見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

「正義」よりも重いもの/「正義」を考える(大澤真幸)

2011-01-20 00:51:46 | 読んだもの(書籍)
○大澤真幸『「正義」を考える:生きづらさと向き合う社会学』(NHK出版新書) NHK出版 2011.1

 本書は単独で読んでも十分面白いし、マイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』の註解として読んでもいい。特にサンデルの著書が、なんとなく腑に落ちなかったという読者にはおすすめだと思う。

 冒頭には角田光代の小説『八日目の蝉』が紹介されている。八日目の蝉とは「なくてもいいはずの人生」の比喩だ。この小説が共感を読んだのは、現代人の多くが、自分の人生を、何のためにあるのか分からない時間(物語化されない人生)と考えているからではないか。このような問題認識を確認して、あるべき社会構想の検討に進む。

 以下、しばらくはサンデルの著書と同様に、古典的な政治哲学の検討が続く。最初は功利主義。しかし、功利主義は、常に一定の犠牲を必要とする。「最大多数の最大幸福」は絶対に成り立たず、「一定数の最大幸福」か「最大多数の一定幸福」に譲歩せざるを得ない。これに対して、幸福を道徳の規準とせず、自由を正義の普遍的条件とするのがリベラリズム。代表者はカント。しかし、普遍性を徹底すると、友人も殺人鬼も同等に扱わなければならなくなる(そうそう、この点についてサンデルの弁護は詭弁だよなあ)。

 次に登場するのがコミュニタリアン(共同体主義者)。著者によれば、サンデルはコミュニタリアンの立場に立つ政治哲学者なのだそうだ。ああ、なるほど。コミュニタリアンは、与件としての共同体こそが正義の条件であると考える。たまたま日本に生まれたからには、日本人として果たすべき義務と責任があると考えるのだ。しかし、これには、(1)他の共同体を批判する根拠が一切なく相対主義に陥る、(2)「われわれ」と「他者」の境界線が論理的でない、(3)共同体における物語の困難を克服できない、等の欠陥がある。

 ここで著者は、コミュニタリアンの助っ人、アリストテレスを参照する。しかし、うまくいかない。なぜなら、アリストテレスは、「資本」という現象が登場する以前の社会システムを前提にしているからだ。ここから、サンデルの著書をぐいと踏み出して、著者の独創的な思索が展開する。西欧における資本主義の成立過程を政治哲学的に解釈するもので、むちゃむちゃ面白い。ホッブズが「リヴァイアサン」で描いた社会のモデルは、清教徒革命以降の共和制的な社会なのではないか、とか、中国では反資本主義運動であった文化大革命が、伝統を打破することによって、資本主義的なイノヴェーションを可能にした(スラヴォイ・ジジェクの説)とか、やたらと刺激的な指摘が続く。

 さて、前章の興奮を鎮めるように、著者は意外な人物について短く語る。――イエスである。イエスはコミュニタリアンではないが、リベラリストでもない。では、イエスの原理とはいったい何か。

 再び、現代社会を特徴づける「資本主義」についての考察。高度化した資本主義社会において労働者は二極化し、研究開発や情報操作などの知的労働に携わる少数の人々は、多文化主義に接近する。対して、多数の周辺労働者は、宗教的原理主義やエスノナショナリズム(ネット右翼)に近づく。しかし、両者は、同じ空虚(普遍性)を取り戻したいという身振りなのではないだろうか。

 では、失われた普遍性はどうすれば取り戻せるか。著者の答えはこうだ。共同体において「何者でもない」と否定されることを介して、われわれは連帯することができるのではないか。回答の注釈として、もう一度参照されるのがイエスであり(放蕩息子の帰還、ブドウ園の主人)、エイミー・ベンダーの寓話的な小説『癒す人』である。この小説はいいな。傷を負うことで癒される、傷を通じて、狭い共同体の外への回路が開かれる寓話、とだけ述べておこう。

 私はふと、むかし読んだプラトンの『国家』を思い出した。作中人物のソクラテスは、さまざまな立場の最高善を掲げるソフィストたちを、次々に論破しまくる(サンデル教授みたいに)。ところが、「何が最高善なのか」という最後の問いに対しては「ひとつの物語をしよう」と言って、突如、子どものような寓話を語り始めるのだ。でも、私はこの美しい寓話(エルの物語)が好きだった。曖昧な回答と言うなかれ。明晰な論理、議論は大切である。でも「生きる」ことの最後の真実(それは「正義」よりも重いものだ)は、寓話によってしか語れないのではないかと思う。
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眼科医の眼力/ギッター・コレクション展(千葉市美術館)

2011-01-19 00:13:37 | 行ったもの(美術館・見仏)
千葉市美術館 開館15周年記念『帰ってきた江戸絵画 ニューオーリンズ ギッター・コレクション展』(2010年12月14日~2011年1月23日)

