見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2018年9月@関西:仏教美術の名宝(泉屋博古館)

2018-09-17 23:48:56 | 行ったもの(美術館・見仏)
泉屋博古館 特別展『仏教美術の名宝』(2018年9月8日~10月14日)

 いよいよ秋の展覧会シーズン開幕。今年は、9月、10月、11月と1回ずつ上洛の予定を立てている。この三連休は京都と大阪を周遊してきた。初日にまず訪ねたのがここ。泉屋博古館の仏教美術をテーマにした展覧会は久しぶりではないかと思う。もしかすると平成20年秋季展『仏の形、心の姿』以来ではないかしら。

 個人的に最も面白かったのは、金銅仏の充実した展示である。冒頭のパネルに、中国の金銅仏は西方様式の受容、それを咀嚼した中国独自様式の創造、そして新たな西方様式の受容による西方回帰という流れをたどる、という大まかな見取図が提示されており、確かにそれを実感することができる。いま展示を見終わって、図録の「総説」を読むと、さらに詳しい様式の変遷が理解できて興味深い。

 中国仏教美術の黎明期である五胡十六国時代(4-5世紀前半)には、両肩を覆う通肩の衣、両手を胸前で合わせ、台座両脇に獅子を配する小坐仏(古式仏)が多数製作された。いかにも素朴な造形で、安物のチョコレートの人形を思い出す。北魏が華北を統一すると、太和年間(5世紀後半)には太和仏と呼ばれる、インドグプタ様式を規範とした仏像が製作された。泉屋博古館の弥勒菩薩立像は大好きな仏像。燃え上がる焔のような舟形光背を背に、長身の弥勒仏が両足を開きめに踏ん張って立つ。鼻がつぶれたように見えるのに対し、目と口ははっきりと大きく、特に口は歯を見せて笑っているように見える。台座に供養人と鳥(?)が線刻されているのだが、マンガのようでかわいい。

 これに加えて、なんと根津美術館から釈迦多宝二仏並坐像が来ていた。あらためて見ると、二仏とも表情が穏やかで、右の釈迦仏(?)が左の多宝仏の肩に手を当てて「よしなさい」ってツッコミを入れてるみたいでかわいい。台座に線刻された供養人の一人は完全な胡服。

 北魏後半(6世紀前半)には急激な漢化政策を反映し、中国式の分厚い衣をまとった細身の仏像が作られるようになる。この時期の作例は展示されていなかった。北斉(6世紀半ば以降)には、再び西方からの強いインパクトがあり、インド仏と見紛うほどの肉感豊かな像が唐突に出現する一方、西方様式と北魏後期様式という両極の様式の間で、試行錯誤を繰り返しながら、唐の古典彫刻が生み出される。

 北斉時代の如来立像(個人蔵)は高さ60cm近い金銅仏で、まずその大きさに驚いた。装飾性の少ない、写実的な肉体を感じる。類例を見たことがないので時代性のよく分からない不思議な作。唐の金銅仏はみんな美しいなあ。菩薩像が多く、華やかな宝冠、瓔珞、天衣などが、引き締まった細身の肉体を何重にも飾る。そういえば宮女俑と違って、盛唐でもそんなにふくよかな菩薩像は作られないのだな、と思った。8世紀の菩薩半跏像について「やや肥満気味」という解説がついていたけど、いや腰はくびれてるのに!とちょっと憤慨した。

 根津美術館から、燭台みたいな七連仏坐像と銅板打ち出しの五尊仏坐像が来ていた。大和文華館の如意輪観音菩薩坐像は記憶になかった。六臂の如意輪観音は、中国彫刻では非常に珍しいのだそうだ。同じく大和文華館から来ていた大日如来板仏は、屋根の下に嵌め込まれた銅板で、大きめの大日如来と、その周囲を小坐仏が取り囲む図を表す。そして、泉屋博古館コレクションの中でも好きな仏像、雲南大理国の観音菩薩立像。やっぱり遼(契丹)があって、雲南があるのはいいなあ。

 また、朝鮮半島の金銅仏も数点。さらに中国の鍍金・獅子像や鍍金・有翼獅子像も可愛らしかっった。朝鮮・三国時代(7世紀)と記された菩薩半跏思惟像(八瀬・妙傳寺)は50cmを超える大型の銅仏で、宝冠や瓔珞など精密で手の込んだ装飾が施されている。写真は本展のポスターにも使われている。あとで展示室外のパネル(新聞記事)を読んだら、江戸時代の仏像と思われていたが、最近、専門家の調査の結果、7世紀の渡来仏であると分かったものだという。そういえば、このニュース、見たかもしれない。

※参考:観仏日々帖「トピックス~模古作とされていた京都妙傳寺の小金銅仏、実は古代朝鮮仏と判明?」(2017/1/21)

