見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

応挙の『藤花図』再見/コレクションを未来へ(根津美術館)

2010-09-08 23:12:21 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 新創記念特別展 第8部『コレクションを未来へ 根津嘉一郎蒐集品と寄贈作品』(2010年8月21日~9月26日)

 新創記念特別展も第8部。まだやるか?という感じだが、これがいよいよ最後のようだ。本展は「コレクション形成の過程」をテーマに、初代根津嘉一郎の蒐集品と、その後、同美術館に寄贈された8つのコレクションから、特徴的な作品を紹介する。

 1年間にわたる特別展シリーズで、名品は出尽くしたような感もあるが、まだまだ。私が根津美術館の所蔵品中でいちばん好きな応挙の『藤花図』は、満を持しての登場である。自分のブログを読み返してみると、改装休館に入る直前の2006年5月『燕子花図と藤花図』で初めて見て、それ以来らしい。待ってたよおお。

 展示室1に入ってすぐ『藤花図』が目に入って、文字どおり、たじろいだ。ずっと面影の中の恋人に恋い焦がれていたのに、再会してみたら、自分が思っていたより、さらに美人だったみたいな感じ。やっぱり以前より、照明がいいんだろうな。今年5月に『燕子花図屏風』を見たとき、新しい根津美術館は、この屏風をいちばん美しく見せるために設計されたんじゃないか、と書いたが、『藤花図』にとっても同じだ。屏風の金地の、鈍く、重たい光が、内側からこぼれ落ちるような、贅沢無類の華やかさ。これは、印刷やネットの複製では再現不能!

 そして、その上を軽やかに舞う、墨書の藤蔓。天才フィギュアスケーターが氷上に描く軌跡みたいだ。複雑な重ね塗りで描かれた花房の、宝石のような美しさは、その最奥から金色が照り映えている所為なんだろうか。かつて京博は、曽我蕭白に「円山応挙がなんぼのもんぢゃ!」と言わせた(?)けど、この作品で応挙は「光琳・琳派がなんぼのもんぢゃ!」とひそかにつぶやいているような気もする。眼福。

 そのほかは、同美術館で見慣れた作品が多かったが、室町水墨画の小林中氏、肥前磁器の山本正之氏、古筆の植村和堂氏などの寄贈者が、それぞれ何者であるかを初めて知った。やっぱり一時代前の美術コレクターって、実業家が多いんだな。初代日本開発銀行総裁で「影の財界総理と称されるほどの実力者であった」小林中氏、キッコーマン株式会社社長の茂木克己氏、上野精養軒社長の福島静子氏、現ユニ金属を創業した卯里欣侍氏など。いま、ネットで調べながら書いているのだが、近年の寄贈者(=物故者)である山本正之氏(2000年没)は、丸西タイル(株)および丸西商商事(株)取締役社長であると同時に「タイル研究家」と紹介しているサイトも多い。植村和堂氏(2002年没)は純粋に「書家」と呼ぶべき人物であるようだ。

 本展によって、根津美術館が、さまざまな人々のコレクションを受け入れつつ、今なお成長を続けているということを初めて知り、感銘を受けた。たぶんそれは、根津嘉一郎がこの美術館に望んだ姿なのだろう。久しぶりに、2階ホールの片隅に控えめに立っている根津嘉一郎の銅像に近寄り、そっと挨拶して同館を後にした。
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「僕」からの贈り物/街場のメディア論(内田樹)

2010-09-07 23:38:55 | 読んだもの(書籍)
○内田樹『街場のメディア論』(光文社新書) 光文社 2010.8

 変な思い込みと笑われるかもしれないが、この国の将来に何ひとつ明るい兆しが見えなくて、むやみと閉塞感にとらわれる昨今、書店のワゴンに山盛りになった本書を見て、ああ、内田樹さんの読者がこんなにいるんだったら、まだ日本は大丈夫かもしれない、と思った。私にとって内田さんは、そんな「安心」を誘発する著者である。

 本書は「街場」シリーズの第4弾。内容は「キャリア論」→「メディア論」→「出版論」の3段階で展開する。どうして「キャリア論」に始まるかというと、本書のもとになった講義が、大学の「キャリア教育プログラム」の一環として(これからメディアの世界でキャリアを形成することを希望する学生を対象に)行われたためだ。

 著者のキャリア論のキーワードを拾っていけば、「キャリアは他人のためのもの」「自分の能力について(本)人は知らない」「呼ばれる声を聞け」等々である。聞いた学生はどう思ったかな。私は、自分の20年余りの社会人経験をふりかえったとき、これらの言葉はものすごく腑に落ちる。自己評価よりも他人の声を信じようと腹を括ることで、何度、危機を乗り切ったことか。しかし、いま政府の主導するキャリア教育が、全く正反対の方向を目指しているのはなぜなんだろう? 自己決定・自己責任で勝ち残った、という認識をもっている人がそんなに多いのかな。

