『前略仲正先生、ご相談があります』に、本書が紹介されているのを読んだ。それによれば、「年収が年齢の10倍未満」だと「下流」の可能性が高いとのこと。

 私は、ふだん自分の給料をほとんど気にしていないのだが、ボーナスを貰った直後でもあったので、ん?と思って、計算してみた。そうすると、私もギリギリでこのラインに該当しそうな気がする。あれっ。私は「下流的」だったのか、と、自覚のなかった私はびっくりした。ただし、これは、通帳に記載される振込み額(手取り)での話。この間、貰った12月の給与明細で支給額を見直して、この数字で計算すれば、まあ、所得的には「中流」なのかな、と思いなおした。

 ただし、本書が扱うのは、所得だけの「上層」「下層」ではなく、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、総じて人生への意欲が低い「下流」の人々の問題である。「希望格差」は常にあった。しかし、戦後~高度成長期の日本社会では、貴族や資本家、地主階級は特権を剥奪され、希望が縮小していたのに対して、貧しい人ほど「頑張れば豊かになれる」という希望を持つことができた。しかし、現在は、圧倒的大多数の人々が、「上昇への希望」を持てなくなり、階層の固定化、「下流」層の数的拡大に向かっている。そこに問題がある、と著者はいう。

 うーむ。そう言われると、私の生活スタイルは、かなり「下流的」かもなあ、と思った。本書を読むと、一家を支えるサラリーマンは700万とか800万円の年収が必要らしいのだが、私ひとりで暮らしている限りは、そんなに稼いでも使いみちないなーと思うので、あまり羨望を感じない。洋服代に年間100万円以上使う「上流」専業主婦の話を聞いても、ご苦労様という感じ。安い外食やインスタント食品にたよる食生活が続いても恥ずかしいと思わない。家も車も欲しいと思わないし、ましてブランド品に興味はない。この感じ方が、まさに「上昇志向」を失った「下流的」らしいのである。そうは言われても、なあ。

 本当にそれは「問題」なんだろうか? 確かに「下流」層ほど、コミュニケーション能力が低く、てきぱきと物事を処理する能力がない、というのは、同意できる問題点である。そういう「下流」層が多数を占める社会は、変化に対する適応や発達の可能性がどんどん低くなる、と思う。

 だが、日本の社会が全体として、高度成長期のような「上昇への希望」を取り戻すのは、到底、無理であろう。結局、「下流」には「下流」なりの「ささやかな希望」を与えて、わずかでも活力を維持するような対策しかないのかな、と思う。

 歴史的にみれば、多くの社会は、階層の「流動化」と「安定(固定)化」の時期を繰り返すのであり、いまの日本は「固定化」の時期にあるのだと思う。こういう状態は気に入らないから、何としても現状を打破して、再度、流動化させたい、というのも、ひとつの見識である。

 私は、固定化(階層移動の振幅が減少する時期)にも一定の意味はあるような気がする。ただ、その間に、社会の資源が枯渇してしまうか、目立たなくても有用な人的資源を蓄えておけるかは(江戸時代に形成された、実務能力のある中間知識人層によって、明治維新を乗り切ったように)、次の流動期を迎えたときに、試されるのではなかろうか。
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力を抜いて/前略仲正先生、ご相談があります

2006-12-14 23:06:37 | 読んだもの(書籍)
○仲正昌樹『前略仲正先生、ご相談があります』 イプシロン出版企画 2007.1

 元ネタは、雑誌「ダ・カーポ」に連載された「時事相談」というコラム(知らなかったけど)。憲法改正、小泉改革、格差社会などの政治問題から、細木数子はなぜ怒ってばかりいるのか?、みのもんたは引退を考えないのか?などの芸能ネタまで、読者からの質問をベースに、インタビューアー(ライター)に著者が答えたものである。