 後半、日本の仏画と仏像も見ごたえがあった。平安時代の毘沙門天立像と鎌倉時代の毘沙門天立像が並んでいて、鎌倉のほうが慶派らしい端正なイケメンなのだが、ちょっと武骨な平安後期の作も味があってよいと思う。なぜか奈良博から地蔵・龍樹菩薩坐像のペアがいらしていた。阿弥陀・観音・勢至の三尊にこの二尊を加え、阿弥陀五尊とする形式があったという。仏画では南北朝時代の『紅頗梨色阿弥陀如来像』が妖しく美しい。よく見ると、まるで女性の下着のように優美繊細な瓔珞と法衣をまとった阿弥陀様である。よいものを見せてもらった。
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サルスベリの街路樹

2018-09-15 05:36:18 | なごみ写真帖
9月も中盤。東京は急に涼しくなって、夏が遠のいた感じがする。

去り行く夏を惜しんで、先月、上野駅近くで見たサルスベリの街路樹の写真を上げておく。





このゴージャス感。私はサルスベリを見ると、中国の夏を思い出すのだ。

※三連休は関西へ。
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播州清水寺と朝光寺を中心に/神仏人 心願の地(多摩美大美術館)

2018-09-14 21:56:28 | 行ったもの(美術館・見仏)
多摩美術大学美術館 加東市×多摩美 特別展『神仏人 心願の地』(2018年9月1日~10月14日)

 多摩美の美術館に行くのは2回目である。前回は2014年の年末で、北海道から帰省した折に立ち寄った。『祈りの道へ-四国遍路と土佐のほとけ-』という、やはり地方仏の展示で、たいへん感銘を受けた。今回、取り上げるのは兵庫県加東市。兵庫県の中心からやや南東、浄土寺のある小野市の北に位置し、一帯は、古来ひとつの文化圏を形成してきたと言われている。大きな観光名所があるわけではないが、古代史好きを惹きつける地域で、私は西国札所の播州清水寺には2回、参詣している。

 展示の第1室は、江戸時代の『播磨国風土記』写本に加え、土器、勾玉、小さな土人形、銅鏡、瓦など、多様な出土資料が並ぶ。鎌倉~南北朝の『釈迦十六善神図』(花蔵院)、江戸時代の『熊野観心十界図』も面白かった。『釈迦十六善神図』は劣化が進み、よく見えなかったが、玄奘三蔵の姿が古様で、南都との関連性が指摘されているそうだ。確かに播磨は、法隆寺とか元興寺とか、奈良の寺社とかかわりが深い地域なのである。仏像は、ボリュームのある木造地蔵菩薩立像(東古瀬地区)ほか、平安時代の古仏が数体並んでいた。いずれもお顔に個性があるのが、地方仏の魅力である。私が気に入ったのは、室町時代の小さな(30cmくらい)木造仏。自分のものにできるなら、念持仏として所有したい。阿弥陀如来坐像と薬師如来坐像の2躯で、目鼻や光背の文様が筆で描き込まれているのが素朴で面白い。墨と朱と胡粉が使われている。

 第2室は大型スクリーンで加東市の祭りと芸能を紹介。恐ろしい仮面をつけ、長い鉾を構えた、等身大の舞人の人形が飾られていたが、これは上鴨川住吉神社の神事舞「リョンサン」だという。もしかして「リョンサン」は「陵王」なのだろうか? ほかにも鎌倉~室町の神事舞の面や追儺の鬼面が出ていた。

 2階の第3室へ。入口に「御嶽山播州清水寺」の文字を見つける。バナーには、緑なす山の頂にある寺院を、はるか上空から撮影した写真が使われていた。懐かしい。少なくとも私が参詣したときは、1日2本のバスしか通っていなかったお寺だ。どんな仏像があったかは、実はよく覚えていない。会場で、まず惹きつけられたのは、木造大日如来坐像(鎌倉時代)。運慶の円成寺の大日如来を思わせる。五智如来の中尊だそうだ。透かし光背は美麗だが後補。「横から見たところもいいんですよ!」とスタッフらしいお兄さんに声をかけられ(確かによい)、部屋の中央の銅造菩薩立像(白鳳時代)についても「加東市最古の仏像です!」と得意そうに教えてくれたので「お寺の方ですか?」とお聞きしたら「いえ、この展覧会を企画した者です」というお答えが返ってきた。

 小さな銅造菩薩立像は実にかわいい。銅が全体に花崗岩みたいに白っぽく変色しているのも素朴でよい。正面はあどけない童顔だが、背面には両肩から背中に沿って長い瓔珞が垂れていて、細い体を余計に華奢に見せている。木造毘沙門天立像もよかった。70cmくらいの小像で、決して巧くないのに強い力がみなぎっている。しばらく横顔を眺めていて、ポスターに使われている仏像だと気がついた。鎧の腹の怪獣の顔(獅噛?)も獰猛そうでよい。

