いよいよ秋の展覧会シーズン開幕。今年は、9月、10月、11月と1回ずつ上洛の予定を立てている。この三連休は京都と大阪を周遊してきた。初日にまず訪ねたのがここ。泉屋博古館の仏教美術をテーマにした展覧会は久しぶりではないかと思う。もしかすると平成20年秋季展『仏の形、心の姿』以来ではないかしら。
個人的に最も面白かったのは、金銅仏の充実した展示である。冒頭のパネルに、中国の金銅仏は西方様式の受容、それを咀嚼した中国独自様式の創造、そして新たな西方様式の受容による西方回帰という流れをたどる、という大まかな見取図が提示されており、確かにそれを実感することができる。いま展示を見終わって、図録の「総説」を読むと、さらに詳しい様式の変遷が理解できて興味深い。
中国仏教美術の黎明期である五胡十六国時代(4-5世紀前半)には、両肩を覆う通肩の衣、両手を胸前で合わせ、台座両脇に獅子を配する小坐仏(古式仏)が多数製作された。いかにも素朴な造形で、安物のチョコレートの人形を思い出す。北魏が華北を統一すると、太和年間(5世紀後半)には太和仏と呼ばれる、インドグプタ様式を規範とした仏像が製作された。泉屋博古館の弥勒菩薩立像は大好きな仏像。燃え上がる焔のような舟形光背を背に、長身の弥勒仏が両足を開きめに踏ん張って立つ。鼻がつぶれたように見えるのに対し、目と口ははっきりと大きく、特に口は歯を見せて笑っているように見える。台座に供養人と鳥(?)が線刻されているのだが、マンガのようでかわいい。
これに加えて、なんと根津美術館から釈迦多宝二仏並坐像が来ていた。あらためて見ると、二仏とも表情が穏やかで、右の釈迦仏(?)が左の多宝仏の肩に手を当てて「よしなさい」ってツッコミを入れてるみたいでかわいい。台座に線刻された供養人の一人は完全な胡服。
北魏後半(6世紀前半)には急激な漢化政策を反映し、中国式の分厚い衣をまとった細身の仏像が作られるようになる。この時期の作例は展示されていなかった。北斉(6世紀半ば以降)には、再び西方からの強いインパクトがあり、インド仏と見紛うほどの肉感豊かな像が唐突に出現する一方、西方様式と北魏後期様式という両極の様式の間で、試行錯誤を繰り返しながら、唐の古典彫刻が生み出される。
北斉時代の如来立像(個人蔵)は高さ60cm近い金銅仏で、まずその大きさに驚いた。装飾性の少ない、写実的な肉体を感じる。類例を見たことがないので時代性のよく分からない不思議な作。唐の金銅仏はみんな美しいなあ。菩薩像が多く、華やかな宝冠、瓔珞、天衣などが、引き締まった細身の肉体を何重にも飾る。そういえば宮女俑と違って、盛唐でもそんなにふくよかな菩薩像は作られないのだな、と思った。8世紀の菩薩半跏像について「やや肥満気味」という解説がついていたけど、いや腰はくびれてるのに!とちょっと憤慨した。
根津美術館から、燭台みたいな七連仏坐像と銅板打ち出しの五尊仏坐像が来ていた。大和文華館の如意輪観音菩薩坐像は記憶になかった。六臂の如意輪観音は、中国彫刻では非常に珍しいのだそうだ。同じく大和文華館から来ていた大日如来板仏は、屋根の下に嵌め込まれた銅板で、大きめの大日如来と、その周囲を小坐仏が取り囲む図を表す。そして、泉屋博古館コレクションの中でも好きな仏像、雲南大理国の観音菩薩立像。やっぱり遼(契丹)があって、雲南があるのはいいなあ。
また、朝鮮半島の金銅仏も数点。さらに中国の鍍金・獅子像や鍍金・有翼獅子像も可愛らしかっった。朝鮮・三国時代(7世紀)と記された菩薩半跏思惟像(八瀬・妙傳寺)は50cmを超える大型の銅仏で、宝冠や瓔珞など精密で手の込んだ装飾が施されている。写真は本展のポスターにも使われている。あとで展示室外のパネル(新聞記事)を読んだら、江戸時代の仏像と思われていたが、最近、専門家の調査の結果、7世紀の渡来仏であると分かったものだという。そういえば、このニュース、見たかもしれない。
※参考:観仏日々帖「トピックス~模古作とされていた京都妙傳寺の小金銅仏、実は古代朝鮮仏と判明?」(2017/1/21)
後半、日本の仏画と仏像も見ごたえがあった。平安時代の毘沙門天立像と鎌倉時代の毘沙門天立像が並んでいて、鎌倉のほうが慶派らしい端正なイケメンなのだが、ちょっと武骨な平安後期の作も味があってよいと思う。なぜか奈良博から地蔵・龍樹菩薩坐像のペアがいらしていた。阿弥陀・観音・勢至の三尊にこの二尊を加え、阿弥陀五尊とする形式があったという。仏画では南北朝時代の『紅頗梨色阿弥陀如来像』が妖しく美しい。よく見ると、まるで女性の下着のように優美繊細な瓔珞と法衣をまとった阿弥陀様である。よいものを見せてもらった。