 仲正先生、売れてるなあ。ジャーナリズム的には、右とも左ともつかないスタンスが使いやすいのかなあ、と思う。でも、ちゃんとした学者なんですよね。前作『ラディカリズムの果てに』で、新書やエッセイばかり読んでいるようでは駄目だ、自分の著作でも、本当に読んで欲しいのは『モデルネの葛藤』(御茶の水書房 2001)のような専門書である、という趣旨のことを書いていらして、なかなか硬派な発言をするな、と思った。でも、結局、著者が「読んで欲しい」という本は敷居が高くて、結局、こういう軽いエッセイにばかり手を出してしまうのである。ごめんなさい。

 著者は「あとがき」で、この本は「気を抜いた仕事」であると述べ、かつ「気を抜いた仕事」が持つ意義(エクリチュールからの疎外を回避する)を、哲学者らしく解説している。

 しかし、冒頭の「護憲」と「愛国心」の問題とか、「A級戦犯」という用語が引きこす誤解についての解説を読むと、気は抜いていても、手は抜いていない。事実の上に、明晰な分析を施していて、読み得である。ちなみに、戦犯には、A級=平和に対する罪、B級=通常戦争犯罪、C級=人道に対する罪があるが、これはカテゴリー分類であって、等級ではない。中国や韓国の反日デモ参加者は、心情的には、通常戦争犯罪=残虐行為を憤っているはずで、A級戦犯合祀を云々することには論理的齟齬がある由。なるほど。恥ずかしながら、知りませんでした。
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中国・日本の貴重書/静嘉堂文庫

2006-12-13 21:31:14 | 行ったもの(美術館・見仏)
○静嘉堂文庫美術館 静嘉堂文庫の古典籍 第6回『中国・日本の貴重書』

http://www.seikado.or.jp/

 同文庫の貴重書を公開する展覧会。第5回『中国の版本』が2005年の春だったから、ほぼ2年ぶりだ。今回は、中国の本(漢籍)と日本の本(国書)を、あわせて公開するところが、新しい試みであるという。

 好みでいうと、私は漢籍のほうで、より長く足を止めてしまった。『説文解字』の現存最古の版本(南宋初期)とか、『東京夢華録』の現存最良のテキスト(元版)とか、「伝本」価値の解説に、へえ~と唸らされる。『広韻』(宋版)は、版心に刻工(板木を彫った工人)の氏名が刻まれているのが面白かった。よく見ると、1丁ごとに刻工が異なるようだ。『宣和博古図録』は、宮廷文物の図録で、中国古籍にはめずらしく、絵のあるもの。

 南宋地誌の代表作『咸淳臨安志』は、巻頭の挿絵も楽しく、本文の版面も美しい。私は、この『咸淳臨安志』くらいの堂々とした文字組み(10行×20字)が好みだが、もっと小さな字をびっしり書き込んだものから、大きいもの(蜀大字本)まで、さまざまな版面があって、見飽きない。

 蔵書印は、ようやく少し判読できるようになった程度。『白氏六帖』の「文淵閣」印は分かりやすいが、『礼』の「汲古閣楼主、毛晋の旧蔵書」という解説は、どの蔵書印を指すのか分からなかった。前回もチェックしたが、清朝の大蔵書家・陸心源の似顔絵蔵書印は、やっぱり楽しい。

 国書は、奈良絵本の『羅生門』、『伊勢物語』(巻子、零本)など、美しい彩色絵本があったが、つい漢籍に影響されて、慶長古活字本の『日本書紀』をいちばん興味深く眺めた。吉田神社の神供所司家に伝わったもので、神代巻は「門外不出の秘本」だったという。現在は、静嘉堂文庫の所蔵に帰しているわけであるが。
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ラブリー水墨画/畠山記念館

2006-12-12 23:27:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
○畠山記念館 秋季展『中国宋元画の精華-夏珪、牧谿、梁楷-日本人が愛した伝来の絵画』

http://www.ebara.co.jp/socialactivity/hatakeyama/display/2006/autumn.html

 六本木の泉屋博古館分館に行ったついでに、そういえば、この展覧会も今日までだったな、と思って寄った。10月に一度、行っているのだが、展示替えが多いので、できれば後期も見たいと思っていたのだ。古筆や茶道具、日本絵画も取り合わせているが、中心となるのは中国(宋元)の水墨画である。

