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MFCオーナーのブログ

フュージョンの夏・日本の夏

2024年05月25日 16時49分52秒 | 音楽ネタ


唐突だが、最新のレコード・コレクターズ(以下レココレ)の特集は、2号続けてフュージョンである。なぜいまフュージョンなのかは不明だが(笑)、いつも通り、レココレのライター諸氏がフュージョンの名盤を30枚づつリストアップし、それを編集部が集計してランキングを決める、という毎度お馴染みの企画であり、先月は洋楽、今月は邦楽のフュージョン名盤100枚のランキングなのである。まぁ、いつもの事ではあるが、かつてフュージョンと呼ばれた音楽に、短期間とはいえハマった事のある僕からすると、なかなかに興味深い内容だし、言いたい事も多い(笑) 今回は長くなりそうだ(爆)

ほとんどのポピュラー音楽に於ける、いわゆる"ジャンル分け”というのは定義が曖昧で、ライターが100人いれば100通りの"ジャンル分け"が存在したりするので、要するに"ジャンル分け"なんてものは不毛なんである。フュージョンも同様で、今回のレココレの特集に於いても、1969年から1989年の間に発表された"フュージョン"のアルバムからリストアップする、というルールになっていて、1969年と限定している事に編集部の意図を感じ取るライターもいるが、ま、とにかく、様々な解釈が乱れ飛んでいる。僕個人の感覚だと、後にフュージョンと呼ばれるようになった音楽は、それ以前はクロスオーバー或いはソフト・アンド・メロウと呼ばれていた。70年代半ば頃、主にジャズ系のミュージシャンたちが、ジャズだけでなく、ファンクやソウル、後のワールド・ミュージックといった、様々な音楽の要素を取り入れ、(やや矛盾するが)ジャンル分け不能な音楽を志向するようになり、ブラック系やロック系のミュージシャンたちもこの動きに呼応して一大ムーブメントとなって、それらを当時"クロスオーバー"と呼んだのである。1975年頃の音楽雑誌の広告には、あこちでクロスオーバーの文字が躍っており、アーティストでいうと、チック・コリア、ボブ・ジェームス、ハービー・ハンコックといったジャズ系だけでなく、アース、ウィンド&ファイアあたりも、当時はクロスオーバーとして紹介されていた。その後、ジョージ・ベンソンや渡辺香津美が登場すると、彼らをソフト・アンド・メロウと呼ぶようになり、ま、敢えて言うと、クロスオーバーという言葉から連想されるエキサイティングな雰囲気がジョージ・ベンソンあたりにはあまりなく、けど、新しい流れではあったので、違う言葉でジャンル分けしようとしたのだろう。そういう流れもあり、僕が最初にフュージョンと認識したのは、実はリー・リトナーあたりではないかと思っているが、フュージョンを確立させたのは、実は日本のミュージシャンたちではないのか、とも考えている。

という訳で、まずはレココレのフュージョン・アルバム・ランキングの上位10枚を紹介させて頂く。

フュージョン(洋楽)
1位・・・ヘッド・ハンターズ/ハービー・ハンコック
2位・・・リターン・トゥー・フォーエバー/チック・コリア
3位・・・ブリージン/ジョージ・ベンソン
4位・・・ヘビー・ウェザー/ウェザー・リポート
5位・・・イン・ア・サイレント・ウェイ/マイルス・デイビス
6位・・・スタッフ!!/スタッフ
7位・・・ジャコ・パストリアスの世界/ジャコ・パストリアス
8位・・・ビッチェズ・ブリュー/マイルス・デイビス
9位・・・ナイト・バーズ/シャカタク
10位・・・オン・ザ・コーナー/マイルス・デイビス

フュージョン(邦楽)
1位・・・ススト/菊地雅章
2位・・・KYLYN/渡辺香津美
3位・・・ネイティブ・サン/ネイティブ・サン
4位・・・シティ・コネクション/日野皓正
5位・・・カリフォルニア・シャワー/渡辺貞夫
6位・・・ミント・ジャムス/カシオペア
7位・・・オン・ザ・ムーブ/深町純
8位・・・プリズム/プリズム
9位・・・SEYCHELLES/高中正義
10位・・・JOLY JIVE/高中正義

能書きたれるより、こういうのを見て頂く方が、ずっと話が早い(笑) 稚拙ながら僕が感じている事を分かって頂けたかと(笑) 10位までのランキング、洋楽の10枚は、僕的には"クロスオーバー"に分類されるものが大半で、逆に邦楽の10枚は正に"フュージョン"である。

