久々に記録したいな、と思うことあり、ブログページを開いた。開けてびっくり、最後の投稿から3年以上経っている。月日の経つのは早いもので、、、などは単なる言い訳。反省の意味を込めて背景をナマケモノに変えて、再起動!の予定。ナマケモノが動き続けられるよう、応援ください。
今日の聖書箇所:申命記11章11~12節 (新共同訳)
11:あなたたちが渡って行って得ようとする土地は、山も谷もある土地で、天から降る雨で潤されている。
12:それは、あなたの神、主が御心にかけ、あなたの神、主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる土地である。
「常に目を注いでおられる土地」があるなら、ハテ?そうでないところがあるのか?と疑問を持ったのが発端。11節では、自らの力ではなく、神様の恵みによって生きることを感じた。その恵みはクリスチャンでなくても与えられていて、神様は全世界全人類に常にご覧になっているはずでは?しかし12節には、「そうでない土地」があるように読め、不思議に思った。その後、思いを巡らせていると分かったことがあった。「そうでない土地」があるのではなく、「そうでない土地」を作り、それを全力で守る人間のテリトリー(分野、域)があること。神様が目を注がれていないのではない。隠れ、塀を作り、囲いを強固にして、目を注ぐことのできない暗い場所を作っているのが人間なのだ。それは私にもある。隠してどうなる?と思いつつ、隠し続けているものがあったりする。しかし、天から降る雨、恵みで潤されている光の部分にこそ、神様の目が注がれる。この恵みなしに命はない。その最大たる恵みがイエス様の十字架だ。
あまり長文にしたくないので、要約だけ。起承転結が甘いのは承知で、個人的メモのつもりです。「朝の一声」、続けていけるといいな。とひっそり誓ってみる。
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