このネタは以前どこかに書いたかもしれない。
リタ・クーリッジという歌手がいる。皆さん、よくご存知の人だろう。テネシー州出身で、デラニー&ボニーやジョー・コッカーのマッド・ドッグス&イングリッシュメンのツアーに参加して、その名を知られるようになり、その後ソロ・デビューしてヒットを出した。チェロキー・インディアンの血を引いているそうで、そのエキゾチックな容姿に魅了されるミュージシャンも多く、とにかくモテたらしい。あのレオン・ラッセルも、彼女の為に「スーパースター」という名曲を書いて口説いたそうだが、あっさり振られたとか。僕も以前、1970年代前半にリタ・クーリッジがテレビ出演してる映像を見た事があるが、確かに美しかった。僕が彼女の名前を知った頃には、リタは既にベテランのオバサン然としていたけど(今思えば、まだそんな年ではなかったんだろうけどね^^;) ま、そんなリタ・クーリッジなのだが、実は、僕はあまり良い印象を持っていない。これは、全くもって彼女自身には何の責任も落ち度もないのだが(笑)
リタ・クーリッジの有名なレパートリーに、「あなたしか見えない」という曲がある。原題は「Don't Cry Out Loud」、元々はピーター・アレンとキャロル・ベイガー・セイヤーの共作だ。この曲、リタより前にメリサ・マンチェスターがレコーディングしており、メリサ版は1979年に発表され、ビルボードのTOP10に入るヒットとなった。この時の邦題は「哀しみは心に秘めて」。メリサ版よりちょっと遅れてリタ版が発売されたが、邦題はメリサ版とは違い、「あなたしか見えない」であった。これは、リタ版より少し前に発売された伊東ゆかりの日本語カバーバージョンが「あなたしか見えない」というタイトルだったので、リタ版の邦題もそれに準じた(は?)ものと思われる。この為、話は俄然ややこしくなった。
伊東ゆかりのバージョンは、日本語カバーではあるが、歌詞はオリジナルみたいなもので、原曲の「Don't Cry Out Loud」の歌詞とは全く非なるものであった。この曲が伊東ゆかりのレパートリーとして定着すると、オリジナルを歌ってるのはリタ・クーリッジという事になってしまい、メリサ・マンチェスターの事は忘れさられてしまった。ま、こういう話はよくあるので、メリサには気の毒だけど、仕方ないといえば仕方ないのだが、後年、編集盤等にメリサ版「Don't Cry Out Loud」が収録されると、邦題表記は「あなたしか見えない」にされてしまう、という事態が発生したのである。これはヘンだろ、と僕は思った。リタ版よりメリサ版の方が先に出たのに、何故邦題がリタ版で統一されているのか。リタ版(つーか、伊東ゆかり版)の方が有名だからか。ひどい話である。メリサ版とリタ版と、邦題は違うけど同じ曲なんだよ、ヘンだねぇ、ていいではないか。だいたい、元の歌詞の意味も考慮すると「哀しみは心に秘めて」の方が、ずっと良い邦題である。これでは、メリサがあまりに気の毒だ。決してファンではないけど^^; こうなると、なんか知らんけど、全てリタが悪い、みたいな心境になるのである(笑) なんて理不尽な(笑)
ちなみに、このメリサ、リタ、伊東ゆかりの3者によるバージョン、調べてみると、いずれも1979年に発表されている。僕はてっきり、リタと伊東ゆかりのバージョンは、メリサより1~2年後に発表されたと思い込んでいた。人の記憶なんて、あてにならないもんだ(笑)
実は、リタ・クーリッジは、もうひとつやらかしていて(笑)、1977年に「みんなひとりぼっち」という曲をヒットさせているのだが、この曲はボズ・スキャッグスのカバーで原題は「We're All Alone」、みんな知ってるあの曲である。この場合、リタ版の邦題は言うならば誤訳で、ボズ版の邦題「二人だけ」の方が原題のニュアンスに遙かに近い。しかし、世間では「We're All Alone」=「みんなひとりぼっち」という認識になってしまったのである。確かに、「みんなひとりぼっち」にした方がしっくりくる曲調・雰囲気ではあるものの、明らかに誤訳だし、「二人だけ」という正しい邦題が先に出てるのに、何故間違った邦題で押し切るのか? 英語が苦手な高校生ならともかく、ラジオやコンサートとかで、アナウンサーがこの曲の歌詞を朗読して「僕たちはみんなひとりぼっちなんだ」って言ってるのを何度か聞いた。教育委員会は何も言わないのか? だいたい、リタ・クーリッジが、こんな邦題で出すから悪いんだよ、てな事になってしまうのである(笑)
この件に関しても、リタ・クーリッジは全く悪くない。当たり前である。日本のレコード会社が、リタの意向とは関係なく、勝手に物議を醸す邦題を付けただけだ。考えようによっては、リタだって被害者かもしれない。自分の曲に訳分からない邦題を付けられたおかげで、勝手に悪者呼ばわりされる。冗談ではない。もしかすると、訴えたいのはリタかもしれない(爆)なんと理不尽であることか(爆)
最後に、もうひとつ。リタの理不尽な話。
邦題の話ではないが(笑)、エリック・クラプトンで有名な、などと断るまでもない「いとしのレイラ」という曲がある。知らない人はまずいないと思われる名曲である。この曲、エリック・クラプトンとジム・ゴードンの共作という事になっていて、前半部分はクラプトン、後半のピアノで始まるコーダ部分はジム・ゴードンが、それぞれ作ったものと言われている。が、実は、このコーダ部分、元々はリタ・クーリッジが作ったもので、当時リタと付き合っていたジム・ゴードンがそれを持ち出して、勝手にデレク&ドミノスで録音し、しかもクレジットを自分のものにしてしまった、という疑惑が浮上しているらしい。かなり最近出てきた話で、リーク元はリタ本人。何故今頃、という感じ。エリック・クラプトンもジム・コードンもリタ・クーリッジも、関係者はまだ存命だし。ま、訴訟とか、そういう話ではないらしいけど、リタはクラプトンもジム・ゴードンも許せない、と言ってるそうな。そりゃそうだ、こんな理不尽な話はない。いつか、報われる時が来るのだろうか。有名な曲だけにね。でも、何故今頃なんだろう?
と、長々とどうでもいいネタで申し訳ない(笑) それこそ理不尽だ(爆) もちろん、リタは全く悪くありません(分かってるって)
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