ランキング作成にあたり、1969年~1989年と期間を限定したのは何故か、特に1969年にどういう意味があるのか、というと、この1969年はマイルス・デイビスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』が発表された記念すべき年らしい。いわゆる、電化マイルスの幕開けとなった重要作であり、言うならばフュージョンはここから始まったのだそうな。ここでのマイルス・デイビスのアプローチがどれだけ衝撃的だったか、というのは、『イン・ア・サイレント・ウェイ』をはじめ、『ビッチェズ・ブリュー』『オン・ザ・コーナー』と、電化マイルス期の作品が10位内に3枚もランクインしている事からも窺える。まさに、新たなジャズいや音楽のスタイルを提示した問題作たちであり、先駆けとなった『イン・ア・サイレント・ウェイ』には、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、チック・コリア、ジョー・ザビヌル、ジョン・マクラフリン等々、後のジャズ(フュージョン)シーンを牽引していく錚々たるメンバーが参加している事もあり、とにかく、この頃のマイルスは凄かったのだ、というのは間違いないと思う。僕はマイルスはほとんど聴いてないけど(笑)

ウェザー・リポートは、よく聴いてたけど、実はジャコ期のアルバムしか聴いてない、というのに最近気づいた(笑) 曲の良さと構成力そしてスリリングなアンサンブルがウェザー・リポートの魅力と思っているので、4位に入った『ヘビー・ウェザー』は正に代表作と言えるし、確かに名盤である。でも、フュージョンとは違うなぁ。ジョージ・ベンソンやスタッフは、確かにフュージョン的かも。シャカタクが10位内にランクインしたのは、はっきり言って無茶苦茶意外。ま、総じて、フュージョンというよりクロスオーバーでしょ、って感じの顔ぶれと言えるかな。

前述したが、僕はフュージョンというと日本の方が印象深い。マイルスをはじめとするジャズ・ミュージシャンたちがクロスオーバー化していた頃、日本ではどんな動きだったのか、実は何も知らない(爆) ただ、フュージョンなんて呼び名もない頃、サディスティック・ミカ・バンドの1975年作『HOT! MENU』では、フュージョン的アプローチのインストが聴けるし、四人囃子の1976年作『ゴールデン・ピクニックス』には、正にフュージョンとか言いようのない「レディ・バイオレッタ」が収録されていたりなんかして、海外のクロスオーバー化の影響は、日本のミュージシャンにも及んでいたと思われる。そして、渡辺香津美や高中正義が台頭し、ネイティブ・サン、渡辺貞夫、日野皓正といったベテランがCM絡みとはいえヒットを出す事で、フュージョンは呼び名も音楽スタイルもすっかり定着した。1979年から1980年にかけてのことと記憶しているが、このころ流行った"フュージョン"は、実は日本特有のものだったのではないか、とひそかに僕は思っている。

いや、それにしても、あの頃のフージョン・ブームは凄かった。猫も杓子もフュージョンって感じだったなぁ。ジャズ畑の人たちだけでなく、森園勝敏とか山岸潤史とか竹田和夫とかのロック系もフュージョンに参入してた。高中正義だって元々はロックの人だ。また、そういった、すでに実績のあった人たちだけでなく、カシオペアやスクェアのように、最初からフュージョンとしてデビューする人たちも現れ、そういう様々な出自の人たちが、それぞれの主張を盛り込んだフュージョンをやる事で、シーンが活性化し、聴き手の裾野を広げ、日本のフュージョンを盛り上げていたのだ。今思うと、なんか、この頃は楽しかった気がする(笑) 個人的には渡辺香津美をよく聴いてたけど、FMで何回か耳にした佐藤允彦とメディカル・シュガー・バンクも気になるバンドだったな。あと、本多俊之も一時期聴いてた。

フュージョン・ブームの2年くらい前、渋谷陽一が『ヤング・ジョッキー』でスティーリー・ダンの『Aja』の曲をかけた時、日本人はブルースやハードロックより、この手の音楽をやる方が向いているのではないか、という発言をしていたのを覚えている。さすが渋谷陽一、やっぱりこの人は慧眼だ。その後、日本のミュージシャンたちは、海外の影響を受けつつも、日本ならではのフュージョンを作り上げてしまうのである。正に、模倣の中からオリジナルを生み出す日本人の面目躍如。クロスオーバーの概念や精神はそのまま踏襲して、さらに新たな魅力を追加した親しみやすい音楽、それがフュージョンだった。曲もわかりやすくメロディックで、いろいろな要素を取り込んだ演奏も刺激的、強靭でしなやかなグルーブを叩き出すリズム・セクション、流麗にメロディを奏でるギターやシンセ、曲も演奏もスタイリッシュでカッコよく、けど決して小難しくはなく、さりげなく高度なテクニックもひけらかしたりするなんかする(笑)、そんな日本のフュージョンは海外でも勝負出来る日本発信の文化、いわばクール・ジャパンだったのだ。インストだから言葉の壁もないし(笑) 実際、当時もカシオペアとかは海外進出もしていた。レココレによると、当時も今も海外のクラブでは日本のフュージョンは結構人気らしい。ここ数年海外で人気だというシティ・ポップにも通じるな。