 梁楷の『猪頭蜆子図』対幅は、展示予定では、前期に『猪頭』(ブタの頭をくわえた和尚)、後期に『蜆子』(エビ?ザリガニ?を指先にぶらさげた和尚)のはずだったが、後期は2枚が並べて掛けられていた。寸足らずなプロポーションが可愛い。2人並ぶと2倍可愛い。

 伝夏珪筆の『竹林山水図』は、やっぱり見事だなあ~と惚れ惚れした。日本人の「水墨画」の感覚に、よくマッチしている。たぶん、その感覚を作ったのは雪舟で、夏珪の絵は雪舟によく似ている。というのは、倒錯的な感想で、雪舟が夏珪を強く意識していたわけだが。伝牧谿筆の『蓮鷺図』は、体をひねって宙に浮く白鷺を、薄墨の背景に浮き上がらされたもの。あ、これって等伯だ、と思った。

 さて、いちばんの収穫は、伝牧谿筆の『狗鶏図』。びっくりした。横長の画面に、ふわふわモコモコした丸っこい物体がたくさん描かれている。画面右寄りのカタマリは、よく見ると、ぬいぐるみみたいな4匹の仔犬。応挙の仔犬から芯が抜けたみたいで、へろへろとつぶれて、もたれあっている。左には、親ドリのまわりを取り囲む、毛糸玉のようなヒナが10羽ほど。なんなんだ、このラブリー水墨画は!! 「牧谿」といえば、南宋絵画の粋。素人が気軽に好きとか嫌いとか、言える存在ではないと思っていたのに。

 余談であるが、この『狗鶏図』、井上世外翁の旧蔵であるという。ええ~世外って井上馨でしょ(自信がなくて、帰ってから調べた)。外務大臣、農商務大臣、内務大臣等を歴任し、閔妃暗殺の首謀者とも言われているのに、素顔は意外と可愛いもの好きのおじさんだったのかしら。
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お蔵出し・個人蔵の中国陶磁/泉屋博古館分館

2006-12-11 23:45:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
○泉屋博古館分館 特別展『中国陶磁:美を鑑るこころ』

http://www.sen-oku.or.jp/

 地味な展覧会だと思っていたが、ようやく間に合った最終日、館内は意外に混雑していた。第1展示室に入った瞬間、清・康煕年製『五彩花鳥文瓶』(ポーラ美術館蔵)が目に飛び込んできた。いいなあ、これ。肥痩に富む描線。開きかけの白木蓮(?)も、太湖石も、ぐにゃぐにゃと不定形で、その収まりの悪さに、生命感が溢れている。いきなり、最初の作品に魅入られて、足が動かなくなってしまった。

 その後に続く明代の磁器は、庶民的で愛らしく、時に奔放で、創意に富んでいる。井上進氏が、出版文化史に寄せて述べられた「明末の自由」と「清初の粛正」の差異を、思い起こしながら眺めた。

 清→明と来て、私はようやく自分が逆まわりしていることに気づいた。慌てて、正しい先頭位置に戻ると、待っていたのは、北魏時代の『灰陶加彩官人』像。やや大ぶり(50センチくらい)の陶俑で、すらりとしたプロポーションは百済観音に似ている。官人とあるけど、男性なのか? 後代の宦官が被るような縦に長い帽子を被り、無髭で、アルカイックな笑みを浮かべている。『灰陶加彩駱駝』もおもしろい。重たい荷物を載せているのに、ちゃんと四つ足で立っている。唐三彩の駱駝のように様式化する以前の、武骨だがリアルな造型である。

 そのほか、私の好きな磁州窯『白地黒掻落し牡丹唐草文瓶』(イセ文化基金、ちょっと焼きが粗い)や、耀州窯の名品『青磁鳳凰唐草文枕』(静嘉堂文庫)が見られて、満足。南宋官窯の『米色青磁』も面白い。青磁なのに、茶粥のような色をしているのだ。