 米国ニューオリンズ在住のカート・ギッター博士と妻のイエレン女史の収集による、江戸絵画コレクションの里帰り展。ギッター博士(眼科医だそうだ)は60年代の日本滞在を機に、日本美術のコレクションを始めた。パネルの解説「1970年代から80年代にかけて、日本の市場には江戸絵画が大量に流通していました」という一文を読んで、冒頭の若冲や蕭白の優品を眺めると、感慨深い。80年代には(お金さえあれば)こんな作品を買うことができたのか。今ではかなわないだろうな…。

 若冲の、長方形と三角形の積み木を並べたような『寒山拾得図』には見覚えがあって、記憶をたどって、2007年の『日本美術が笑う』展に出品されていることをつきとめた。同展には、若冲の『達磨図』、南天棒の『達磨図』、白隠の『七福神図』なども、ギッター・イエレンコレクション(と図録に表記されている)から出品されている。蘆雪の『赤壁図』にも見覚えがあって、画像検索をかけたら、2009年、府中美術館の『山水に遊ぶ』がヒットした。「個人蔵」のキャプションつきで画像が掲載されてるが、これは同じものかどうか悩む。個人的に、妙に気になった作品は応挙の『達磨図』。流し目が色っぽい。

 ギッター博士は、あえて日本語を学ばず、自分の眼力だけで、このコレクションを築いてきたそうだ。その結果か、ギッターコレクションには、若冲、蕭白、応挙、蘆雪など、江戸絵画の(現在の)ビッグネームが揃っているかと思えば、徴翁文徳という、初めて聞く画家の『龍虎図』屏風も収められている。虎図は、うねうねした竹の節が、歪んだ空間をつくりだしているようにも見え、龍図の、大蛇のように長く伸びた龍の胴も面白い。破天荒な力強さが感じられて、江戸初期の作品?と思ったら、嘉永2年(1849)の年記あり。幕末モノである。

 紀楳亭、山本梅逸の繊細な花鳥図もよかった。地方の県立美術館で見たことがあるくらいで、印象の乏しい画家たちだったが、はじめて作品をいいと思った。谷文晁の『山水図』は総金地の大画面に書かれた豪快な水墨画で、この画家には珍しいのではないか。このほか、琳派あり、浮世絵あり、禅画あり。美術史の系統分野にこだわらない収集だが、品のある自然描写が多いことは、自ずとコレクターの趣味を反映しているように思う。貴重なコレクションが、2005年のハリケーン「カトリーナ」の被害をまぬがれて、本当によかった。
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忘れ去られる死者/故郷はなぜ兵士を殺したか(一ノ瀬俊也)

2011-01-18 00:09:31 | 読んだもの(書籍)
○一ノ瀬俊也『故郷はなぜ兵士を殺したか』(角川選書) 角川書店 2010.8

 いわゆる靖国問題では、国家による戦死者の顕彰が「国のための死」を強要した、と論じられている。しかし、兵士の苦難と死の顕彰を担ったのは、「国」ではなく、むしろ「郷土」だった。そこで、本書は、日露戦争(1905年)から1995年の戦後50年までの間、「郷土」がいかに兵士たちを拘束し、やがて見捨てていったのかを明らかにする。

 材料となるのは、戦前・戦後に各都道府県・市区町村が編纂した(したがって多少なりとも公的な)従軍者記念・顕彰誌と、前線兵士に送った慰問文・慰問誌である。著者は、これらの膨大な資料を時系列順に読み解いていく。

 日露戦争直後には、愛国的感情に基づく戦死者顕彰が盛んに行われたが、大正に入り、平和な時代が続くと、戦死者の記憶は次第に風化していった。だが、第一次世界大戦後、再び日清・日露戦争の記憶が、教育的意図をもって呼びもどされ、満州事変、日中戦争と続く戦争の中で、兵士の死や苦難の意味づけが与えられるようになる。具体的には、全国の市町村に「軍事援護」(兵士とその家族に対する経済的+精神的支援)を行う援護団体・銃後奉公会がつくられ、激励、慰問・慰霊活動が行われた。「地域」主導のこうした事業は、兵士と家族に対する「監視」、さらには、戦死の称揚と強制の役割を果たしていた、と著者は考える。

 しかし、戦争の長期化とともに「様式美」は綻び、戦争の意義は不明瞭化していく。そして訪れた敗戦。戦後の日本は、まず「礎」論(戦死者が礎となって、今日の平和が築かれた)によって死者を意味づけようとした。しかし、1970・80年代には「加害」の問題が無視できなくなり、90年代には、豊かな社会の実現とともに、戦死者への敬意は忘れられてしまった。「この時期の靖国神社問題に関する遺族たちの主張の底流には、このような戦死者を忘れ去った同時代社会への反感があると考えられる」という指摘は、重い。真面目に考えなければいけないことだと思う。

