つい先日ちょっとした写真の話で面白い事に気づいた。
その方はカメラが良い悪いで写真の出来が違うから、私の安いカメラじゃいい写真は無理という。
でも実際はそれほどいいカメラではなくても素敵な写真は結構見かける、
一般に云われる『構図がいい』ということだろうか、たしかに主体となるものが整然と整理された中に
写されており、景色でいえば水平がきっちり出ているとかでストレートに主体を見られるような写真は
見ていてとても気持が良いことは確かだと思う、それがとても「きれいな写り」であれば尚更である。
でも『いいなあ』と思わせる写真って、なんか語りかけてくるというか訴えてくるものを感じますよね、
つまり写し手が感動したこと・モノが見る者に伝わる写真っていえばいいのか、
見る側も好き嫌い(感性の違い)があるので、「私は感じない」ということもあり得るが…。
そういう意味ではいまどきのカメラは良く出来ているので、当人の「感動の一瞬」を撮り逃がすことが少ない、
とも言えるような気がします。
私もデジタル一眼を手にしてから3年半くらい経ちますが、時々昔のコンデジで撮った写真などを
見ているとハッとするくらい素敵なものを見つけます。
これなんかもデジイチを持つ前のコンデジ「CasioEX-Z100」(10.1メガピクセルクラスのもの)で
あいにくの曇り空のもとで長瀞の紅葉のきれいなところを撮った写真だ(2009年11月撮影)、
大きくしてみると樹の葉が団子のように固まって、いわゆるお世辞にも解像感が高いとはいえないものであるが、
でも色の出かたなどとても気に入っている。
「長瀞、紅葉が素敵だった」と思っていただけるに十分な写真のような気がする、
というか、自分の感動がこの写真に詰まっているのが自分で分かるという方が正解か。
自己満足かもしれないが、やはり写真には「自分の思いを詰め込みたい」というところだろうか。
今人気の高解像度のカメラ、ましてやフルサイズ一眼などで撮ればとてもきれいなものが撮れるだろう、
でもそこに自分の感動を詰め込むことができるかどうかというのが私のカメラを持った時の
(大げさですが)一番「柱」になるもののような気がします。
だからテクにニックは「その感動をどうしたら伝えられるか」という意味でとても大事なものなでしょうね、
大好きな秋田・角館の写真家小松ひとみさんのWeb「フォトワールド」を拝見していてつくづく感じます。
「誰が見ても感動する自然の美しさにテクニックはいらない、でもふと見つけた自分ならではの感動は
どうしてもそれを表現するテクニックが重要となる、そして美しいと感じる心を持ち続けることはもっと大切」
と小松ひとみさんのWebから教えていただいたような気がします。
だから最近は機材の選び方に自分なりの基準ができてきたような気がします、これは嬉しいですね。
基準ができれば高価なものも納得で手に入れようと努力できるでしょうし、
安いものでもその基準内なら楽しんで使い込むようになれますからね。
そんな基準で選んだ納得の安い機材が今日届いたレンズなのである(笑)。
タムロン:SP AF 28-75mm F/2.8 XR Di LD Aspherical (IF) MACRO [A09N]
手ぶれ補正もなし、このへんはZeiss で慣れているのでAFがあるだけ条件は良いと思っている。
それより何より、(ニコン)DXカメラにての実写例の多くで目を見張る表現力の高さに釘付けだった、
自分がそう撮れるかどうかではなく、見た写真に撮り手の感動を感じるものが多かったのが決め手。
楽しみです…。
高いカメラは良い写真が撮れると思い込んでいる方が、本当にいますね!
鳥撮りにしろ、ハチゴロウやヨンニッパなど持っていて自慢する方がいますが・・
鳥撮りに使用しても、やはり、近距離でないと美しい鳥撮りはできませんし・・
風景など光の入り方・雲の加減などでまったく違ったものがとれますよね!
一日撮り続けても、お気に入りの写真が1枚あれば良いとおもいます!
でも、タムロン・・良いレンズですよ!
コメントに気づくの遅く、大変失礼いたしました、
どうもブログがリニューアルしてからというもの使い勝手が今ひとつで。
コメントありがとうございます、
まさに仰るとおりですね、キットレンズでとった「ダイサギの舞」は私の宝物です(笑)。
何百枚の中からお気に入りの一枚を見つけた時の感動は何物にも代えがたいものが…、
このレンズもすでに4回ほど使いましたが、吐き出す画には期待できそうです。
色のりが今までのものと少し違い、表現の幅が広がればと思います。
遅い返信、重ねてお詫びいたします、
ありがとうございます。