ただ、そんな一大ムーブメントだったフュージョンも、80年代半ばあたりから、勢いを失ったような気がする。いや、フュージョン人気が衰えたというのではなく、最初の頃の刺激が薄れたのではないか、と僕は思う。僕自身も70年代から80年代にかけての頃、フュージョンにハマって、聴くだけでなく、ドラムを始めた頃だったので、必死でマネしたりしていたけど、徐々に興味を失っていった。早い話、飽きたのかも(笑) ま、衝撃的に登場し、一大ムーブメントとなった音楽ジャンルであればあるほど、注目されて売れて確固たる地位を築き、フォロワーや参入者が増えてくると、スタート時の精神はどこへやら、次第にスタイルの模倣と焼き直しにすぎなくなり、次第に形骸化して廃れていく。これはポピュラー音楽の常で、モダン・ジャズもビーバップもロックンロールもプログレもパンクもみんなそう。フュージョンも例外ではない。今回のレココレで、とあるライターが昔書いたフュージョン批判がネタにされているが、ちょっと長いが引用すると

ツルツルに磨き上げられたアルト・サックス、型通りのチョッパー・ベース、個性のないギター、空間をべったりと埋め尽くす均質的なデジタル・シンセサイザー。陰影というものがまるでなく、耳当たりの良さだけを注意して作られたようなのっぺりした楽器の音色と録音。決定的に思えるのは、すべてが計算づくで、ディテールまでプログラムされたように型通り演奏が進行していくスリルのなさだ。ソロは奏でられるが、そのすべては決められたように空虚で、人間臭さが欠如しているように聞こえる。」 

まぁ、言いたい事はよく分かる。ここで俎上に載せられた音楽こそが、正に形骸化したフュージョンなんである。こういうフュージョンの形骸化は、80年代半ば頃には始まっていたと思う。前述の文章は、すばりTスクエアを槍玉に上げているのだが、実は僕もスクエアのあのF1のテーマがどうも好きではなく、フュージョンもつまらなくなった、と当時感じていたくらいで、やはりこの頃すでに、大半のフュージョンはただのBGMになっていたのだ。思い起こしてみると、フュージョン・プームを作ったベテランたちは、早々と新たなスタイルを模索していたし、誰もが認める第一人者の渡辺香津美も、『TO CHI KA』を最後に、フュージョンとは別次元の世界に向かっていた。80年代半ばには、フュージョンは終わっていたのである。

その後主要なミュージシャンの顔ぶれも変わり、1991年にマイルス・デイビスが亡くなったのも影響したのか、、ジャズやクロスオーバー(この言葉も90年代には完全に死後になってた気がする)はかつてのように刺激的な音楽ではなくなった。もちろんフュージョンなんて、名前も音楽もどこかへ行ってしまった。全盛期の盛り上がりぶりからすると、嘘のようにアッと言う間にフュージョンは消えてしまったのだ。実に残念なことではある。でも、僕自身は90年代以降のフュージョンの動向(特に日本)には、冷たいようだが全く興味がなく、何も知らなかったけど、その路線をずっと追求してた人たちはいたのだろう。そういえば、2003年か4年頃、テレビで偶然現代(当時)のフュージョン・バンドのライブを見た事がある。敢えてフュージョンを標榜していると語った彼らがやってたのは、正に往年のフュージョンであり、21世紀にかつて世間を席巻したフュージョンを現代風に再現していた。不勉強ながら、ドラムの沼澤尚以外は知らない人ばかりだったけど、こういう人たちがいるのなら、頑張って欲しいものだ、と当時思ったけど、その後彼らはどうしているのだろう?