 しかし、結局「なぜ」戦死者は死ななければならなかったのか、という問いに、誰も答えられないまま、遺族は沈黙し、忘却を選んで(あるいは強いられて)いく。…というのが、おおよそ本書の描く見取り図であるが、面白いのは、どの時代についても、平板な整理に回収されない庶民の声が、多数収録されていることだ。特にそれは、子どもたちの作文について顕著である。

 「『満州国の地図は赤くぬってしまいたいですね』といったら先生は笑って、『さうはいかないのですよ。みんなは欲ふかだね』とおっしゃった」という作文は、図らずも日中戦争の目的がどこにあったかを伝えている。「こんどの支那とのせんそうで、戦死までして下さる兵隊さんを、ほんたうにありがたく思ひます」とあるかと思えば、「ニュースで支那の町が我空軍のため火災を起してゐるのを見ました。支那の子供達はほんとうにかはいそうだと思ひました」とも。いったい、前線の兵士たちは、どんな思いでこれらを読んだのだろう。また、戦後、全国から戦死者遺児の靖国集団参拝が行われたが、長崎市の女生徒は、嫉妬心むきだしの友達に「うちの父ちゃんも死ねば良かったとにね、東京に行かれるとに」とあてこすられている。子どもの価値観では、お国のための戦死より東京旅行のほうが、ずっと重大だったのだ。

 本書について難をいえば、「故郷はなぜ兵士を殺したか」というタイトルは、あまり適切でないような気がする。故郷は、確かに兵士に死を強いたかもしれない。でも、それが「なぜ」(何のため)だったかという問いには、誰も、本書でさえも、答えられていないのだ。その答えを求めずに読むのであれば、本書には、さまざまな考察の材料が転がっていて興味深い。
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没後400年 細川幽斎展(永青文庫)+iPadアプリ「細川家の名宝」発売

2011-01-16 23:50:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
永青文庫 冬季展示『没後400年 細川幽斎展』(2011年1月8日~3月13日)

 平成22年(2010)は、細川家初代・幽斎(藤孝、1534-1610)の没後400年にあたり、様々な展覧会や記念の催しが行われた。うん、春に東博で行われた『細川家の至宝』の圧倒的なボリューム感は、記憶に新しいところ。本展は、没後400年を記念する今年度最後の細川幽斎展だという。

 私はもともと日本史に弱くて、安土桃山時代は戦国三傑くらいしか知らない。この春、『細川家の至宝』展を見ながら、へえ~細川ガラシャって明智光秀の娘で、幽斎の息子の嫁なのか、と初めて認識したくらいのシロウトである。だが幸いなことに、この1年の間にマンガや小説で細川幽斎になじみが増し、会場の略年譜も、だいぶ理解できるようになった。

 展示の始まり近くに掲げられていたのは、足利義昭の和歌懐紙。今年の大河ドラマ『江』の第1回で、和泉元彌が怪演していたっけ。幽斎は、幕臣として義昭の将軍任官に奔走し、信長の助力を得るが、後に義昭と信長の対立が表面化すると、信長側につく。永青文庫には59通(!)の信長書簡が伝わるそうだが、本展には、その6通が展示されており、天正3年5月20日、長篠の戦い前日の日付を持つものもある。戦国時代が目の前によみがえってくるようで、くらくらする。

 細川幽斎筆『古今和歌伝授証明状案』も見どころのひとつ。このエピソードはすごいなあ。秀吉の死後、天下の情勢は次第に緊迫化し、幽斎の丹後田辺城は、石田三成方の西軍に包囲される。講和を拒絶し、討ち死を覚悟した幽斎は、古今伝授の講義の途中だった八条宮智仁親王に、伝授の証明書を進上する。展示は、幽斎の手許に残った写し(控え)で、原本は宮内庁書陵部に現存するそうだ。2ヶ月に及ぶ籠城戦の末、古今伝授が絶えることを惜しんだ後陽成天皇の勅命により、関ヶ原の戦いの2日前、講和が結ばれたが、包囲軍1万5千は関ヶ原の戦いに参戦することはできなかった。幽斎の反骨、一徹さと、引くところでは引くしたたかさが同時にうかがえて、興味深い。

 それにしても、天下分け目の大乱の時にあたって、詩歌の解釈の奥義が失われることを惜しんで講和するって、どういう人々なんだ、彼らは。私は「日本って特殊」と軽々しくいうことを好まないが、戦争と文芸がこんなふうに表裏一体を為す国って、ほかにあるのだろうか…。

 幽斎が、信長→秀吉→家康と天下の主に重用され続けたのは、和歌の知識・教養が、天下の掌握に欠くべからざる政治的有用性を持っていたからだ。これをつきつめると、日本の天皇制が持続してきた理由のひとつも、文芸(和歌)の尊重にあるのかもしれない、と思った。

 このほか、2階の展示室では、江戸時代の狂言面(能面より表情豊かで楽しい)、白隠とその弟子たちの書画、茶道具などを展示。徳川家康筆の和歌色紙は、どう見ても美しくないのがご愛嬌。