 第2展示室は、文字どおり、手のひらに載るような「小品」を特集していて、これが抜群に面白かった。『青磁波濤文盤』は、琳派みたいに瀟洒だし、『五彩松竹梅文盤』は、白地の美しさが柿右衛門のようだ。『白地紅緑彩蓮魚文碗』は、赤いおさかなが目立って、子どものお茶碗そのままだが、実は磁州窯である。

 この数年、国内の中国陶磁は、けっこう熱心に見てきたつもりだったのに、知らない作品ばかりだなあ、と思ったら、実は半数以上が個人蔵なのだ。ありがたい展覧会である。有名美術館の所蔵品と違って、こうした作品は、なかなか拝む機会が少ない。

 これは、ぜひとも図録を買って帰ろう、と思ったのだが、売り場の見本には、非情にも「完売御礼」の文字。うーむ。みんな、考えることは同じか。むかし、大倉集古館で、個人蔵の仏像コレクション展が開かれたときも、図録売り切れで買い逃したっけなあ、と過ぎたことまで思い出して、二重に悔しがったのであった。
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罠の多い書物世界/書林の眺望(井上進)

2006-12-10 22:30:56 | 読んだもの(書籍)
○井上進『書林の眺望:伝統中国の書物世界』 平凡社 2006.11

 中国の書物が織りなす大森林を、時には鳥瞰し、時には樹木一本一本に近寄って細かく観察するなど、ざまざまな方法で「撫でまわしみた報告」である、という。

 分量としては、1点ものに焦点を絞った論考が多い。それも、三重県立図書館とか金沢市立図書館など、日本の地方図書館の有する漢籍が、多く取り上げられている。文章は平易なのだが、語られている事柄がマニアックなので、フツーの読者が着いていくのは、容易なことではない。私は半分くらいは読み飛ばしているが、それでも、いろいろ有用な知識の断片を聞きかじることができる。

 たとえば、日本には2、300年以上の歴史をもつ文庫がいくらでもあるが、中国ではほとんど絶無(例外は寧波の天一閣くらい)であること。死ねば蔵書が散逸するのが常であったために、「売るな」「守り伝えよ」と必死に訴える蔵書印が目立つ、とか。もとの印面を切り取って、裏から1字分だけ紙を貼り付ける修正法を「挖補(あつぼ)」という。中国の印刷本では非常に稀だが、雍正銅活字本の『欽定古今図書集成』にはこれが見られる、とか。

 長い出版文化を持つ中国では、書物は「文化財」であると同時に、早くから売買の対象であった。それゆえ、中国の書物には、さまざまな罠が仕掛けられている。著者が購入した『養一斎集』は、目録と巻数(13巻)が合っているので、完全本だと思ったら、目録末葉の裏は空白葉を張り合わせたもので、実は20巻本の一部でしかなかったそうだ。あるいは「剜改(わんかい)」といって、版木の一部を削り取って、文字を差し替えてしまう手法がある。これによって、たとえば、先人の著作に別の題名を冠して、自分の著作に見せかけ、さらに念を入れて当代の著名人の序文をせしめている書物もあるという。

 それほど悪質でなくても、封面や序だけを取り替えた後修本というのは、よくあることで、和刻本の清修本(返り点や送り仮名は削ってある)というのもあるそうだ。ひぇ~そんなものが!

 私は、漢籍の目録法というのが、西洋の近代的な目録法と違って、「原本に書いてあるとおりに転記する」ことを原則としないのが、素朴に不思議だったのだが、なるほど、こういう例があると分かると、機械的に転記しただけでは目録の体を為さない、ということが理解できる。専門家や有名大学の蔵書にも、刊行年代の判定を誤っているものは、多々あるらしい。

 もうひとつ、怖いと思ったのは、民国期までの影刻や影印では、補写や改字が当たり前だったということ。だから『四部叢刊』なども、テキストを鵜呑みにしてはいけないのだそうだ。 

 こういう罠を避けながら、中国古籍の林を渉猟するには、文献学(版本学)の知識と、テキストを読む力の双方が必要であると著者は説く。なかなか、専門家のようにはいかないけれど、肝に銘じておきたいものだと思う。
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