 中間部の(マス)メディア論も、厳しいが読み応えがある。既存メディアの凋落はインターネットがもたらしたものではない。むしろメディア(ジャーナリズム)自身の「知的劣化」にこそ原因がある、と著者は言う。メディアは、とりあえず弱者(推定正義)の側に立つという「定型」で語り始める。しかし、その「定型」を見直すことができない。最終的な責任を引き受ける個人が不在のまま、メディア(インターネットも含めて)の「定型的文体」は暴走する。

 心に沁みたのは、「『どうしてもこれだけは言っておきたい』という言葉は決して『暴走』したりしません」という一節だった。「だって、外圧で潰されてしまったら、あるいは耳障りだからというので聴く人が耳を塞いでしまったら、もうその言葉はどこにも届かないからです」。そうだ。言われてみれば、大事な内容ほど、謙虚かつ慎重に言葉を選ぶという「マナー」を、私は確かに心得ていたはずなのに、いつから、大声で発言すれば済むと思いなすようになってしまったのか。このあたり、本書の特徴である「…と僕は思います」という文体が、新鮮で心地よかった。今やネットもマスコミも「名無し」ばかりで、明確な発言主体としての「僕」に出会う機会などめったにないから。

 さらに著者は、メディアの業病ともいえる「変化への固執」が、「変えないほうがよいもの」(社会的共通資本=教育、医療など)に与えた悪影響を指弾する。的確な言葉を選びつつも、言いたいことをはっきり言う姿勢に共感し、手に汗握りながら読む。

 ただ、最後の出版論は、私は著者と意見が合わなかった。書物は著者から読者への「贈り物」であり、電子出版による著作権の侵害を強く危惧する人は「本の読者」でなく「本の購買者」に関心を払い過ぎている、というところまでは同意。私は「読まない本は買わない」主義なので、そうそう、もっと真の「読者」に焦点を合わせた議論をしてほしい、と思った。ところが、著者は違っていて、電子書籍よりも紙の書籍が勝るのは、「読むアテがなくても書棚に並べておく→あらまほしき自分(理想我)を他人に示す」という効能がある点だ、という。いや、これは気づかなかったなあ…。そもそも私、書棚を持ってないし(読んだ本は積んでおくか段ボール箱の中)。読むアテのない書籍を大量に持っている人を見ると、何が目的なのか、全く理解できなかったので、眼からウロコだった。

 ところで、内田先生は、先だって「新刊の塩漬け宣言」をされたばかり。しばらく新刊が読めないなら、しかたないから内田先生のブログを読みに行く。でも私は、無料のブログより、対価を払っても書籍のスタイルで読みたいのだが。あと、こうして拙い読後感想を公開することも、私にとっては、著者に対する「感謝とリスペクト」の表現なのである。

※内田樹の研究室:ウチダバブルの崩壊(2010/8/13)
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クレオールの楽園/魔都上海(劉健輝)

2010-09-06 22:56:15 | 読んだもの(書籍)
○劉健輝『増補:魔都上海:日本知識人の「近代」体験』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2010.8

 本書は、2000年6月、講談社から同じ題で刊行されたというが、私の記憶にはなかった。文庫版を見て、はじめて本書の存在を知った。調べたら、選書メチエか(さすが)! しかし、近年は品切れ入手不可になっているらしかった。

 本書を見て、何より興味を掻き立てられたのは、「魔都」と言い、オビの「爛熟と流転の軌跡」あるいは「日本人の憧れ」と言い、いかにも使い古されたキャッチコピーではあるけれど、それが中国人の著者に使われていたことだ。巻末の解説に海野弘氏が書かれている「ようやく、中国人研究者による『魔都上海』が書かれるようになった。中国の現代史も世界史の中に開かれてきたことに、私はうれしいおどろきを感じた」という感慨を、私も瞬間的に嗅ぎ取っていたのである。

 本書は、幕末から明治、大正、昭和にかけて、「上海」体験、もしくは「上海」という存在が、日本人に与えた影響を丹念に解明しようとした労作である。幕末、上海は既に西洋列強の最前線だった。多くのサムライが、洋行の途上、上海で西洋文明の華やかさと資本主義(植民地主義)の苛烈さを目の当たりに体験した。また、上海をベースにした宣教師たちの出版活動は、日本にさまざまな情報をもたらした。1840年代の墨海書館では、牛の動力で活字の印刷機械をまわしていた、なんて話は初めて聞いた! 面白いなあ。

 「永遠の漂民」(著者)として生きた「にっぽん音吉」の物語も興味深く読んだ。日本という国が、国際感覚を得て戻ってきた日本人に冷淡なのは、どうも昔から変わらない気がする。また、幕末日本に多大な足跡を残した商人グラバーが、生涯、上海と深いかかわりを持ち続けたということも初めて知った。

 このように、幕末日本に西洋の情報を与え続けた上海であるが、明治維新以後、日本が西洋から直接、制度と文物を輸入するようになると、情報の中継地としての意味は急速に色褪せてしまう。しかし、列国の利害が複雑に入り込んだ上海には、「国民国家」の枠に収まらない「クレオール」な近代性があった。それゆえ、「国民国家」や「ナショナリズム」の統制に閉塞感を抱く日本人知識人の、格好の逃げ場となっていく。おお~。「租界」時代の上海を、単純に「国辱の歴史」とするのではなくて、こういう評価視点で語れる中国人研究者が現れたということに、私は強い感銘を受けた(私の感覚がもう古いのかしら)。