 同館には「季刊・永青文庫」という機関誌があって、ちょうど年4回の展覧会のカタログの代わりにもなっている。1冊300円というお手頃価格で、様々な記事が楽しめる。気になったニュースを2つ。ひとつは、iPadアプリ「細川家の名宝」が発売された。軽い気持ちで、ネットの情報を探したら、は、長谷雄草紙も入っている!! こんなこともあんなことも出来てしまうのか…詳しくは広告サイトの動画で。これは欲しい。もうひとつのニュースは、永青文庫の別館テラスにタヌキが出没しているとか。あんな都会の真ん中で?! いろいろと驚かせてくれる美術館である。
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エロスと食欲/文士の舌(嵐山光三郎)

2011-01-15 23:22:50 | 読んだもの(書籍)
○嵐山光三郎『文士の舌』 新潮社 2010.12

 出先で読む本が切れたので、手近の本屋に飛び込んで買った。家につくまでの30分ほど持てばいいので、肩の凝らない食道楽エッセイを選んだつもりだった。そうしたら、意外とズシリと腹にひびく読み応えだった。

 本書は、明治から平成までの作家24人が愛した料理店を、その名物料理とともに語ったもの。しかし、駆け出しのライターが、ネットでちょっと「取材」をして、「小説家○○のエッセイにも登場する名店○○のオムライス」とか、したり顔で書くグルメ記事とは、根本から趣きを異にする。著者は、おそらく取り上げる文士のことを徹底的に調べ、作品を読み尽くして「この一店」を選んでいる。だから、「この一店」「この一皿」は、文士が最期に食べた料理になることが多い。

 林芙美子は、「名料理店を食べ歩く」の取材で銀座の「いわしや」を訪れ、つみいれ、南蛮漬け、酢の物、いわしの蒲焼を食べ、そのあと別の鰻屋で、鰻の蒲焼と車海老を食べ、自宅に戻って、お汁粉を食べた。夜になって苦しみ出し、吐瀉して帰らぬ人となった。うらやましいほどの大往生である。

 三島由紀夫は、市ヶ谷の自衛隊駐屯地に乗り込む前日、鳥割烹「末げん」に「盾の会」の隊員4名とあらわれた。その2日前には家族を連れて来店している。「末げん」は三島の父が贔屓とし、家族団欒の思い出深い店だった。家族の記憶を断つために「盾の会」隊員との最後の晩餐が必要だったのではないか、と著者は推測する。

 永井荷風は、通い慣れた洋食店「アリゾナ」で昼食中に発病して歩行困難となり、自動車で市川の自宅へ帰った。2ヵ月ほどの病臥の後、孤独に没した姿を発見されたときは、吐いた血にまじって、近所の大黒屋で食べたカツ丼の飯つぶが散っていたという。

 文士と食欲といえば、正岡子規の『仰臥漫録』が思い浮かぶ。子規は病人だったので、旺盛な食欲が奇異に感じられて人目を引くのだが、だいたい文士という連中は、食べることに対する執着が、人一倍強いと見て間違いような気がする。食欲はエロス(生と性の欲望)に直結しており、エロスは文学の重要な源泉だった。少なくとも近代文学においては。

 斎藤茂吉の鰻好きは可愛らしく微笑ましいが、高村光太郎の大食いと愛欲生活になると、ちょっとまがまがしさを感じさせる。晩年にはようやく「野獣のような食欲」を飼いならしたようだけど。岡本かの子の「どぜう」談義も、鬼気迫るものがあって怖い。

 このほか、登場する文士は、谷崎潤一郎、川端康成、坂口安吾など。冒頭の「文豪」鴎外、漱石は別格として、そのあとは、いかにも「文士」と呼ぶにふさわしい顔ぶれで、「食」の話題以外にも、いろいろと興味深い人となりを知ることができる。特に老いて以降のエピソードが、いずれもいいなあ。昭和の「文士」遠藤周作、水上勉、山口瞳などになると、さらに編集者としてその謦咳に接した著者の思い出話が加わる。

 冒頭に各店の「この一皿」の写真つきだが、どれもフツーの料理にしか見えないところが味わい深い。
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2つの欲の間で/へうげもの(山田芳裕)

2011-01-15 10:55:14 | 読んだもの(書籍)
○山田芳裕『へうげもの』第1巻(2005.12)-第11巻(2010.7) 講談社

 古田織部を主人公にしたマンガがあるということには、第1巻の刊行当時から気がついていたのに、そのうち読もうと思っているうち、5年が立ってしまった(年寄りの感慨…)。今年の正月休みにまとめて読もうと思い立ち、書店に行ったら、11巻も出ていて慌てた。直接の動機は、この春からNHKでアニメ放映決定(→公式サイト)と聞いたためだが、よく調べたら、BSプレミアムじゃないか…見られない。