という訳で、レココレ見てたら買ってしまいました(笑)



前述のとおり、レココレ・フュージョン・ランキング洋楽部門で堂々の一位である。意外なような当然のような、不思議な感覚もあり、聴いてみたくなって買ってしまった。なかなかにすごい作品である。

以前にも書いたと思うが、ジャズ系の中でも、ハービー・ハンコックという人は、我々ロック側からしても名前を知られている人だ。やはり、その活動が多彩だからだろう。僕がその名を知ったのは、ハービー・ハンコックが映画音楽を結構手掛けていたからだ。クロスオーバーという言葉が登場する前後から、彼はサウンドトラックに於いては、ジャズともロックともファンクともつかない、正にクロスオーバーとしか言いようのない音楽を作っていた。また、ロック・ミュージシャンとの交流も多く、セッション参加も多い。80年代になってからは、ヒップポップの台頭とMTVの流行の両方に目配りした「ロックイット」を発表したりもしてた。

そのハンコックの代表作にして問題作『ヘッド・ハンターズ』なのである。レココレの解説にもある通り、とにかくやってる事はひたすらファンク。同じリズム・パターンやベースのリフが延々と繰り返され、それに鍵盤やホーンの音がコーティングされる、といった感じで曲は進行する。が、意外と退屈ではない。同じパターンが繰り返されるのは確かだけど、コーティングされる音がバラエティ豊富で、これはこれで慣れてくると結構楽しい。クセになる(笑) エレピの音やフレーズが、ジェフ・ベックの『Blow By Blow』を連想させたりもなんかして、やはりそれなりに影響されていた(していた)のかな、なんて思わせる。今聴いても刺激的なアルバムではないかな。

続いて、



渡辺香津美が日本のフュージョン界いやポピュラー音楽界を代表するギタリストである事に異論はないだろう。その渡辺香津美だが、今年の2月自宅で倒れ、現在も治療中らしい。聞くところによると、病名は脳幹出血というらしく、それだけでも実に危険な状態なのでは、と非常に心配になるが、何とか克服してまた元気でギターを弾く姿を見せて欲しい、と痛切に願うものである。

その渡辺香津美は、天才少年として有名で十代でレコード・デビューした。最初のリーダー・アルバムを出したのは17歳の時で、そのころは比較的オーソドックスなジャズをやっていたらしいが、1977年、渡辺香津美24歳の時に発表した本作で、一躍クロスオーバーの騎手として、一般にも名前が知れ渡るようになる。実は、恥を忍んで告白するが(笑)、僕は昔渡辺香津美をよく聴いてて、フュージョンが好きなのではなく、実は渡辺香津美が好きなのではないか、と思ったりもするのだが、にもかかわらず、実はこの『Olive's Step』は今まで聴いていなかった(恥)。もちろん、当時から知ってたんだけど、どういう訳か聴いてなかったのだ。すいません(誰に謝ってるのか。笑)

この『Olive's Step』、当時は"ソフト・アンド・メロウ"という言葉で紹介されていたように思う。ここで展開される音楽は、正に後の"フュージョン"なのだが、1977年当時はフュージョンという言葉もなく、でもクロスオーバーではない、という事で、ソフト・アンド・メロウと呼ばれたのであろう、と僕は思っている。言うならば、日本初の本格的フュージョン・アルバムなのである。

という訳で、フュージョンである。スタイリッシュな曲構成といい、流麗なメロディといい、ファンキーなバッキングといい(Keyはクラビネットを多用してるのがポイント高い)、正にフュージョンである。これ以前の渡辺香津美を聴いた事ないのでよくわからないが、突然変異的にこの路線になったのか、それとも何か兆候はあったのか、非常に興味深いとこだが、1977年という時代を考えると、本作こそフュージョンのプロトタイプという気がする。やっぱり凄い人だ。LPでいうA面とB面とで、曲調はあまり変わらないけど、ミュージシャンが違っていて、つのだひろ・坂本龍一・後藤次利が参加したA面はかなりロック的。いつものライブのメンバーとレコーデングしたB面の方が広い意味でフュージョンっぽい。どちらも素晴らしいけど。

てな訳で、この『Olive's Step』日本のフュージョン黎明期の名盤というか、フュージョンはここから始まったと言っていい重要作である。前日のレココレのランキングでは42位で、まぁ意外と低い(笑) 渡辺香津美はこのフュージョンベスト100に5枚ランクインされてて、2位の『KYLYN』はもちろん、11位になった『TO CHI KA』も、個人的には忘れえぬ名盤であり、高校生の頃何度聴いたか分からないが、僕からすると、フュージョンは突き詰めていくとこの2作なのではないか、と思ってしまうくらいのアルバムであり、やっぱり渡辺香津美は凄い人なのである。この時期、早くも「フュージョン後」を見据えた創作活動をしていたのも凄い。

早く元気になって下さい^^

これだけ書いたのに、まだ書き足りない気がする(爆) 続きはまた今度(いねーよ)
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