 上海に耽溺した日本人は多いが、その惹きつけられかたはさまざまである。「租界」の近代性には憧れても「県城」の伝統的空間を嫌悪した者もいれば、むしろ伝統的空間に郷愁を感じる日本人(永井荷風の父など)もいた。芥川は上海の「混沌」を徹底的に拒絶した(むしろ北京の「単純」さを愛した)が、横光利一に上海行きを勧めたのは芥川だという。このあたりの広汎で丹念な研究は、とにかく面白い。そして、その合い間に、日中ツーリズムの成立と進展、中国の月份牌に描かれた女性身体の解放=消費など、1冊で語ってしまうのは勿体ないような豊富な話題が詰め込まれている。

 けれども、半世紀以上にわたって「近代日本の離脱者」の憧れだった上海は、次第に「近代日本の追随者」に侵食され、戦争によって最終的に「内地」に抱き込まれてしまう。本書が描こうとした、近代日本の「他者」としての上海のスケッチは、これでひとまず終焉を迎える。

 最後の「補論」は、まことに慌ただしく、日本軍占領下→共産党中国→文革→80~90年代の上海の変貌をたどっているが、これは本当に「付けたり」に過ぎない。戦中、戦後、そして現在に至る(もしかしたら近未来までの)上海と日本の関係については、十分に想を練った著者の新稿に期待したいと思う。
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最後の棟梁/木に学べ(西岡常一)

2010-09-05 23:59:48 | 読んだもの(書籍)
○西岡常一『木に学べ:法隆寺・薬師寺の美』(小学館文庫) 小学館 2003.12

 単行本は1988年刊。けっこう有名な本だと思うけれど、有名すぎて読む機会を失っていた。先だって、小川三夫さんの『宮大工と歩く奈良の古寺』(文春新書、2010)を読んで、ああ、これは師匠の西岡常一さんの本も読んでみなければ、と思ったのだ。

 正直なところ、私には、小川氏の本のほうがとっつきやすかった。同氏は、高校生まで寺にも建築にも無縁に育ちながら、修学旅行で訪れた法隆寺に電撃的な感銘を受け、宮大工への道を選ぶ。これは印象深いエピソードだけど、もしかしたら自分の身に起きてもおかしくなかった、と思わせるところがある。しかし、西岡常一氏のように、代々法隆寺の大工をつとめる家に生まれ、小学校を出ると大工見習いとなり、祖父、父の仕事を継いで棟梁になる人生というのは…もはや私の想像を隔絶したところにある。だから、私はおそるおそる本書を読み進んだ。むかしの人は(というと失礼だけど)こんなふうに仕事を覚え、道具を扱い、後進に相対したのか、と思いながら。

 「むかしの人」と書いてしまったけれど、西岡棟梁の言葉に通底しているのは「職人」の誇りである。同氏が嫌うものは「学者」と「芸術家」。「学者というのは、ほんまに仕事という面から言うたら、どうにもならんもんでっせ」「今の人は、物まねをしてすぐに芸術家になりたがる。ちょっと人と変わったもん作ったら、自分は芸術家だと言いますわな」等の辛口の感慨がたびたび記されている。「職人」というのは、徹底して現場から考える(手と身体と経験から学ぶ)人々のことと言っていいだろう。それゆえ、彼らは議論を好まない。当然、最低限の言葉しか残さない。自分の仕事の耐用年数には細心の注意を払っても、自分の名前を残そうとはしない。

 ああ、私の憧れる「仕事」はこういうものだったはずなのに…「人と変わったもん」がもてはやされ、「プレゼン」「売り込み」「ディベート」能力なしには一人前と見てもらえない昨今、人が「職人」として生きられる空間は、どんどん小さくなっているように思う。

 いまどきの「ムダ嫌い」の政治家に読んでほしいと思ったのは、昔は民家でも社寺でも「(お金が)よけいにかかったというのが自慢でした」という話。予算よりも余計にお金を使うと「元を入れたな」とみんなが感心したものだという。もちろんこれは、施主も職人も、余計にかかったお金を自分のふところに入れるような不埒な真似はしないことが前提になっている。「安ければいい」という発想は、大量の使い捨てを生み、資源の無駄遣いを招いている、という指摘は全くそのとおりだ。

 また、昔は親方がよその親から見習いを預かったときは、「なんぼバカでも、十年かかろうが十五年かかろうが」独立して飯が食えるまで責任を負ったという。いまさらだけど、こういう社会のセーフティネットは、捨ててはいけなかったんじゃないのかな。成果主義や効率主義に反しても。

 さまざまな点で、今日の常識を見直す視点を提供してくれる本。あとがきを読んで、もとは1985-86年にアウトドア雑誌「BE-PAL」(あったな~そんな雑誌、と思ったら、まだ続いていた)に連載されたものと知って、ちょっと驚いた。意外な雑誌が生み出した企画だが、長く読み継がれていく価値のある証言である。
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