 第4室は「鹿野山朝光寺」。知らないお寺だったので、あとで調べたら、加古川線と福知山線から等距離くらいの山の中にあるそうだ。本堂には、板壁に仕切られた厨子に2躯の千手観音立像が祀られており(会場に写真あり)、その「東御本尊」がおいでになっていた。脇手が短いので、あまり動きを感じさせない、黒い木肌が神秘的な千手観音である。一方、「西御本尊」は一回り大きく、全身金箔を保っている。実は、京都の蓮華王院(三十三間堂)から、室町時代からそれほど離れていない時期に移住されたものと見られている。「移動する仏像」の話は、どこかで聞いたことがあるなあと思ったら、昨年、兵庫県立歴史博物館で開催された『ひょうごの美ほとけ』で、朝光寺の「西御本尊」の話を、写真パネルで読んでいた。

 あらためて「東御本尊」だが、全体像からは地方仏らしいおおらかさを感じるのだが、顔立ちはシャープで的確な造形。特に横顔がよくて、さきほどの播州清水寺の毘沙門天立像と組み合わせて、ポスターに使われている。あと、風化が進んで顔立ちもほぼ分からなくなった木造地蔵菩薩立像6躯(六地蔵、平安時代)は、インスタレーションのような面白さがあった。修験の関与が窺えるそうだ。
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賛と墨蹟を読む/禅僧の交流(根津美術館)

2018-09-12 23:34:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 企画展『禅僧の交流 墨蹟と水墨画を楽しむ』(2018年9月1日~10月8日)

 中世において、日本と中国の禅僧たちの交流から生まれた墨蹟と水墨画の名品を紹介する。類似テーマの展覧会は何度か見たことがあるので、あまり新しい発見はないだろうなと思いながら、やっぱり好きなので行ってきた。

 冒頭には因陀羅筆『布袋蒋摩訶問答図』。力のない描線で、柳?の下で対話する二人の人物を描く。右端に楚石梵琦による賛が書き付けられていて、最初の「花街鬧市」までは読めたのだが、あとが読めなくて気になっていた。ネットで調べたら、日本語サイトには見つからなかったが、梵華(中華仏文化網)というサイトに全文翻刻を見つけた。日付を見ると、この展覧会のためにUPされたものらしい。すごーい。うれしーい!「花街鬧市,恣經過。喚作慈尊,又是魔。背上忽然揩只眼,幾乎驚殺蔣摩訶」というものである。

 次に元代の禅僧の肖像である『中峰明本像』。見たことはあるけど根津美術館の所蔵だったかしら、と思ったら、鎌倉・明月院の所蔵だった。本展には、鎌倉の禅寺や常盤山文庫の所蔵品がいくつか出ている。中峰明本は、襟をはだけ、くつろいだ姿を描くのが約束事である。私は「笹の葉中峰」と言われるこのひとの筆跡が好き。肖像画の賛も自賛であるらしく「銭塘潮」「西湖月」という文字が拾えた。一山一寧の草書もよく、石室善玖の軽やかな『寒山詩』もよかった。冒頭の「誰家長不死」は「誰が家かとこしへに死せざらん」と読むと、いま調べて知ったが、漢字の並びを眺めていると、だいたい意味が分かる気がする。

 ここまで、すでに何人もの禅僧が登場しているが、誰が中国人で誰が日本人か、誰が(中国への)留学僧で誰が(日本への)渡来僧か、なかなか覚えられない。そう思っていたら、カテゴリーと師弟関係が一目で分かる「関係禅僧系図」というパネルが掲げて非常によかった。配布してもらえないかなあ。常備のレファレンスツールとして欲しい。

 後半は、さらに海を越えた禅僧の往来と交流によって生まれた尺牘(書簡)や道号偈など。鎌倉・円覚寺から『無準師範像』が来ていた。痩せ型、面長で目尻の垂れた温和な顔立ち。短い口髭と顎髭。ちょっと敗火師父(ドラマ『少林問道』の登場人物)に似ていると思ってニヤつく。

 展示室2は関東の禅僧の絵画を中心に。すぐに思い浮かぶのは賢江祥啓(啓書記)である。彼は初め、仲安真康という画家に学んだが、上京して芸阿弥に師事し、足利将軍家が所蔵する唐絵に学んだ技術を関東に持ち帰った。最初の師である仲安真康の作品、画法伝授の証として与えられた芸阿弥筆『観爆図』、さらに祥啓の弟子たちの作品などが展示されている。祥啓自身の作品では、中国風の『人馬図』2幅が面白かった。あと雪村周継の『龍虎図屏風』1双を久しぶりに見ることができた。たれぱんだ並みに溶けかかっている虎がかわいい。