 マンガのほうは、もっと真面目な歴史モノかと思っていたので、はじめはギャグパートや、歴史の粉飾に戸惑った。3巻くらいまでは、なかなかノリについていけなかったが、馴染んでくると、やめられなくなって、一気に読み通してしまった。

 古田織部って、茶人・芸術家であると同時に、いっぱしの戦国武将だったんだなあ、というのは、あらためて教えられた。信長、秀吉、家康、光秀など、おなじみの武将たちが、おなじみの戦国ドラマを展開する中、彼らの隣人として、ときには戦場に生命をさらしながら、織部は生きていたのである。

 Wikiによれば、雑誌欄外のあらすじには、「これは『出世』と『物』、2つの【欲】の間で日々葛藤と悶絶を繰り返す戦国武将【古田織部】の物語である」と紹介されているそうだが、「武人の生き方」と「数寄者の生き方」の葛藤と言い換えることもできそうだ。そして、教科書的な歴史はあまり触れないことだが、戦国武将の大半は、この2つの人生の間で、ある者は悩み、ある者はバランスよく生きていたのではないかと思う。と、ここまで書いて思ったのは、いまのサラリーマンに「公(仕事)」と「私(趣味)」の2つの【欲】があることと、あまり変わらないかもしれない。私も、それなりの社会人人生の脇で、こうして読書と展覧会通いの欲を捨て切れずにいる。

 楽しいのは、同時代の芸術家たちが、次々に登場し、織部ら戦国武将たちと絡んで活躍することだ。戦国武将を主人公とする普通の歴史小説では、こうはいかない。登場してもチョイ役だろう。前半(織部の壮年期)には、千利休(宗易)、長次郎、長谷川等伯らが登場し、そろそろ中年を過ぎた現在は、岩佐又兵衛、本阿弥光悦が登場している。あ~なるほど、彼らの「世代差」って、こんな感じなのか、と実感する。織部、又兵衛、光悦が、便船を求めて朝鮮に渡るという10~11巻のエピソードには、荒唐無稽さに苦笑しながら、ひそかに快哉を叫んでしまった。続巻も楽しみである。
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名作揃い踏み/琳派芸術・第1部 煌めく金の世界(出光美術館)

2011-01-12 23:19:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 酒井抱一生誕250年『琳派芸術-光悦・宗達から江戸琳派-』第1部「煌めく金の世界」(2011年1月8日~2月6日)

 正直なところ、琳派には食傷気味なのである。まあでも、ちょっと寄ってみるかな、くらいの気持ちで訪ねたら、細見美術館、京都国立博物館など、他館(特に関西圏)からの出陳が多く、けっこうめずらしい作品を見ることができた。

 冒頭に、光悦・宗達による『蓮下絵百人一首和歌巻断簡』が3点並んでいる。1点目が水に浮かぶ蓮の葉を上から見たところ、2点目は開き始めの蓮の花、3点目ではもう花びらが散り始めている。解説によれば、もとは全長25メートルの一巻仕立てで、蕾→花→散りゆく蓮の盛衰を描いたものだそうだ。ネットで調べると、断簡の所蔵者としては、東博、MIHOミュージアム、昭和美術館などの名前がヒットする。「関東大震災で大半が焼失してしまった作品の焼け残り?だそうです」という記述も見つけた。ええ~本当なら、とても残念。全長の何分の一くらい残っているのだろう。

 展示品は1点目のみ出光美術館所蔵で、あとは「個人蔵」とあった。出光の所蔵品は、2009年の『文字の力・書のチカラ』展などで、私は何度か目にしているはずだが、印象が薄い。やはりこの作品は、葉→蕾→花という変化があってこそ、魅力を放つ。そう思うと、今回、個人蔵2点と組み合わせて見ることができて、本当によかった。なお、書かれていた和歌は、1点目が「浅茅生の(参議等)」「忍ぶれど(兼盛)」「恋すてふ(忠見)」の三首。2点目は二条院讃岐、3点目は家隆だったと思う。光悦は、定番の順序を崩さずに書いているようだ。

 隣りも光悦・宗達で『花卉摺絵古今集和歌巻』。巻初から巻末まで全公開。視点を移動するにつれて、料紙の内側から金砂子が浮き上がってくるように見えた。

 光悦・宗達コンビはさらに続く。反対側の壁面は扇面図づくし。『月梅下絵和歌書扇面』(金銀の片身替わりふうに白梅を配す。金色の月は少し欠けたところだろうか)『萩薄下絵和歌書扇面』(もとは全面が銀? 白い薄、朱色の扇子の骨)は、あまり記憶にないなと思ったら、京都・細見美術館からの出品だった。以下、宗達(工房)作と思われる同形の扇面図が4点続く。さらに、金地に扇面を描いた(貼り付けではない)屏風、振り返ると、金銀泥(銀色が目立つ)の扇面散貼付図屏風。扇面図は宗達工房の「主力商品だった」という解説に納得する。なお、さりげなく周辺に置かれた京焼の茶碗や皿も扇面文を選んだ心遣いがにくい。