 今回の見どころはこれで終わらない。展示室3(1階の奥)の仏像が久々に展示替えになって、地蔵菩薩3躯が出ている。いずれも個性的でよい。手前、平安時代の立像はぼんやりした表情。垂らした腕がアンバランスに長い。真ん中は鎌倉時代の立像。口角が上がっていて、明らかに微笑んでいる。溌剌とした童子のようでかわいい。一番奥は、鎌倉時代の坐像。瓔珞と透かし光背が美しく、大きな蓮華座い華奢な体を載せている。

 展示室5の「切り取られた小袖-辻が花から広がる世界-」も面白かった。桃山時代・16世紀の「辻が花」と江戸初期・17世紀の「慶長小袖」の端切れ25点を展示。いずれも30センチ四方くらいに切り取ってコレクションされている。「辻が花」の絞りだけでなく、刺繍や摺箔などの技法を組み合わせて使っている。『糸のみほとけ』を思い出すような、丁寧な根気仕事。展示室6「名残の茶」は、夏から秋・冬へ季節の変化を感じさせ、『鰐口やつれ風炉』と『燈籠釡』の組み合わせが面白かった。
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義兄弟たちのゆくえ/中華ドラマ『少林問道』

2018-09-10 22:17:31 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『少林問道』全38集(2016年、上海新文化伝媒集団他)(※全42集版もあり)

 2016年の作品だが、私が知ったのはごく最近である。9月17日からCS「衛星劇場」で日本初放映が決まったことに伴い、ファンの声を目にして興味を持った。どうせCSは見られないので、ネットで視聴してみることにした。時代は明の嘉靖帝の治世(1521-1566)、朝廷は厳嵩・厳世蕃父子とその取り巻き(厳党)に牛耳られていた(※これは史実)。厳党の権臣・明徳は、敵対勢力の程粛を一族もろとも殺害し、李王爺を自殺に追い込む。程粛の次男・聞道は少林寺に逃げ込んで生き延び、李王家の郡主・蓁蓁は官妓に身を落とす。程聞道と李蓁蓁、二人に同情する書生の楊秀、明徳の甥で武人の高剣雄の四人はおさななじみで、程聞道、楊秀、高剣雄の三人は義兄弟を誓った仲でもあった。しかし、運命は彼らを波乱の中に投げ込む。

 聞道は少林寺にあっても明徳への復讐を諦めきれない。少林寺には「十八銅人」という武術の達人がいたことを知り、彼らを探して復讐に協力してもらおうとする。しかし、次第に自分の身勝手さを思い知り、出家して無想という法名を得、医学と薬学に精進するようになる。蓁蓁は洛陽の妓楼・梅艶楼で十一娘と呼ばれ、明徳への復讐だけを望みに生きていく。再びめぐり合った聞道(無想)と結ばれることは叶わず、高剣雄に身を委ねる。それを自分への愛情と勘違いした高剣雄もまた、運命を狂わされていく。

 ここからネタバレ。梅艶楼の女主人・梅姑は、明徳のかつての愛人であり、二人の間に生まれた嬰児を、梅姑の兄である少林寺僧・敗火が程粛に預けたことが明らかになる。つまり、聞道が父の仇と思っていた明徳こそ、聞道の実の父親だったのだ(ここまでは中国語版の予告編でも明かされているので…)。さらに明徳には、程粛を恨むに十分な理由があったことも語られる。明徳は死病を患っており、それを治療してもらうために少林寺にやってきた。梅姑は命を捨てて父と息子の仲を取り持ち、聞道は明徳に治療を施して命を助ける。しかし、父親として受け入れることは拒む。

 月日が流れて三年後。高剣雄は明徳の目を掠め、倭寇と結託して大金を稼ぎ、旱魃で苦しむ百姓に対して糧倉を開くこともなかった。高剣雄の悪行を知り、朝廷の高官・徐階(※このひとも実在)が査察に遣わされると聞いて、慌てる明徳。証拠隠滅を図るも、徐階の門弟となった楊秀は、厳党糾弾の好機と見て、命を賭して皇帝に真実を奏上しようとする。しかし、不敬の誹りを受けて捉えられ、罰杖を受ける。身を挺して楊秀を庇おうとする聞道。肉親の情から、うろたえる明徳。そこに皇帝の勅使が到着し、聞道を少林寺の方丈に任じ、楊秀と高剣雄に倭寇の掃討が命じられる。倭寇の根城に決死の攻撃をかけると決めた前夜、李蓁蓁、聞道、楊秀、高剣雄の四人は、昔のよしみを取り戻したように酒を酌み交わし、静かに語り合う。