 次室は金屏風特集。宗達の『月に秋草図屏風』は、花数が少なく(ほとんど薄と白萩のみ)茫洋と広がる金色の空白が、寂しさと華やかさを同時に感じさせる。京博から出品の『草花図襖』は、数ある同趣の屏風絵・襖絵で、私のいちばん好きな作品。それに次ぐのが根津美術館の、ちょっと小ぶりの『四季草花図屏風』だが、この2点を並べて眺めるのは、初めてじゃないかしら。

 さらに次の部屋に写って、うわ!と歓喜の声をあげそうになったのは、水墨画のコーナーに、出光所蔵の宗達筆『龍虎図』(ドラえもんのように丸顔のトラ)と、京博の光琳筆『竹虎図』が出ていたため。寅年は終わったのに、お前たちに会うことができてうれしいよ~。

 光琳筆『紅白梅図屏風』は、左隻にテーマの紅白梅が描かれているのだが、右隻は、何もない金色の空間を空けて、右隅にちょろりと白梅の枝がのぞいている。左隻だけでも絵になるが、左右が並ぶとまた味わいが異なる。

 光琳は、京博の『太公望図屏風』に加え、個人蔵『白楽天屏風』も、という豪華ラインナップ。よくぞ揃えてくれました。『白楽天屏風』の解説を読んだら、これは謡曲「白楽天」を踏まえ、唐の太子の勅命で、日本人の知力を試しに乗り込んできた白楽天を描いているのだそうだ。なんと、そんな日中対決の緊迫した場面だったのか。土石流のように激しく波立つ茶色い海面は、実は筑紫近海(そんなところまでw)。龍頭の魁偉な舟に威儀を正して座す白楽天に対して、波間にただよう粗末な小舟、つんつるてんの単衣の老漁夫が、実は住吉明神(和歌の神様で、航海の神様)で、問答の末、大詩人・白楽天を唐土へ吹き返してしまう。そう聞いて、この絵を見ると、ずいぶん印象が違うと思った。
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なつかしい風景/日本の古人形(日本民藝館)

2011-01-11 23:43:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
日本民藝館 特別展『日本の古人形-三春・鴻巣・堤など-』(2011年1月9日~3月21日)

 白壁が美しい、蔵造りふうの日本民芸館は、新春が似つかわしい美術館だ。重たい引き戸をがらがらと開けると、年始客になったような気がする。玄関ホールの壁には、城郭を描いた幟旗(のぼりばた)。展示ケースには華やかな色絵磁器。まずはめでたい。

 2階の大展示室では、郷土色豊かな古人形を紹介する展覧会を開催中。これも初春にふさわしい企画だと思った。製作されたのは江戸後期から江戸末期、と貰ったパンフレットにいうが、「明治時代」というキャプションのついたものもいくつか見た。大きさは15~20センチそこそこ。30センチを超えるような大きなものはほとんどなかったと思う。題材は、童子、官女、恵比寿や大黒、天神などの福神、和藤内や錦祥女、弁慶牛若など歌舞伎や謡曲を題材にしたもの、等。

 そう言えば、むかし、祖母の茶箪笥(なつかしい言葉だ)の上の人形ケースにも、こんな郷土人形がたくさん並んでいたような気がする。私の育った家だけではなくて、叔父叔母の家にも、もちろんもっと商業ベースでつくられた戦後の郷土玩具ではあったが、似たような人形がいくつかは必ず飾ってあった。今回の企画は、美術館の展示というよりも、そんな私的な記憶を刺激される展示である。展示ケースのいちばん下の段は、たぶん小さな人形を飾ると見にくいという配慮だろう、化けそうな朱の盆、螺鈿の飯櫃(!)などが並んでいる。そうした雑器と人形の共存ぶりが、いっそう、家庭の匂いを感じさせる。

 ひとまわりした後、中央のテーブルに置かれた『民藝』のバックナンバーで、古人形についての解説を探して読む。昭和58年4月号の「俵有作氏に聞く」が面白かった。伏見人形のような「上手」の人形は別として、「日本の土俗的な人形のトップクラスは東北である」という。三春人形(福島県)、堤人形(宮城県仙台)、相良人形(山形県米沢)など。鴻巣人形(埼玉県)も東北のうちかな。その穏やかで晴れ晴れした美しさは、住んでいる人々の心の反映ではないか。九州の郷土人形は、ずっと荒っぽい、など。