 明徳は、序盤こそ冷酷な悪役ぶりを見せるのだが、後半、より高位の厳世蕃や徐階の前に出ると、なすすべもなく平身低頭するばかり。中国の巨大官僚社会の怖さを思い知らされる。そして最後は、序盤では予想もつかなかった人間味を見せる。もっとも「予想もつかなかった」のはこちらの見方が甘いからで、序盤の極悪非道な振舞いの間にも、微かな心の揺れが表現されているという指摘がある。そうなのか~。もう一回、序盤を見直してみたい。『人民的名義』の高書記を演じた張志堅が演じている。

 主人公・程聞道(無想和尚)を演じたのは周一囲。前半は、いつも目を剥いてわめき散らしているような粗野な青年でうんざりするのだが、後半、苦悩を乗り越え、医術と武術を身に着けてからは、別人のように美しいたたずまいを見せる。武術アクションも見事。楊秀、高剣雄、李蓁蓁は、正直、ほぼ最後まで身勝手で迷惑な奴らだと思っていた。しかし本作は、主人公の聞道を含め、妄執や欲心など困ったところを抱えた人間が、不完全ながら「悟道」あるいは「慈悲」に辿り着くまでを描いているのかもしれない。少林寺の僧侶たちも、それぞれ葛藤や後悔を抱え、人間味ある姿に描かれていてよかった。聞道を導く敗火師父は少林寺の薬局首座という設定。禅寺が、さまざまな技術と学術のセンターだった雰囲気がよく出ていた。

 私が一番好きだったのは、明徳に従う道士の梁五。明徳に命じられれば、脅迫・殺人・強盗、どんな暴虐も辞さない、狂暴な忠犬である。しかし、かつて命を救ってもらった(らしい)明徳への献身は純粋で、どこか愛すべきところがある。共感してくれる人は少ないと思うが、ネットで探していたら、中国人女性の個人ブログに同じような感想を見つけて嬉しかった。

 倭寇の描き方も興味深く、頭目の岡田という日本人はすっかり漢人に化けている。一方、漢人の江龍は、今は倭寇の一味となり、月代を剃り、陣羽織のようなものを着て、日本刀を使う。後期倭寇のカオスな状況をうまく物語に取り込んでいると思った。なお、嘉靖年間に少林寺の武僧が倭寇と戦ったことは『日知録』などにあり、これまでもいくつかのドラマの題材になっているが、本作は虚実の組み合わせ方が出色だと思う。ただ、本作は禅の教えにちなんだセリフが多くて、私には難しかった。できるなら、原作の日本語訳を歴史小説として読めたらいいのに。

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新・三十六歌仙を選ぶ/雑誌・芸術新潮「やまとうた2000年 古今オールスターズ決定戦!」

2018-09-08 23:51:52 | 読んだもの(書籍)
○雑誌『芸術新潮』2018年9月号「特集・やまとうた2000年 古今オールスターズ決定戦!/いまこそ読みたい新・三十六歌仙」 新潮社 2018.10

 久しぶりに雑誌『芸術新潮』を購入。和歌文学に興味があるのと、「ベスト10」とか「100選」とか、数を限って何かを選ぶ企画はつい気になってしまう。「三十六歌仙」は、もちろん藤原公任(966-1041)の『三十六人撰』に選ばれた歌人をいう。今号のメイン企画は、21世紀のいま、古代から現代までのパースペクティブで新たなる三十六歌仙を決めようというものだ。撰者は、万葉学者の上野誠氏、和歌文学研究者(専門は中世)の渡部泰明氏、歌人の馬場あき子氏。司会は美術ライターの橋本麻里さん。

 雑誌の構成としては、まず選ばれた36人の紹介がある。1人1ページ1首が原則だが、歌人によっては文中を含め、2首、3首以上、取り上げられている場合もある。私は丹下京子さんのイラスト(歌人の全身像)が気に入っている。伝統的な歌仙絵や肖像画を参考にしている部分と勝手にイメージをふくらませた部分のバランスがとてもいい。曽根好忠のキャラ立ちぶりには笑ってしまった。

 36人の顔ぶれを眺めた上で、撰者の座談会記録に移る。撰者はそれぞれ候補となる歌人(36人前後)のリストを持ち寄っており、これをもとに古代から検討が進んでいく。しかし、正直なところ、この座談会は思ったほど面白くなかった。まず2000年の歴史に対して36人は少なすぎる。誰が見ても穏当な歌人(つまり超一流)だけで、ほぼ全ての席が占められてしまう。これが百人くらいだったら、撰者の独断と偏愛で意外な歌人をもぐり込ませることができるかもしれないが、36人では、そういう遊びの余地がないのだ。

 「〇〇はどうですか?」という話題が出ても、馬場あき子先生が「〇〇を入れると、△△も□□も入れなければならないから…」と却下意見を述べて終わってしまう。印象だが、研究者のお二人は、歌人の馬場先生に異論を唱えられない感じがした。歌人と研究者ではなくて、詩人とか小説家とか、専門外の和歌好きが選んだほうが面白かったのではないかと思うが、そもそもそんな教養の持ち主が見当たらないだろうか。あと司会の橋本麻里さんも文中では進行役にしかなっていないのがもったいない。

 しかし、もちろん読みどころもある。上野先生の「和泉式部は演歌の世界で言うと藤圭子。力が入らない歌い方なのにうまい」とか「橘曙覧の歌って、幸せいっぱいのルノアールの絵みたい」という比喩は、うまいこというなあと感心した。躬恒について、白河院の御所で貫之・躬恒論争になったとき、源俊頼が「躬恒をば、な侮り給ひそ」と繰り返した(無名抄)というのも面白い。俊頼は渡部先生の強い推薦もあって、新・三十六歌仙に選ばれている。あと俊成は歌合の判詞が最高によくて、普通の判者は欠点をいうのに俊成は褒めるのだそうだ。これも渡部先生の話。

 最終的な36人を見て、ちょっと意外だったのは家隆、良経が入らなかったこと。今、新古今って以前ほど人気がないのだろうか。近世以前の歌人は、だいたい1首くらいは作品が浮かぶのだが、ひとりだけ永福門院はすぐにイメージが湧かなかった。渡部先生の卒論のテーマだそうで「永福門院って荒野にポツンと木があって、そこにだけ日が射している感じ」というのを聞いて、読んでみたくなった。

 なお、今号には出光美術館学芸員の笠嶋忠幸さんが「歌仙絵」と「古筆」について2つのコラムを書いている。歌仙絵について、人麻呂影供という儀礼が六条藤家の歌壇戦略から出てきたのに対し、御子左家の子孫である冷泉家には人麻呂像がほとんど残っておらず、そのかわり非常に古い俊成・定家の像が残っているというのが面白かった。古筆について、実技にも詳しい笠嶋さんが感心するのは『中務集』だという。知的でモダン。次の機会には、気をつけて見よう。
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ゆっくり時が流れる/純喫茶とあまいもの(難波里奈)

2018-09-05 22:08:56 | 読んだもの(書籍)
〇難波里奈『純喫茶とあまいもの:一度は訪れたい30の名店』 誠文堂新光社 2018.7

 甘いものをいただくのと同じくらい、甘いものの本が好き。特に少し疲れたときは、甘いものの写真を眺めて心を癒す。本書は「パフェ」「プリン・ア・ラ・モード」「ホットケーキ」「フルーツサンド/トースト」「ケーキ」「飲みもの」の6つのテーマで5軒ずつ、計30軒の喫茶店を紹介したもの。そして「甘いもの」も魅力的だが、どちらかというと「お店」のたたずまいの紹介に気合が入っていると感じる。

 それもそのはず、著者は会社員業のかたわら、好きな喫茶店巡りにいそしみ「東京喫茶店研究所二代目所長」を名乗るライターさんである。本書に登場するのは、日本中にあふれるチェーン系のカフェではなく、昭和の面影を残すレトロな純喫茶ばかり。少し暗めの店内。使い込んだ木製のテーブル、革張りやビロード張りの椅子、タイルやレンガ積みの壁、ステンドグラスの照明、さりげなく飾られた絵画やアート作品。そして歴史を知るマスターの存在も欠かせない。20代や30代の頃は、こうした喫茶店は入りにくかったが、今なら堂々と入ることができるのが喜ばしい。

 紹介されているお店は東京が中心で、千葉や神奈川が少々。首都圏以外のお店はない。郊外よりも都心部、オフィス街や駅ビルの地下街で営業を続けているお店が多いように思った。これは著者の行動範囲がそうなのか、それとも残っている純喫茶の分布がそうなっているのだろうか。「資生堂パーラー銀座本店」や浅草の「アンヂェラス」など有名店もあるが、聞いたことのないお店も多かった。江戸川区平井の「ワンモア」(表紙になっている)とか市川の「ミワ」とか、よく見つけて、取り上げてくれたなあ。私は総武線沿線の生まれなので、ちょっと嬉しい。

 西荻の「こけし屋」は押しも押されもせぬ洋菓子の名店。私は西荻にも住んでいたことがあるので嬉しい。私が、確実に行ったことがあるのは、ここと神保町の「さぼうる」それに「古瀬戸」。藤沢の「ジュリアン」はクリームソーダの名店だそうで、入ったことはないが、大きな特徴的な丸窓にかすかな記憶がある。遊行寺にお参りに行ったときに前を通っているかもしれない。池袋の「タカセ」は、大学生の頃、ゼミのコンパの二次会で寄っている気がする。町の喫茶店は、こんなふうに、人それぞれの記憶と深くひもづいている。