 鴻巣人形が、布や紙を貼った、雛人形に近いつくりであることはすぐ分かったが、三春人形が張り子だというのは、解説を読むまで気づかなかった。確かに張り子人形は、土人形に比べて躍動感ある造型が可能である。その最たるものは、大展示室の外、2階の階段裏にあった白拍子人形だろう。片膝を高く上げ、微かに小首を傾げた愛らしさには、思わず恋に落ちそうである。ただ、どちらかといえば、私の好みはモコモコした土人形(相良人形など)。「熊抱き」「狆抱き」「亀抱き」など、小さな人形にさらに小さなものを抱かせた造型が好きだ。

 江戸時代の羽子板7点も面白かった。奈良絵を思わせる稚拙な筆なのに、背景に金の箔押しを使っていたり、多数の人物を複雑な構図で描こうとしていたり、色数も多く、ムダに(?)豪華なのである。

 なお、いつの間にか、ホームページがリニューアルして、特別展以外(併設展)に何が出ているかもあらかじめチェックできるようになった。今期のおすすめは「旗指物と諸将旌旗図」、および「日本の彫刻」の部屋に展示の『十王図』。怖いんだか怖くないんだか…の地獄図が愉快である。ミュージアムショップも、スッキリして買い物がしやすくなって、うれしい。
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博物館に初もうで2011+本館リニューアル(東京国立博物館)

2011-01-10 21:38:33 | 行ったもの(美術館・見仏)
 今年も東京国立博物館(トーハク)に初詣。いや、すごい人出でびっくりした。本館のコインロッカーの空きを探すのに苦労したくらい。結構なことである。

■本館特別2室 新春特別展示『博物館に初もうで 美術のなかのうさぎと国々のお祝い切手』(2011年1月2日~1月30日)

 しかめつらしい顔が、あ、雪村の鷹だ!と感じさせる雪村周継筆『鷹山水図屏風』。実は岩陰に野ウサギが身をひそめているのだが、あまりにも気配を消し過ぎていて、そのことに気付かないで通り過ぎていく観客が多かった。宗達の『兎桔梗図』は、薄墨を塗り残した白ウサギが愛らしい。前田家伝来、明時代の『濃萌黄地花兎文金地金襴裂(こきもえぎじはなうさぎもんかなじきんらんぎれ)』について、耳の長い神獣は麒麟(?)なのに、ウサギ好きの日本人は、これを「兎文」と呼んだ、という説明が面白かった。そうか、日本人はウサギ好きなのか。

■総合文化展+本館リニューアル記念特別公開(2011年1月2日~1月16日)

 2011年1月より本館平常展が一部リニューアル。これからは平常展と呼ばず「総合文化展」と呼ぶのだそうだ。そして、「本館のリニューアルを記念して、東博(トーハク)の所蔵作品のなかから選りすぐりの名品を期間限定で公開します」とホームページではうたっているが、雪舟の『秋冬山水図』にしても、光琳の『風神雷神図屏風』にしても、東博の平常展に通い慣れた身には、おなじみのラインナップで、あまり食指が動かない。

 よかったのは『時代不同歌合絵』(鎌倉時代)。時代の異なる歌人を番わせた「ありえない」歌合という着想が面白い上に、会ったこともない歌人の顔かたちを、精緻な白描で、それらしく写実的に描いているのが面白い。室町時代の『打毬図』にも驚いた。日本にもこんなのがあるのか、と。馬には乗らない、徒歩打毬の図だった。

 『尊海渡海日記屏風』は、裏(日記)も表(瀟湘八景図)も何度か見たことがある。今回は裏(日記)の展示。「釜山」「梁山」「慶州」「安東」などの地名を見つけて、へえーソウルまで、こんな道筋を通ったのか(私の韓国ツアーみたいだ)と思いを馳せる。「接待」「引出物」の文字が頻出。日記とは別条に「高麗之内裏之額之次第」が書きつけてあることにも気付いた。

 江戸の書画では、若冲の『松梅群鶏図屏風』を久々に見たような気がする。隣りの『風神雷神図』より、やっぱりこっち。あと、『風神雷神図』の向かい側のケース(中央列)に、白隠の『粉引歌』(お婆々どの粉引歌)が
あって、熱心な観客たちを背中に、飄々と粉を引いている風情なのが可笑しかった。

 リニューアルの核心は、1階12・13室の日本工芸の展示構成と展示ケース。なるほど、12室(漆工)は、部屋全体を以前より暗くし、作品に集中することができるようになった。私は、こういう今どきの展示方法は、必ずしも好きではないのだが、蒔絵や螺鈿の魅力は引き立つ。伝・本阿弥光悦作『舞楽蒔絵硯箱』は、光線の具合で、青緑色の宝石のように輝く貝片があって、夢のようだった。

 本館16室(歴史資料)は、シリーズ「歴史を伝える」の特集陳列『暦と干支』。渋川春海編『日本長暦』と高橋景保編『続日本長暦』の写本が出ている。筆跡は別人なのだろう。
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禅文化のモダンを伝える/墨宝 常盤山文庫名品展(根津美術館)