 本書に紹介されている「あまいもの」のクオリティは、正直、さまざまで、横浜・ホテルニューグランドのプリン・ア・ラ・モードや資生堂パーラーのストロベリーパフェは一点の隙もない完成度である。それに比べると、迫力はあるけど見た目はいまいちだったり、作り手によって見た目が微妙に(否、かなり)異なるパフェを出すお店などもある。しかし、その「ゆるさ」も地元と常連に愛される魅力なのだろう。こういう空間が、もうしばらく存続してくれるといいなあ。
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常設展の名品/中国書画精華(東京国立博物館)など

2018-09-03 23:05:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館・東洋館8室『中国書画精華-名品の魅力-』(2018年8月28日~10月21日)

 秋の恒例「中国書画精華」が始まったので、混み合う平成館と本館を避け、東洋館と法隆寺館をゆっくり参観してきた。この特殊陳列は、主に東博コレクションの中から、中国書画の名品を一挙公開するものである。年によっては特定のテーマをサブタイトルに掲げることもあるが、今年は「名品の魅力」とド直球だなあと思いながら見にきた。

 冒頭には、山梨・久遠寺蔵、伝・胡直夫筆の『夏景山水図軸』(南宋時代)。梁楷の『雪景山水図軸』2福に『出山釈迦図』の組み合わせ。愛らしい伝・趙昌筆『竹虫図』に加えて、元時代の『草虫図軸』2幅。仏画は、京都・清凉寺蔵の『十六羅漢図軸』(北宋時代)から3件、金大受筆『十六羅漢図軸』(南宋時代)から4件など。どれも一度は見たことのある作品だが、めったに会えないので嬉しい。

 壁に沿ってひとまわりしたあと、低い展示ケースを覗き込んで、おや!と驚いた。低いタイプのケースには、画帖や画巻が展示されることが多いのだが、ここに李迪筆『紅白芙蓉図軸』や伝・馬遠筆『寒江独釣図軸』などが入っている。これはありがたい。壁のケースに比べて、作品との距離が近いので、近眼の私でもしっかり細部を観察することができる。『紅白芙蓉図軸』の紅芙蓉には花蕊がわずかに描かれているが、白芙蓉には描かれていないことに気づく。伝・毛松筆『猿図』は、目・鼻・口をとりまく繊細で写実的な皺の表現に感心した。常盤山文庫蔵、伝・趙昌筆『茉莉花図軸』は、団扇形の絹本に描かれたもので、けっこう厚く絵具を置いており、今も色彩が鮮やかだ。

 なお、例年の「中国書画精華」は、前期が宋元画で後期が明清画中心だった気がするのだが、展示替え予定によると、今年は後期(9/26-)にも宋元の名品が出るようだ。これは得をしたようで嬉しい。いや明清絵画も好きだけど。

 書もいろいろ名品が出ているけど、大きな禅院額字、張即之筆『東西蔵』と『解空室』(京都・東福寺蔵)それに無準師範筆『釈迦宝殿』が好き。一部の作品は、中国語の音声ガイドに対応していることに気づいてしまった。ヒアリング練習のため、ちょっと試してみたい。

■東洋館3室(西域の美術)

 中国・朝鮮の美術を見ただけで帰ってしまうことも多いのだが、久しぶりに「西域の美術」に寄った。実は、先週、龍谷大学で図書館の貴重資料の展示を見せていただき、さらに入澤崇学長(前・龍谷ミュージアム館長)の「龍谷の至宝」と題した講演を聴く機会があった。大谷光瑞と大谷探検隊については、近年、新たに分かってきたことがいろいろあるそうだ。大谷探検隊ゆかりの資料は、中国、韓国、日本に分かれてしまっており、学長はいつかこれを一堂に集めて展覧会をしたいと考えているそうだ。

 学長が「たいへん珍しい貴重な品」と紹介された、ホータン出土の胴造の如来像頭部がちょうど出ていた。西域における最初期金銅仏像の遺品である。そのほかにも、大谷探検隊由来の品のなんと多いこと。今年は大谷光瑞(1876-1948)遷化70年にあたり、龍谷大学では記念国際シンポジウムが予定されているそうだ。聴きにいけないけど、その成果は何らかのかたちで知りたい。出版してほしい。

■法隆寺宝物館

 はじめに多くの金銅仏に囲まれる至福。次に第3室の「伎楽面」は長期の常設展示だが「金・土のみ公開」というスタイルを取っており、前回(今年の春?)来館時は見ていないかもしれない。飛鳥時代の古面が30件以上あって壮観だった。鎌倉時代の鬼面が1件混じっているが、これも古色を感じる。伎楽面は、真面目な役も笑いをとる役も、ほぼ例外なく鼻が強調されているのが不思議である。
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2018年7-8月@東京&関西展覧会拾遺

2018-09-01 23:47:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
レポートを書いていない展覧会が溜まってきたので、ものによっては簡単に。

太田記念美術館 企画展『落合芳幾』(2018年8月3日~8月26日)