2011-01-10 00:04:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 特別展『墨宝 常盤山文庫名品展』(2011年1月8日~2月13日)

 新春で一番楽しみにしていた展覧会なので、いそいそと出かけたら、拍子抜けするほど空いていた。日本美術ブームと言っても、やっぱり仏像とか江戸絵画でないとダメなんですかねえ。

 実業家・菅原通済(1894-1981)が集めたコレクションを所蔵する常盤山文庫は、1942年(昭和17年)鎌倉山に創設されたが、1982年(昭和57年)から防災上の理由により公開を停止。Wikiによれば「2010年(平成22年)現在、収蔵品は移され(もしくは売却され)、建物は廃屋となり売却にだされている」そうだ。 根津美術館が常盤山文庫を取り上げるのは初めてではないはず、と思って調べたら、2003年に鎌倉常盤山文庫創立60周年を記念して、特別展『菅原通濟 粋美の世界』を開催している。たぶん見に行って、このとき初めて「常盤山文庫」という名前を知ったように思う。2005年の『墨蹟と中世漢画-常盤山文庫・根津美術館の名品-』も見ているが、まだ全然、墨蹟も水墨画も、正直なところ、どう見ればいいのか、分からなかった頃だ。

 今回は、会場に入ると最初の壁面、(右)『拾得図』(左)『寒山図』の対福、『送海東上人帰国図』、『寒山図』をさっと見て、あ、これとこれは見たことがある、と瞬時に気づく。筆を前方(画面右)に突き出すような仕草の『寒山図』は、静嘉堂文庫美術館の所蔵品。2009年の『筆墨の美』展で見ている。常盤山文庫所蔵の『拾得図』は、画面左に向けて、開いた経巻を差し出している。よく見ると、身体の向きは正対しているのに、両者の衣の裾や袖口が、同じ向きに翻っているのが面白い。画家の名前は分からないが、賛(虎厳浄伏)の文字が、なるほど同一人である。

 『送海東上人帰国図』は、たぶん根津美術館で何度も見ているので、あれ、常盤山文庫の所蔵品だったか、と認識をあらたにする。帰国する日本人僧侶に、中国の友人たちが贈った送別の寄せ書きだが、この上人が誰を指すかは判明していないのだそうだ。帰国に際して贈るわけだから、あらかじめ用意された画幅なのだろうが、大洋に漕ぎ出していく心細げな小舟(誰か船端に立っているように見える)と、岸辺で最後まで名残りを惜しむ人々の姿が、あたかも実景のように真に迫っていて、ちょっと泣ける。

 続く『寒山図』は、荒々しい線が魅力的な作品。伝・可翁筆。次の『竹鳩図』は、今回いちばん気に入った作品。薄墨で塗りつぶされた画面が、雨の近そうな重たい空気を表し、不興顔の鳩が竹の枝でうずくまっている。賛が何もないのも清々しくてよい。伝・牧谿筆。

 少し進むと、展示ケースの中に茶室の床の間を再現し、伝・趙昌筆『茉莉花図』が掛けてあった。おーこれか! 2/1からは、李安忠筆『鶉図』(国宝)に入れ替わるはずで、それまで待とうかと思ったのだが、待ち切れずに来てしまった。でも『鶉図』は何度か見ているので、こっちでよかった。茉莉花(ジャスミン)のぽってりした白い花に豊かな緑の葉(裏と表の色が違う)を取り合わせた姿は、写実的だが、垢ぬけた感覚がある。隣りの違い棚に並んだ青磁碗、黒漆の天目台、堆朱の合子など、わび過ぎない、スッキリした取り合わせともよく似合っている。

 それから墨蹟であるが、今回は、南宋の禅僧・無準師範の流れを組む禅僧で構成したという。冒頭に無準師範の『巡堂』ニ大字が掲げられていて、素晴らしくいい。「巡」の三つ点がいい。いや、シンニョウがいいのかな。これは文字通り「諸堂を巡る」の意味で、何かの行事の看板を貰ってきたのだろう、という。同じような話を聞いたことがあったなあ、と思って調べたら、五島美術館の『茶道具の精華』で見た「茶入」、これも無準師範の筆だった。同書には東福寺伝来を示す「普門院」の朱印あり。

 展示の墨蹟は「緑陰」「重陽」「梅花」など、文人的な主題で書かれたものが多く、比較的親しみやすかったように思う。当時の禅僧って、宗教者であると同時にとびきりの文化人だったんだな。イチ押しは、清拙正澄の『遺偈』(絶筆)。冒頭の三字を取って「毘嵐巻」とも「棺割の墨蹟」とも呼ばれる(※この逸話、ちょっと怖い→展覧会情報)。「斗」「神」「牛」の並んだ縦棒が気持ちよくて好きだ。

 隣室も常盤山文庫所蔵の日本絵画。3階は、鍋島と「初春を祝う茶」のしつらえが、けっこう好みだった。
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