 この夏、東京では二人の浮世絵師、落合芳幾(よしいく、1833-1904)と月岡芳年(よしとし、1839-1892)の展覧会が妍を競った(ヘンかな、この表現)。本展は開催趣旨に、落合芳幾は「月岡芳年や小林清親、河鍋暁斎などの著名な絵師たちの影に隠れ、その名前はほとんど注目されておりません」「本展覧会は、落合芳幾の知られざる画業の全貌について、代表作を含む80点以上の作品を通して紹介する、世界で初めての展覧会です」という。私は、1999年(古い!)に東京大学総合研究博物館で開催された『ニュースの誕生』展で「新聞錦絵(あるいは錦絵新聞)」というものを知って以来、落合芳幾は気になる名前だった。2008年には千葉市美術館で『芳年・芳幾の錦絵新聞』という展覧会を見ているが、確かに芳幾の名前が冠された展覧会は、これくらいしかないようだ。

 芳幾といえば、思い浮かぶのは「血みどろ絵」である。市井の事件に取材した新聞錦絵に加え、弟弟子の月岡芳年と競作した『英名二十八衆句』では、歌舞伎や講談の殺害場面を取り上げている。太田記念美術館は外国人のお客さんが多いので、大丈夫かな?とちょと反応を窺ってしまった。しかし、芳幾は血みどろ絵ばかり描いていたわけではなく、血みどろ表現のない武者絵や合戦絵、美人画、役者絵、名所・風俗画、動物や金魚に人の顔を合わせた戯画など、多様な作品があることを初めて認識した。新しい風俗も描いているけど、芳年に比べ、最後まで浮世絵の伝統に忠実な絵師だったように思う。

練馬区美術館 『芳年-激動の時代を生きた鬼才浮世絵師』(2018年8月5日~9月24日)

 芳年は、昨年、太田記念美術館と横浜市歴史博物館が取り上げたことで、だいぶ知られるようになったのではないか。本展は前後期で263点を展示する、かなり大規模な特別展。『英名二十八衆句』のほか、名作は網羅されている。『誠忠義心伝』2件、『魁題百撰相』13件のカッコよさよ。明治20年代の縦型2枚続きのシリーズも好き。『雪月花』(岩倉の宗玄、毛剃九右衛門、御所五郎蔵)は目立つ位置に飾られていて嬉しかった。西郷隆盛ものが3件あったが、どれも無念の敗者として描かれており、怖かった。海に降臨する『隆盛龍城攻之図』は、平家一門との親近性を感じさせる。数は少ないが、画稿や素描を見ることができたのも貴重。コラボ商品の『玉兎 孫悟空』のTシャツもGET。

MIHOミュージアム 2018年夏季特別展『赤と青のひみつ 聖なる色のミステリー』(2018年6月30日~8月26日)

 古代から近世における日本そして世界の美術品に表された赤と青を取り上げ、人々が古より「色」とどのように関わってきたかを考える。クイズやワークショップ、分かりやすい解説(たとえば展示品の制作年代は「私は〇〇才(今からどのくらい前に作られたか」で表示)で子供を飽きさせない工夫がされている。しかし展示品には名品が混じっていて、鎌倉時代の丹生明神坐像(女神像)や室町時代の『稚児大師像』(絵画)、二月堂練行衆盤、根来の瓶子なども見ることができた。私は、というか古い日本文化は「青」より「赤」に聖性を感じてきたのではないかと思う。

■浜松・遠鉄百貨店 髙島屋史料館所蔵『日本美術と髙島屋~交流が育てた秘蔵コレクション~【特別展示】豊田家・飯田家寄贈品展』(2018年6月23日~7月8日)

 7月初めにアイスショー観戦で浜松に泊まったとき、駅前の遠鉄百貨店で見たもの。時間つぶしになればいいか、くらいの気持ちだったが、なかなか面白かった。髙島屋という企業が明治以降の近代日本画家たちの活動に強い関わりをもっていたことがよく分かった。誰でも知っている竹内栖鳳の名作『アレ夕立に』は髙島屋史料館の所蔵なのか。まさか旅先の浜松で遭遇しようとは。遠鉄百貨店が髙島屋のグループ企業だというのも初めて知った。

■泉屋博古館分館 『うるしの彩り-漆黒と金銀が織りなす美の世界』(2018年6月2日~7月16日)

 住友家に伝わった日本、琉球、朝鮮、中国の漆工芸品より、茶道具や香道具、近代に製作された華やかなおもてなしのうつわを紹介。近代の漆工芸品に見応えがあった。

※あと、上記に記録できていないのだが、やっぱり東博やMIHOミュージアムは常設展をゆっくり見ると発見が多くて好き。京博も早く展示場問題を解決して、常設展をちゃんと常設にしてほしい。
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